焚き火
突然の天災。 あっという間に日常から切り離されてしまう。 そんな中でも決して絶望しない。 笑顔になりましょう。 笑っているうちは、生きていられるから。
どうしよう…。
いや、まず、何がどうなってるんだろう? 突然の轟音、そしてその驚きも覚めやらぬ内の濁流の襲撃。 それが昨日の昼間のことだ。
うん。 多分、昨日のことだと思うけど、本当に昨日のことなの? そう改めて訊かれたら自信を持って答えることが出来ない。 そもそも今日は何日? 何曜日? 今、自分自身がどんな状況に居るのか、全く理解できない。
今は勤め先の学校にいる。 ここに留まるべきなのか、それとも、より安全な場所を探すべきなのか、携帯電話は全く繋がらないし、固定電話も役に立たない。 電気も切れてるから、テレビは点かないし、最近はラジオなんて持ってない。 何がどうなっているのか、それがさっぱり判らない。 時として揺れる大地が、これは現実なんだと教えてくれる。
それにしても。 私の暮らしている世界はあっけなく崩壊してしまった。 こんなにもろいなんて、今まで考えたこともなかった。
とりあえず、学校で一夜を過ごした。 この学校の校舎が丈夫だったことは幸いだった。
とにかく、まだ生きている。 これからどうすべきなのか、それを考えないと。
私が挫けるわけにはいかない。
私より弱い存在がいくらでもいるんだから。 子供たちは私なんかより、もっとずっと不安を抱えてるはずだ。 この場所から動くな、そう言われてじっと我慢してるけど、でも、あの子たちがいつまで頑張れるか、それは私たちの助け次第、そんな気がする。
建物としては、この学校でもなんとかなるかもしれない。 けど、ここにはあの子たちの家族がいる訳じゃない。 彼らが家族と再会できるときまで、私たちが家族の代わりを果たしていかなければいけない。
その時、そんな子供たちがやってきた。
「せんせえ…」
「ん。 どうしたの?」
精一杯の笑顔を作ってから、子供たちを振り向く。
「あ、あのね。 おうちに帰りたいの」
「ごめんね。 今は、ちょっと無理だと思うわ」
「どうしてなの?」
「あぁ。 あのね……。 その、 今、道が通れないのよ。 いろんな物が流されて、道がふさがっちゃってて、すごく危ないから、今は学校から出られないのよ」
「せんせえ。 寒い……」
「わたしも」
情けないことに、最近のストーブというかファンヒーターなる高尚な暖房器具は、その燃料がガスだろうが石油だろうが、電気が通ってないと点かない。 とんだ盲点だった。
昨夜は、各自のロッカーにある着替えや保健室のシーツは言うに及ばず、体育館のマットやらで風を防いで、みんなで必死に寄り添って寒さに耐えた。 明け方の寒さは本当に辛かった。
日が昇ってから、多少は気温は上がったのかもしれない。 けど、それは多少だし、小雪がちらつくこんな日は、暖かくなどならない。 それに、昨夜の寒さで、確実に体力が削られているはず。 今夜も同じ状況だったら、かなり辛い。
とにかく、今、気持ちが限りなく後ろ向きだ。 まずは、頑張ろう、という気持ちを持てるようにならないといけない。
必死に周囲を見回しながら考えた。 何か出来ること、気持ちを後ろ向きから紛らわすことが出来るなにか。 そして、出来れば暖かくなれること。
このままでは、食料が足りないとか寒いとか、そんなことより、気力が萎えてしまう。 どうすればいいだろう? 何か出来ることはないだろうか……。
ふらふらと、特に考えもなく校庭を歩き回った。
と、私の目に飛び込んできたのは、学校の中にまで流されてきて、校庭のあちこちに積み上がってる色々なものだった。
きっとそう遠くない場所に建っていた誰かの家なのかも知れない。 もはや原型を留めてないので、はっきりとは判らないけど……。 一夜明けた今、そんな無残な残骸の山がその辺りにうずたかく積みあがっていた。
そんな残骸を見るともなく見ていたけれど、ふと思いついた。
あれは、見た目からして木のはず。 つまり、乾かせば燃えるんじゃないだろうか?
