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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『芋』の料理人

作者: 馬頭鬼



 ──今日も、仕事か。


 白い頭巾の向こう側で、ポテル=フランドは嘆息していた。

 仕事が始まる時間になると、いつもこう……憂鬱になってくる。

 ……いや、今の仕事に不平不満がある訳ではない。

 彼がこうして生きていけるのは、この『仕事』があるお蔭なのだから。

 白い作業着に袖を通しながら、そう思い返したポテルは首を左右に振り、湧き上がってきた罪過の芽を振り払う。


 ──神は、怠惰を嫌う。


 七つの大罪の一つに数えられるその罪から逃れた彼は、純白の手袋をはめ、その指の具合を確かめる。

 彼の『仕事』に一番大切なのは、指であり……仕事を始める前の、この指の具合を確かめる瞬間は、彼の一日を占う、重要な作業だった。

 と、そうして彼が指の具合に意識を奪われた、その時。


「───、~~~っ!」


 不意に肩を叩かれたポテルは、いつの間にか隣に立っていたヨークという名の同僚の呟きに頷きを返す。

 だけど、残念ながら……彼が何を言っているかを、ポテルが知る術はない。

 ……そう。

 幼い頃、故郷近くで起こった戦乱に巻き込まれ、騎士の乗る馬に蹴倒されて聴力を失った彼は、それから延々と音のない世界で暮らし続けている。

 そうして戦災孤児となり、耳の聞こえなくなり、引き取られた叔父の家でも厄介者扱いされていた彼を救ってくれたのは、戦乱の慰問に訪れた教会の神父だった。

 彼らは耳の聞こえないポテルを疎んじることもなく、神の教えを説き、理を説き、文字や算術を教え、仕事まで手配してくれたのだ。


 ──だからこそ、俺は、教会に恩返しをするため、頑張らなきゃ、な。


 そう軽く頷くと、ポテルは肩を軽く回すと、気合を入れて階段を降り始める。

 彼は……教会で『芋の料理人』と呼ばれている仕事に就いていたのだった。




 ──よし、やるか。


 本日、ポテルに与えられた仕事は、そう難しくない。

 『芋』の皮を剥ぐ……ただそれだけなのだから。

 とは言っても、作業に手馴れている彼でなければ、色々と手間だろう。

 彼の使う器具は、短刀と鋏だけである。

 砥石で軽く器具の手入れをしたポテルは、その刃で薄暗い仕事部屋を照らす小さなランタンの光を映してみる。

 鈍く光る短刀は……使い込まれた証として、少し錆びが回っている上に、刃もかなり擦り減っていたし……

 ガタの来ている鋏は、錆びて歪んで螺子の部分が軋んだ音を鳴らす有様である。

 上司に申請したならば、新品を用意してくれるのだろうが……ポテルとしては、多少ガタが来ていたとしても、この手馴れた道具が一番指に合う。

 そうして道具の具合を確かめたポテルは、『仕事』を始めるために、ゆっくりと前へと……眼前に並ぶ『芋』の方へと歩き出したのだった。





 ──疲れた、なぁ、今日も。


 与えられた今日一日分のノルマを終えたポテルは、『芋』の汁だらけになった手袋を捨てながら、大きくため息を吐いていた。

 仕事の後、地下室から出て疲労を実感すると……いつも憂鬱になる。

