「君のような悪女とは婚約破棄だ」と王子に捨てられましたが、彼の借金も愛人の化粧代も全部わたくしの家が払っていました
「クラリス・ヴェルハイム。君との婚約を、今日この場で破棄する!」
王宮の夜会場に、王太子アルフォンス殿下の声が響いた。
突然の宣言に、楽団の音が止まる。貴族たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
わたくしは扇を閉じ、静かに殿下を見つめる。
「理由を伺っても?」
「白々しい! 君は私の愛するビアンカをいじめた。身分を盾に取り、彼女を傷つけた。そんな悪女を、未来の王妃になどできるものか!」
殿下の隣では、男爵令嬢ビアンカが小さく震えていた。
「クラリス様、わたくし……怖かったです。でも、殿下が守ってくださると信じていました」
潤んだ瞳。
細い肩。
庇護欲を誘う声。
なるほど。
これが、殿下が最近夢中になっていた女か。
「そうですか」
わたくしが答えると、殿下は勝ち誇ったように顎を上げた。
「やけに落ち着いているな。だが無駄だ。私はもう決めた。君との婚約は破棄し、ビアンカを新たな婚約者にする」
「まあ」
思わず笑ってしまった。
殿下の顔が怒りで赤くなる。
「何がおかしい!」
「いえ。殿下は本当に、何もご存じないのだと思いまして」
「何だと?」
わたくしは侍女に目配せした。
侍女は頷き、用意していた書類の束を持ってくる。
厚い束だった。
三年分の帳簿、借用書、贈答品の明細、男爵家への送金記録。
すべて、わたくしが黙って処理してきたものだ。
「殿下。こちらをご覧くださいませ」
「何だ、これは」
「殿下がこの一年で作られた借金の一覧です」
広間がざわついた。
殿下の顔が引きつる。
「ば、馬鹿な。私は王太子だぞ。借金など」
「ございます。衣装代、宝飾品、狩猟会の費用、賭け札の立て替え、外遊時の未払い。合計で金貨八千三百枚」
「なっ……!」
「そしてこちらが、ビアンカ様への贈答品の明細です」
わたくしは別の書類を開く。
「真珠の首飾り。青玉の耳飾り。特注の香水。南方産の絹。王宮御用達の仕立屋で作らせた白いドレスが七着」
「そ、それは殿下がわたくしにくださったもので……」
ビアンカの声が震える。
「ええ。ですが支払いは、なぜかわたくしの実家であるヴェルハイム公爵家に回されていました」
今度こそ、広間がはっきりとどよめいた。
「殿下はビアンカ様を愛しておられる。けれど、その愛の代金を支払っていたのは、なぜか婚約者であるわたくしの家でした」
「ち、違う! 私はそんなこと知らない!」
「ええ。殿下は請求書をご覧になりませんもの」
わたくしは微笑んだ。
「ついでに申し上げますと、ビアンカ様のご実家であるモレル男爵家は、現在かなりの負債を抱えております。こちらが債権者の一覧です」
「や、やめてください……!」
ビアンカが悲鳴のような声を上げた。
「何をやめるのです? あなたは殿下の真実の愛なのでしょう。でしたら、あなたの家の真実も知っていただかなくては」
「クラリス! 貴様、そこまで性根が腐っていたのか!」
殿下が叫んだ。
わたくしは首を傾げる。
「性根が腐っているのは、婚約者の家に借金を払わせながら、その婚約者を悪女呼ばわりして捨てようとする方では?」
広間のあちこちで、誰かが息を呑んだ。
その時、低い声が響いた。
「その通りですね」
人々が一斉に道を開ける。
現れたのは、王妃陛下だった。
殿下の顔から血の気が引く。
「母上……」
「アルフォンス。黙りなさい」
王妃陛下は冷たい目で息子を見た。
「あなたの放漫をクラリス嬢が支えていたことは、こちらでも把握していました。婚約者として王家のために尽くしてくれていた彼女を、よりにもよってこのような場で辱めるとは」
「し、しかし、ビアンカは私を理解してくれて」
「理解?」
王妃陛下が笑った。
笑っているのに、まったく温度がない。
「請求書の一枚も理解できない女が、王太子を理解できると?」
ビアンカが顔を真っ白にした。
「わ、わたくしはただ、殿下をお支えしたくて……」
「支えるとは、贈り物をねだることではありません」
王妃陛下は扇を閉じる。
「アルフォンス。あなたの王太子位を一時停止します。正式な処分は陛下と協議の上で下しますが、少なくともクラリス嬢との婚約継続は不可能でしょう」
「そんな……!」
「モレル男爵令嬢。あなたには王宮への出入りを禁じます。男爵家の負債についても調査を行います」
「待ってください! わたくしは悪くありません!」
「そうですか。では、あなたが悪くない証拠を出しなさい」
ビアンカは何も言えなかった。
殿下は膝をついた。
茫然としている。
自分の愛がどれほど高くついていたのかを知ったのだろう。
わたくしは静かに頭を下げた。
「王妃陛下。これまでお世話になりました」
「クラリス嬢。あなたには苦労をかけました」
「いえ。よい勉強になりました」
わたくしは殿下を見る。
「愛だけでは国は回らない。請求書は、愛では消えない。殿下のおかげで、よく分かりましたわ」
その日から、わたくしは悪役令嬢と呼ばれた。
けれど構わない。
悪役で結構。
誰かの浪費を黙って処理する善良な婚約者より、よほど気分がいい。
そして数か月後。
王太子位を失ったアルフォンス殿下は、離宮で謹慎生活を送ることになった。
ビアンカの実家は負債の返済に追われ、社交界から姿を消した。
一方、わたくしのもとには隣国大使から縁談が届いた。
「あなたほど帳簿に強いご令嬢なら、我が国の財務卿も喜ぶでしょう」
そう言われて、わたくしは久しぶりに心から笑った。
恋だの愛だのは、しばらく結構。
まずは、請求書を自分で払える男とだけ話をしたいわ。