それは不謹慎、とも考えがない、とも思えたけど、でも魅力的な思い付きだった。
ぞろぞろと、私の後に付いて来ていた子供たちを振り返り、努めて明るい声を出した。
「ねぇ、みんな。 焚き火しよっか?」
「え? どうするの?」
「ほら。 あの校庭のあちこちに転がってるの、あれを校庭の真ん中に集めるのよ。 そして、積み上げたら、燃やすの」
「いいの?」
「いいのよ。 もう使えないもの。 焚き火、楽しそうでしょ?」
「うん…」
「ちょっと待ってて」
そう言うと、職員室にとって返し、用具室の鍵を借りた。
教頭先生が、不審そうに「きみ、何をする気だね?」そう尋ねてきた。 教頭先生は、普段から規則を重んじ、融通が利かない、そんな人だった。 とても流された木屑を集めて焚き火なんて不謹慎なアイディアを認めてくれるとは思えなかった。
「ちょっと、探し物を……」
口を濁して、何とか鍵を借りた。 職員室を出ようとする、その背後から「危ない事はしちゃいかんよ。 慎重にな」そんな言葉が追いかけてきた。
面倒な人に見つかったかな……。 そんなことも思ったけれど、この状況で、何かをしたい、その気持ちの方が大きかった。
そして、幸い教頭先生もそれ以上は追及してこなかった。
子供たちを引き連れて用具室を開け、リアカーを引っ張り出すと、みんなで一緒に瓦礫の山と格闘した。 思ったとおり、それは木屑の塊で、皆で木屑を崩してリアカーに積み込んだ。
「とげに気をつけるのよ。 手袋してね」
そんな注意をしながら、一緒になって木屑をリアカーに積み込んだ。 ばきばきと適当に木屑を壊す、そんなことは普段はできないことで、少なくともその瞬間、子供たちも結構楽しそうにしている様だった。
皆で積み込んだ木屑を校庭の真ん中に積み上げた。 その頃はもう、私も子供たちも焚き火の準備に向けて、夢中になっていて、子供たちの口からは白い息が勢いよく漏れ、頬は楽しそうに上気し、その顔には笑顔が浮かび始めていた。
皆で一緒になって木屑を積み上げると、いよいよ私は木屑に火を点けようとした。
子供たちを少し離れさせ、必死に木屑に火を点けようとした。 けど、やはり津波で流されてきた木屑は湿っている為か、火が点く気配は感じられなかった。
やっぱり、思いつきだけじゃ上手くいかないなぁ。 そんなことを思ったときだった。
「見ちゃおれんよ」
私の後ろで、ふいに教頭先生の声がした。 校庭の真ん中でやってるんだから当たり前だけど、当然の様に見つかってしまった様だった。 あぁ、ここまでか……。
怒られるだろうな……。
まぁ、そんなことはもとより覚悟の上ではあるけれど……。 子供たちの笑顔をもうちょっと見たかったけどな。
「申し訳ありません……」
でも、ここまででも、それなりに楽しんだかもしれない。 少なくとも、子供たちは朝より元気になったと思う。
けど、教頭先生の言いたいことは、私の予測したお説教では無い様だった。
「全く、危なっかしくて見ちゃおれんよ。 そんなやり方で火が点く訳無かろう」
「え?」
「これは、わしの得意分野だよ。 いいか? まず、こんなに湿った薪は、一度に沢山は燃やせない。 もっと風通しをよくして、それでも一番土台は風が吹き込まない様に……」
そう言いながら、私たちが作ったぐちゃぐちゃの山を、やぐらの形に作り変えていった。
「おい。 乾いた薄い木を探すんだ。 それを……」
いつの間にか、教頭先生が陣頭指揮で、やぐらの形が作られていった。
また、しばらく皆で作り直して、やぐらが完成すると。
「よし、みんなちょっと離れなさい」
そう言いながら、慣れた手つきでやぐらの基部に集めた紙に火を点けた。
皆の見守る中、しばらくの間、その火は頼りなさそうに揺れていたけど、やがて、やぐらの部分にも火が点き、勢い良く燃え始めた。
「うん。 こんなもんだろう」
「あったかーい」
めらめらと燃える火に照らされ、子供たちはさっきより元気になった様だった。
そんな子供たちの元気な姿を見ると、私も釣られて笑顔になれた。 ふと、教頭先生の顔を見上げると、教頭先生は穏やかに微笑んでいる様だった。
子供たちの少し後ろで、教頭先生と並んで立ち、子供たちの様子を見ていた。
「子供たち、笑顔になりましたね……」
「あぁ、 あんな笑顔が見れたんだ。 苦労した甲斐があるってもんだ」
「そうですね。 でも、驚きました」
「何がだね?」
「私、怒られると思ってました」
「普段だったら、もちろん怒ってたよ。 だが、今は普通じゃないんだ。 そんな中で無理にでも元気を出していかないといけないんだ。 あの子供たちの笑顔が答えだよ」
「そう、ですよね? 良かったんですよね?」
「今回は、な?」
そう言いながら、片方の眉を吊り上げてみせる教頭先生は楽しそうだった。
そんな教頭先生の姿は初めてみた。 まるでいたずらっ子みたいな、その表情が何だかおかしくて、そして嬉しくて、いつの間にか私は笑い出していた。
「うふふふ……」
今、私たちは一寸先のことはよく判らない。
けど、それでも私たちは生きていくことが出来る。 そう思えた。 理屈はわからない。 けど、みんなの笑顔が気分を明るくし、明日を信じる気持ちを支えてると思った。
明日は何をしようかな……。
そう。 明日も私たちは生きていく、またその明日も。
そんな当たり前のことが、無性に嬉しかった。