 それはあの職場が、教会の地下の……日の光すらろくに当たらない場所にあり、カビと鉄錆と腐った『芋』の匂いで充満しているから、かもしれなかった。


「~~~~っ!」


「────っ」


 ふと視界の端で動くものを目で追ってみると……『裁縫』が得意なヨークと、『荷運び』が得意で力自慢のウドゥが何やら口を大きく開いていた。


 ──ったく。

 ──また、騒いでいるのか。


 ポテルとは対照的に、同じ職場を担当しているあの二人は、いつも仕事後に騒ぐ傾向があった。

 陰鬱な職場に耐えかねているのだろうと、あっさりと彼らから視線を外したポテルは『芋』の汁臭くなった作業着を脱ぎ棄て、いつもの服へと着替える。


「──、──?」


 そんな中、ポテルは肩を叩く手に振り返ってみると……そこには、彼の上司にして恩人であるエヴィーナ神官長が立っていた。

 慌てたポテルは頭を下げるものの、そんな彼の畏まった態度に神官長は苦笑を見せると……要らぬ礼など不要と言わんばかりに、すぐさま手紙を差し出す。

 その手紙を受取ろうとしたポテルは、まだ自分の手が手袋ごしに染み込んだ『芋』の汁で汚れているのに気付き……慌てて隣で着替え始めていたヨークの作業着で手を拭う。


「~~~っ! ~~~っ!」


 ヨークの奴は何やら抗議の声を上げたようだったが、生憎とポテルにその声は届かない。

 そのまま同僚の抗議を無視して、ポテルは神官長の手紙を受け取っていた。

 中に目を通した彼は、エヴィーナ神官長の眼前にも関わらず、その手紙を握り潰す。

 神官長はそんな彼へと気遣わしげな視線を向けてくるが……ポテルはただ首を左右に振るだけしか出来ない。

 何しろ、……今さら、である。

 戦乱に巻き込まれ、両親を失い、行く場所を失った彼を追い出した叔父が、今さら彼に帰ってこないなんて、そんな虫の良いことを言われても……

 ……受けれられる、訳がない。


 ──俺を救ってくれたのは、この教会、なんだから。


 決意を新たにした彼は、その羊皮紙を、もう一度念入りに握り潰す。

 どうせ成長した彼を、田畑を耕す農耕馬のつもりで手元に置こうと思っているのだろう。

 その手紙には、この教会に不穏な流れているとも書いてあったが……あの叔父はその程度の嘘は平然と吐くに違いない。

 ポテルは一笑に付すと……神官長に頭を下げ、作業場を後にした。

 明日もまた、仕事で……今日も早く寝なければならないのだから。




 翌日。

 短刀と鋏を手にし、このところ日課になりつつある『芋』の皮剥ぎをしていたポテルは、不意に肩を叩かれた。

 振り返ってみると……力自慢のウドゥが大型な彼自身の身体と、そして部屋の奥とを交互とを指差してみせる。


 ──ああ、またか。


 その仕草だけで、ポテルは同僚が何を伝えたいのかを理解し、内心でそう嘆息していた。

 同僚のウドゥは身体が大きく力持ちなのだが……少しばかり『怠惰の大罪』に取りつかれている気があるのだ。

 勿論、そのことを彼自身も恥じているらしいのだが……


 ──仕方ない、か。

 

 ポテルは少しだけ悩むものの……すぐにため息を吐いて諦める。

 この『仕事』に馴染めていないのか、ここ数日のウドゥの顔色は酷く悪く、仕事が終わった後には極端に笑いはしゃぎ暴れと、妙に不安定で……放っておけば病んでしまいそうにも思えてしまう。


