知られたくない過去
サーシャは動揺を隠せないでいた。
身体中から自分の体温が一気に抜けていくように冷たくなる感覚。
なのに額からは汗がつつ、と流れていく。
「ち、違うわ・・・私はサーシャよ・・・」
今出せる声を振り絞って否定をする。が、声も震えて出てしまう。
「・・・リリィ。私を忘れたのか?」
「なんのこと・・・」
目の前の騎士は目にかかった髪を手で後ろに流し、顔をはっきりとサーシャに見せた。
サーシャはその顔を見て、はっと気付く。
もうすっかり成熟した青年だったが、幼い頃の面影は少なからず残っていた。
切れ長の目。通った鼻筋。少し薄めの唇。
蘇る過去の記憶。
サーシャの手がかたかたと震えた。
・・・・・ディル・・・・・!
サーシャの口からその名前が出かかったが、ごくりと息を飲み口を噤む。
「・・・忘れたとは言わせない・・・」
無言で立ち尽くすサーシャに、低い声でそう呟く。
「・・・知らない」
サーシャはその言葉を出すのが精一杯だった。向かいに立つ騎士、ディルはゆっくりとサーシャに向かって歩いてくる。
サーシャは思わず怯む。そして震えながら後ずさる。
「サーシャ!!!!」
ガラン!と扉のベルが一際大きくなると、リムが息を切らしながら入ってきた。
リムは走って、サーシャとディルの間に入ってサーシャを守ろうとする。
「リム・・・!」
「サーシャに近づくな!」
リムはサーシャの前で、手を横に広げてディルに叫ぶ。
「・・・どけ。どかないと斬るぞ」
ディルは背中にある剣の柄を握り、剣を引き抜く。鞘から刃が見えるときらりと光る。
リムはごくりと息を飲んだ。だが、サーシャの前からどこうとはしなかった。
「どけ」
「き・・・斬るなら斬れ!だがサーシャは渡さない!!」
無言の攻防。サーシャはリムの後ろでただ震えている。
じりっ、とディルはリムに近付く。リムはぐっと目を閉じた。
斬られる!!
・・・そう覚悟したのだが、一向に剣は振り下ろされない。
ディルは鋭い目で二人を見ていたが、その視線をそらすと、かまえていた剣をゆっくりと背中の鞘に戻した。
「・・・今回は見逃してやる。だが次はない。」
そう言うと、くるっと扉の方を向いて歩いていく。ほっとするリム。覚悟はしていたが、足はがくがくと震えていた。
ディルは扉を開ける前に、一言こう呟いた。
「リリィ。もうお前を逃がしはしない」
そう言って、ディルは酒場から出て行った。
「・・・大丈夫か?」
完全にディルの気配が消えたあと、リムはサーシャに声を掛ける。
「え、ええ・・・ごめんなさい・・・」
「あの後、あの騎士が酒場に入っていくのを見たって酒屋のおばさんから聞いて、嫌な予感がして戻ってきたんだ。良かった。間に合って」
「助かったわ・・・ありがとう・・・リム」
サーシャの身体はまだがたがたと震えている。その震えを抑えようとリムはサーシャを抱きしめる。
「落ち着け、サーシャ。大丈夫だから。俺がついてる」
リムの体温を感じ、サーシャは少しずつ落ち着きを取り戻していく。
ゆっくりと、何回かサーシャは深呼吸するとリムの身体から離れた。
「もう、大丈夫。・・・落ち着いた」
「サーシャ、あいつが言っていたリリィってなんだ?お前はサーシャって名前じゃないのか?」
サーシャはリムから視線を逸らす。
「今は何も聞かないで。・・・何も話したくないの」
サーシャは俯くと何も話さなくなる。
自分の事を頑なに話そうとしないサーシャに、リムは苛立ちを覚える。
「そうやって、お前はいつも一人で抱え込もうとする・・・!なぜ俺には何も話してくれないんだ!俺はサーシャの事を、何があっても受け入れる覚悟が出来ているというのに!!」
サーシャの表情がとたんに厳しくなり、眉間に皺を寄せてリムを睨んだ。
「・・・何を言っているの?受け入れる?そんなの無理に決まってる。知ってしまったらあなたは私を軽蔑するわ。何も知らない方が幸せな事もあるのよ!」
サーシャの言葉の意味が、リムには全く理解が出来なかった。
「何を言ってるんだ?サーシャ・・・」
「あなたにはサーシャとしての私を忘れないで欲しい。あなたの中にはいい思い出でいて欲しいから。だから、お願い。何も聞かないで。これ以上私を知ろうとしないで」
「さー・・・」
サーシャは勢い良くリムの身体を押して外へと駆け出した。その勢いでリムはその場に座り込んでしまう。
「サーシャ!!!」
リムは急いで立ち上がり、追いかけるように外へと出るが、サーシャの姿は見当たらない。
「サーシャ!どこだ!?サーシャ!!!」
近くを探しても、サーシャは見つからなかった。リムは一人立ち尽くす。
リムの頭の中は、サーシャの言葉が繰り返される。
どういうことなんだ・・・・?
サーシャはサーシャではない?
一体過去に何があったんだ!!
サーシャは人気のない海辺へと駆けていた。
キラキラと光る海。穏やかな波の音が反復する。サーシャは息を切らしながら海を眺める。
このまま、海の中に沈んでいけたならどんなに楽だろうか。でも、それは出来ない。
私にはもう愛する資格も、愛される資格もない人間。
私が生きている唯一つの理由は、懺悔だけ。
「どうして・・・?どうして私を捜したの・・・?」
サーシャはまるで海を責める様に呟いて、倒れこむように泣き続けた。