この世界最後にあったこと
「裕福」
僕は生まれた時から裕福だった。
だが、裕福だからといって幸福かどうかはわからない。
僕は残念ながら裕福ながらも不幸であった。
生まれてこのかた何かに困ったことはない。
何も困ることがないというのは異常なまでに退屈で不幸だ。
僕の勝手な持論だが、幸福というのは高低差があって生まれるものだと思う。
不幸あってこその幸福、ということだ。
よって不幸のない僕には幸福もない。
不幸がなかったせいで不幸なのである。
とこんなふうに幸福がなんだ不幸がなんだいってみたが、今は関係無い。
いや、「今は」というのはふさわしくない。もはや関係ない。が正しいだろう。
僕は死ぬことを選んだ。
これまでの人生で幸福というものを一切感じずに生きてきて、そして、生きる意味がないことにきがついた。
さて、もうそろそろ死ぬとしよう。
何も感じないこの世界からはさようなら、だ。
僕は自殺方法に飛び降り自殺を選んだ。
空を飛べたら幸福かもしれないと思ったからだ。
最後に少しでいいから幸福というものが知りたかった。
そして、僕は空を目指して飛んだ。
残念ながら飛んだとはならなかった。
ただ落ちて潰れただけだった。
痛いと思った。が、その痛みにすら不幸を感じなかった。
僕は、死んだ。