「──、───」


 ポテルは隣にいたヨークに手振りで仕事を代わって貰うように指示を出すと……ウドゥの仕事へと足を向ける。

 そこには……ポテルの身体ほどもありそうな、饐えた匂いを放つズダ袋が転がっていた。

 ……しかも、五つも。

 これら全てに、『腐った芋』が詰め込まれているのだろう。


 ──コレは確かに……結構な手間、かもな。


 幾ら身体が大きくて力仕事に適していると言っても……ウドゥ一人にやらせるには少しばかり過酷な作業量だった。

 そもそもウドゥ自身、あまり主張するタイプではなく……最近は勤労意欲を見せない所為で、こういう雑用を回されているのだろう。

 大仕事を覚悟したポテルは、肩を軽く鳴らすと、彼にこんな大仕事を持ってきたウドゥの方へと視線を向ける。

 その先では……彼はもうズダ袋を一つ肩に担ぎ、通路を奥へと歩いていくところだった。


 ──ったく。相変わらず……


 無口で俯いたまま、礼をする仕草すら見せないウドゥを見て、彼は一つだけため息を吐くと……足元のズダ袋を担ぎ上げる。

 肩口からとてつもなく饐えた匂いが漂って来て……こんな仕事を続けていれば、ウドゥでなくても病気になりそうだった。


 ──さっさと、終わらせるか。


 肩に圧し掛かる重いそのズダ袋と、それが放つ悪臭とに耐えるべく、ポテルは奥歯を噛みしめると……そのまま足先に力を込め、石畳の廊下を歩き始める。

 この廊下をまっすぐに歩くと、教会裏口の崖があり……ゴミはそこから崖下へと投棄することになっているのだから。




 翌日、ポテルに与えられた仕事は、マッシュポテト……『芋』を叩き、潰す作業だった。

 その話を聞かされた途端、ポテルは憂鬱そうなため息を吐きそうになり……


 ──いかん。

 ──これも、我らが神のため、なのだから。


 すぐに、自戒する。

 確かに『芋』を叩き、潰す作業は、いつもの『皮を剥ぐ』作業よりも力が必要で、遥かに疲れるため、この手の仕事はウドゥに任されているのだが……

 肝心のウドゥが体調を崩してしまっているのだから仕方ないだろう。


 ──よしっ、始めるか。


 ポテルは手に『芋』を叩くための棍棒と、そして手のひら大ほどのサイズの『芋』潰しのための専用器具を手に取ると、並ぶ『芋』の方へと足を運んでいく。

 今日の『芋』はまだ新鮮なのか、作業手順を間違えると余所へと転がっていくようにも見える。

 そう感じたポテルは、近くにいた同僚に空いている左手で指示を出す。

 ……もう少し強めに『芋』を固定するように、と。

 彼の指示で同僚が革ベルトをきっちり締めたのを確認したポテルは、棍棒を大きく振り上げ……『芋』目がけて叩き下ろしたのだった。




 そんな日々の終わりは、唐突に訪れた。

 その日のポテルは珍しくヨークの『裁縫』を手伝い、暴れ回る『芋』の皮を縫い合わせているところだった。

 そうして十六針目を『芋』に突き立てたところで……ヨークの手が突如止まり、動かなくなる。


 ──おい?


 幾らなんでも堂々とサボり過ぎだろうと、白い頭巾の下でポテルは眉を吊り上げるものの……

 ヨークは、サボろうとは、していなかった。

 ただ別の……入口の方へとまっすぐに顔を向けているだけで。

 ……いや、違う。

 ヨークばかりではない。

 この地下室で働いていた、彼の同僚たちも一斉に入口の方へと視線を向けている。

 同僚ばかりか、今の今まで彼が針を突き立てていた、痛みと絶望に顔を歪ませていた『芋』すらも、入り口の方へ隠し切れない歓喜の笑みを浮かべて振り向いている。


 ──なん、だ?


 その時になって耳の聞こえないポテルは……ようやく非常事態が起こったことを認識していた。

 ……だけど、もう遅い。

 彼が振り返ったその時には、鉄の鎧に身を纏った王国の騎士たちが……治安維持を担当する人たちが押し寄せて来ていて……

 そんな騎士たちの間には、囲まれるように立っているウドゥの姿があった。


「~~~~っ!」


 それを見て、必死に逃げ出そうとしたのだろう。

 騎士に背を向けたヨークは、だけど逃げ切れず、下手に動いて目立った所為か、その背を槍によって貫かれ……


「―――、―――っ!」


 石畳の床に倒れ込み、じたばたと手足を動かし始める。

 ポテルの眼前で、まるで標本にされた昆虫のように……

 ……傷口から流れ出す血で石畳を汚しながら。


 ──何だ、これはっ?


 眼前で訪れたその光景を見た時、ポテルはようやく今、眼前で起こっている事態が、冗談ごとでも何でもない、『非常事態』であることに気が付いていた。

 だけど、もう……彼が何をしようとも、手遅れでしかなかった。


「~~~~っ!」


 彼の眼前には、鋼鉄のメイスを振りかぶっている騎士が迫っていて……




 それから、三日後。

 全身を殴打され、抵抗する気力すら失ったポテルは、騎士たちの手によって群衆の前に設けられた木の台の上へと立たされていた。


「死にやがれっ!

 このクソ野郎がっ!」


「外道がっ!

