第38話: 事件
年が明け、年末の紗童の暴走も無事終わった。
共に、広香さんの引退が近付いてきている。
…広香さんが紗童を引退しても、私は紗童を続けていけるだろうか…。
そんな不安がある。
紗童に入って半年。
毎日茂貴と一緒の為、メンバーの子達と遊ぶ事すらない。
未だメンバーと馴染めていない。
集会に行けば、それなりにメンバーの子達と仲良くはしてる。
でも、それも広香さん有っての私だと思うから。
広香さんの居ない紗童でやっていけるだろうか…。
寂しさと不安で一杯。
引退式を一週間前に控えた時。
珍しい人から連絡があった。
菜奈ちゃんだ。
紗童に入ったばかりの頃に、菜奈ちゃんと電話番号の交換はしていたが、電話が掛かって来ることもなければ、掛けることも無かった。
菜奈ちゃんからの電話が嬉しかった。
嬉しさを隠せず、電話に出た私とは裏腹に、菜奈ちゃんの声は焦っていた。と言いより、脅えている様に感じた。
言葉になっていない声を出し、一方的に話し続けた。
菜奈ちゃんがどうして焦っているのかは分からない。
けど、ただ事じゃない事が起こっていることは分かる。
『落ち着いて!』
私の声に菜奈ちゃんはやっと黙った。
『落ち着いて話して…』
『…広香さんが…広香さんが…』
電話の向こうで菜奈ちゃんは泣いているのが分かった。
『広香さんがどうしたの!?』
広香さんに何かあったの…?
一体何…?
菜奈ちゃんは泣いていて上手く話せない。
私は焦る気持ちを抑え、菜奈ちゃんが落ち着くのを待った。
しばらくし、落ち着いたのか、菜奈ちゃんは事の経緯を話し出した。
紗童のメンバーに私と同い年の遥と言う奴がいる。
遥はチームのメンバーから余り好かれていない。
はっきり言えば、嫌われている。
嫌われるには理由がある。
遥は訳も無しに喧嘩を売るのだ。
レディース、学生、誰彼構わない。
別に遥に被害を加えたから…でもない。
ただ気に入らないという理由。
でもまぁ、喧嘩をするしないは、遥の問題だから好きにすればいい。
しかし、遥の喧嘩は殴り合ったりとかいう喧嘩ではない。
相手を威嚇することが目的なだけだ。
事ある毎に紗童の名前を使ったり、広香さんの名前を使い、相手を威嚇するだけ。
そんな事を繰り返していれば、中にはやはり黙っていない奴もいた。
それが広香さんの耳に入り、遥の尻拭いをすべて広香さんがしてきたのだ。
そんな遥が何故紗童に入ったかというと、副総の翔子さんの中学の時の後輩で、どうしても紗童に入りたいと遥が頼み込んだそうだ。
翔子さんは遥を良い奴だからと言って、その言葉を信じた広香さんが紗童入りを許可したのだ。
その時の遥は、翔子さんが言った通り、本当に良い奴だったそうだ。
しかし、紗童に入り気が大きくなったのか、いつの間にか、今の遥に変わってしまったのだ。
翔子さんは、そんな風に変わってしまった遥を脱退させようと、何度も広香さんに言っていたが、広香さんは脱退を許さなかった。
…いつかは分かってくれるから。
…遥はまだ変われる。
…今見放したら、遥の居場所はなくなる。
そう信じていたのだ。
そんな広香さんの気持ちも知らず、また遥が問題を起こしたのだ。
でも今回は問題が大きすぎた。
遥は彼女持ちの男に手を出したのだ。
彼女持ちと知っての事だった。
それを知った彼女と遥は電話口で口論になった。
悪いのは遥。
しかし、遥は引かず
「自分は紗童のメンバーだ」
「自分に喧嘩を売る事は紗童に喧嘩を売ること。広香さんに喧嘩を売ることだ」
いつもの様にそう言ったのだ。
そう言えば相手は引き下がる。男は自分の物になる。
…と。
しかし知らぬは遥だった。
遥が手を出した男の彼女は、隣の県で、最強を語るレディースの頭だったのだ。
それを知った遥は、広香さんと翔子さんに泣き付いたのだ。
翔子さんは泣き付く遥をあっさりと見捨てた。
しかし、広香さんは遥を見捨てる事が出来ず、遥の代わりに話しを付けてくると出て行ったのだ。
勿論、翔子さんは止めた。
話し合いに応じる相手ではない。一人で行くのは危険だ…と。
しかし広香さんは、翔子さんの言葉も聞かず出て行き、翔子さんは後を追おうとしたのだか、それから広香さんと連絡が取れなくなってしまったのだ。
それで急遽、今から集会が開かれるという報告の電話だった。
『後、梓ちゃんに翔子さんからの伝言で、この事を達也さんに知らせてほしいって』
話し終える頃には、菜奈ちゃんの声は落ち着いていた。
私に話しながら、今の状況を菜奈ちゃんなりに把握していたのだろう。
『分かった』
…広香さんはどうなっちゃうのか。
冷静に話しを聞いたつもりだが、心中は不安で一杯。
私達は電話を切ると、自分が今出来る事をした。
不安で心臓がドキドキしてくる中、急いで達也さんに電話した。
達也さんに事の事情を説明すると、達也さんは落ち着いて状況を飲み込んだ。
電話を切り、早々に集会に向かった。
こんな自分に驚いた。
放心状態になりそうな程なのに、体は自然と動いている。
私ってこんなに強かった?
