始まり
――――それはいつの事だったのか。
むかしの小さい頃の記憶。
たまに夢に見る、幸せだった時の記憶。
「ねえ、ディル。私あなたの事が好きよ」
「・・・それは嬉しいな。僕もだよ、リリィ」
「私が、大きくなったら結婚してね。約束よ、ね?」
「ああ。わかった。僕もそれまでに君を守れるくらい、立派な男になるよ」
繋がれた小指の温かさは、今でも覚えてる。
それは、もう叶う事のない、約束。
ウィラハム王国の最東端にある小さな町、ユーネリア。
漁業の盛んなこの町は、朝早くから活気付く。午前中にはその日捕れた魚介を求めて、遠くの大きな街からも買い付けに沢山の人が訪れる。夕刻間近になると、ある場所を除いて今までの活気は嘘のように町は静かになる。周りがその日の営業を終わろうとしている頃、一つの店に明かりが灯った。
そこはユーネリア唯一の酒場。
そこの店主は女で、この町で生まれ育った者ではなかった。
3年前ふらりとこの町に来ると、以前この酒場を切り盛りしていた前の店主から引き継いで、そこからその
女が切り盛りするようになる。
女の名前は、サーシャ。
この町の住人は、サーシャと言う名前以外の素性を知らない。聞いても答えないというのもあるが、敢えて誰も聞かないようにしている、と言うのが正解である。
サーシャは明るくサバサバした女性だった。誰にでも愛想がよくこの町の人気者だった。だが、時折憂いの表情を見せる事があった。その表情を見た者は皆、何かを悟る。そして、彼女を傷つけまいと敢えて聞かないのであった。
今日も酒場の中は、仕事を終えた者達の愚痴や笑い声で賑やかだった。
「なあ、サーシャ聞いてくれよ。今日も大漁、最高売り上げだったんだ!だからよ、今日も大盤振る舞いでいくぜ!」
「そうやって、調子こいてると奥さんにやられるよ。大概にしときなね」
「サーシャ、酒ー!」
「はいよ!ってあんたもあんまり飲みすぎると、明日の漁がダメになるからほどほどにね!」
この酒場に来る者は殆どがこの町に住む常連ばかりだった。毎日こんな調子で時間は過ぎていく。
サーシャは手際よく酒を作ると、頼まれた常連の一人に手渡す。そして、サーシャもごくりと酒を飲むとまた、常連とのたわいのない話を続ける。
今日もこうやって一日が過ぎていくはずだった。
カラン。
と賑わいの中で、扉につけていたベルが鳴る。
サーシャはうるさい中でもベルの音を聞き、扉の方に目を向けた。
店内に入ってきた者はこの町の住人ではなかった。
立派な鎧を身に着け、背中には重そうな剣を背負っている。その姿から明らかにどこかの国の騎士、しかもかなり身分の高い者だと見受けられた。
騒がしい酒場の空気が一変する。常連はみなその騎士に目を向け、動かなくなる。
サーシャも一瞬怯んでしまったが、すぐ気を取り直し入り口の前で立つ騎士に声を掛けた。
「・・・いらっしゃい。ここの席空いているから、どうぞ」
騎士は無言でその席に着いた。サーシャはカウンターにいた常連に今まで通りに、と小さく話し少しずつ静けさは消えていく。
「ごめん、ここ、常連ばかりだから。周りがちょっと驚いただけ。あまり気を悪くしないでね」
「・・・ああ」
「何飲む?」
「・・・まかせる」
サーシャはこの町で作られた酒を、オレンジに似た様な果実の汁と合わせ、グラスに注ぐとその騎士の前に差し出した。
「この町でしか飲めないカクテル。美味いよ。さっぱりする」
騎士はゆっくりとグラスを口につけた。その振る舞い一つ見ても、自分達のような平民ではないとサーシャは確信する。
「・・・美味いな」
「でしょう?あんたの住んでる所の酒に比べたら大したもんではないけどね。・・・ああ、ごめん。いい所の人なんだろうけど、言葉遣いを変えることが私には出来ないから。申し訳ないね」
「・・・大丈夫、気にしない」
そう静かに言うと、またゆっくりと酒を飲む。サーシャはその騎士との会話を終えると、常連への対応をしに騎士の前から移動した。
騎士は手を顔の前で組みながら、目でサーシャを追う。サーシャは常連と何気ない会話で笑っている。その姿を騎士は切なくもどこか愛しげに見つめていた。
そして、一言小さな声でこう呟いた。
「やっと、見つけた・・・・」