 地獄に落ちやがれっ!」


 そんな彼らに向け、群衆たちの口から罵声が放たれるのを、ポテルは呆然としたまま『聞いていた』。

 ……そう。

 過去、騎士の操る馬に頭を蹴られたことで失った聴力を、騎士の手によって振り下ろされたメイスの衝撃によって、彼は取り戻していたのだ。


「下種がっ!」


「さっさと死にやがれ、このゴミクズがっ!」


 ……だけど。

 彼をこの場に引きずり出した騎士たちも、彼に罵声を放つ群衆たちも、そんなことなど知る由もない。


「この者共は、巷に広まり始めた、新たなる信仰である、救済の神ンディアナガルの名を利用し、民草から財産を巻き上げていたっ!」


 そんな彼の隣には……エヴィーナ神官長の姿があった。

 ポテル以上の殴打を受けたのだろう。

 端正だった筈のその顔はもう見る影もなく、希望に満ちていた筈のその瞳はもう何の光も映さないほど、虚ろとなっている。

 両腕は、縄で縛る必要もないほど、ぐちゃぐちゃに潰れ……適当に止血だけしたらしき包帯の所為で、その手先は完全に壊死してどす黒い紫色へと変色してしまっている。

 もうあの腕は……二度と動かすことは出来ないだろう。

 そうして上司へと痛ましい視線を向けているポテルの身体は、突如として引きずられる。


「さらに、こちらの者は、教会への寄進に従わぬものを異端と称し、拷問を加えていた実行犯でもあるっ!

 この者たちは、そうして捕えた人々を『芋』と称し、言葉では言い表し切れぬほど残酷で凄惨な拷問を加えていたっ!」


 その騎士の叫びによって、群衆たちの口からは罵声が零れ……その手からは石が放たれていた。


「いい加減、死にやがれっ!」


「この、クズがっ!」


「貴様らの所為で、私の弟がっ!」


 ポテルはただ、身体へと石がぶつかる激痛よりも……耳から入ってくる罵声という醜い音に耐え切れず、顔を歪めていた。

 

 ──なんて、醜いんだ……


 手足を縛られ、耳を塞ぐことも叶わないポテルは、その罵声という醜い音を前に、聴力を取り戻したことを、全てから救済してくれる神ンディアナガルへと感謝することも忘れ……ただただ顔を歪めることしか出来なかった。

 そうしている間にも、彼の身体は木で造られた台の上に設けられた、鋼鉄製の台へと運ばれる。

 ソレは……ポテルの首を固定するのにちょうどよいサイズの台で……


「それっ! さっさと乗りやがれっ!」


「……ぐっ!」


 そのまま彼の身体は騎士の手によって、その鋼鉄製の台へと……斬首のための台へと叩きつけられていた。

 鋼鉄の台へと咽喉を叩きつけられた彼は、息を詰まらせ……

 そして、目を見開く。


 ──これが、音のある世界、か。


 眼前の群衆から彼へと向けられる、その憎悪の視線を直視し、彼へと向けられる罵声に耐えかねた所為もあっただろう。

 彼は背後の騎士がその手に持っていた斧を振り上げる気配を感じながら……

 何処となく安らいだ笑みを浮かべ、目を閉じる。


「……ああ、そうだ」


 そして、小さく呟く。


「人の声が、こんなに醜いのならば……

 俺の耳が何も聞こえなかったのは……」


 ──それこそが、俺に与えられた、ンディアナガル神の慈悲だったに違いない。


 彼が心の中でそんな神への感謝を呟いた、丁度その瞬間。

 騎士が振り下ろした斧は、彼の首と身体とを両断し……


 誰にも名を知られることもなく、『芋』の料理人……いや、神殿地下室の拷問官として生きて来たポテルという名の青年は、その命をあっけなく散らしたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 『……最低っ』 [気になる点] 『……最低っ』 [一言] 『……最低っ』 鋏のあたりで、「あっ……(察し)」になりました。
[良い点] 最後ンディアナガルの文字が出てきたこと [気になる点] 『……最低っ』(褒め) [一言] はじめは、異世界移転してしまった言語スキルを持たないポテトフライくんが、芋を使った料理チートで「い…
2015/07/16 02:18 退会済み
管理
[一言] 「めずきん、マジさいてー……」
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