………違う。
私をそうさせたのは広香さんだ。
只、広香さんを思うが一心。
広香さんが心配で…
少しでも広香さんの役に立ちたい。
助けたい。
その思いが私を強くさせた。
私だけじゃない。
菜奈ちゃんも同じ。
そして今、紗童のメンバー全員が同じ思いだ。
――集会場所に着くと、既に翔子さんと佳奈さんを囲み、数人のメンバーがいた。
公園にはぞろぞろと人が集まり、直ぐにメンバー全員揃った。
二人を除いて…。
一人は今みんなが無事を願う広香さん。
そして、もう一人は、事の発端を起こした遥だ。
『梓!広香から連絡は?』
私を見るなり翔子さんは言った。
私には連絡が来る可能性はあると思ったのだろう。
私は首を横に振った。
翔子さんは、肩を落とした。
唯一の望みも失ったという感じだ。
翔子さんも佳奈さんも連絡が取れない。
そして私も。
この状況で、広香さんが他のメンバーに連絡をする事もないだろう…。
『…達也さんには連絡しました』
翔子さんは、その言葉に、少しの望みが持てたかの様だった。
しかし、どうする事も出来ないまま、時間だけが過ぎていく。
広香さんと連絡もとれず、居場所も分からず、当の遥とも連絡が取れず、ただ、日田すら、待つばかりだ。
メンバー誰一人言葉を出さない。
ただ一人、翔子さんは携帯で色んな人に連絡をしている。
公園には翔子さんの焦る声だけが響いている。
もう何時間が過ぎただろう…。
一向に広香さんからの連絡はない。
その間も翔子さんは、何時間も何時間も電話をかけ続けている。
…誰か広香さんの居場所を知っている人はいないか。私達は何も出来ず、翔子さんの電話の声を聞きながら、じっとしている事しか出来ないでいる。
陽が暮れ始めた頃に集まり、今は日が変わろうとしている。
―!
静まり返った公園に私の携帯音が響いた。
翔子さん含め、メンバー全員の視線が私を指した。
電話に出てもよいのか、翔子さんの顔色を伺った。
翔子さんは軽く頷き、私は電話に出た。
電話の相手は達也さんだ。
達也さんから告げられた言葉は余りに衝撃的で、私には荷が重すぎる…。
電話を切り、ただ呆然と立ち尽くす私に、翔子さんは電話の内容を問い質した。
私は、状況を呑み込めず、上手く話せない。
しかし、今達也さんから聞いたことをみんなに伝えなければならない。
…これが今私に与えられた役目だから。
『電話は達也さんからで…… 広香さん見つかったって……』
広香さんの居場所が分かり、曇っていたメンバーの顔が明かりを取り戻した。
そんなメンバーを余所に私は続けた。
『…達也さんが駆け付けたときには…… 広香さん…港で一人横たわってて…… 今は病院に運ばれて……まだ意識が戻らない状態だって』
時々、詰まりそうになる声を押し出し、なんとか最後まで言うことが出来た。
しかし、誰も口を開かない。
…時が止まってしまったかの様な静寂。
その時、勢い良く翔子さんは立ち上がり、走り出した。
翔子さんが何処へ向かおうとしているのか直ぐに分かった。
『駄目だって!』
私は叫んだ。
広香さんの元へ行かせてはならない。
翔子さんは足を止め、私を睨み付けた。
『どおして!?』
『誰も来ちゃ駄目だって… 達也さんが…』
『何でだよ!』
広香さんの居場所を探し、連絡さえとれず何時間も途方に暮れ、やっと居場所が分かったのに、広香さんの元へ行けないと言われ、苛立ちを露わに私にぶつけた。
『広香さんの為だって… 広香さんは今意識もない程ボロボロだから…… プライドの高い広香だから、メンバーにそんな姿を見られたくないだろうって…』
翔子さんが今すぐに広香さんの元へ飛んで行きたい気持ちは分かる。
でも、今は広香さんの気持ちを優先したい。
その気持ちは翔子さんも同じだった。
いや、私以上に広香さんを分かっての事だった。
翔子さんは行く事を止め、メンバーに今日の解散を告げた。広香さんが見つかった以上、こうして集まっていても仕方がないから。
そして、誰も広香さんの元へ行かない様にと。