母・セリア編(視点エピソード)
――私にとって、世界で一番大切なのはカナメ。
それ以外は、全部、どうでもいい。
王国? 家名? 名誉?
そんなもの、あの子の笑顔一つに比べれば、塵にも値しないわ。
(ああ……今日も可愛い顔で眠っているのかしら)
朝、私は鏡の前で髪を整えながら、思わず頬を緩める。
腰まで流れる白金の髪、女神と讃えられる美貌。
それを維持するのも、ただ一つ――カナメに「綺麗だ」と言ってほしいから。
「……昨日は、ぎゅってしてくれなかったわね」
ぽつりと呟き、赤い唇を噛む。
あの子は最近、少し私を避けている気がする。
――エリシアのせいね。
あの無機質な顔のメイド、隙あらばカナメを“独占”しようとしている。
私の可愛い子を……あんな無表情人形に渡すものですか。
◆
私はセリア=フォン=レクスハルト。
王国の名門、公爵家の血を引き、王妃さえ一目置く大貴族の令嬢。
そのうえ、魔導師としての才能は歴代最高と謳われた。
――そして今や、レクスハルト侯爵家の当主の妻。
けれど、そんな肩書きはどうでもいい。
私が女として、母として、誇れるのはただ一つ。
カナメをこの世界に生み落としたこと。
……あの瞬間、すべての幸福が約束されたと確信した。
初めて抱いたとき、あの小さな指で私の髪を掴んで――
(ああ、この子は、私の全てだ)
そう、心の底から思った。
だから、私は決めたの。
この子を、何よりも愛し、何よりも守り抜く。
例え、神を敵に回しても。
◆
……カナメは、少し変わった子。
無邪気で優しくて、でも――どこか諦めた目をしている。
子どもの頃からそうだったわ。
何をしても「……別に」と、どこか達観している顔をする。
それが、たまらなく愛おしい。
あの死んだ魚みたいな目を、私だけが輝かせてあげたい。
私はいつも考えている。
どうすれば、もっと甘えてくれるのか。
どうすれば、「母さん、大好き」って言ってくれるのか。
――だけど最近、あの子は成長して、背も伸びて……
(女の子たちの視線が、カナメに集まってる)
笑わせるわ。
私の可愛い子を、欲しがるなんて。
許さない。
どんな女も、近づけない。
だって――カナメは、私のものだもの。
◆
私は、裏で動いている。
王都にいる全ての令嬢候補を調べ、危険な芽を摘む。
「偶然」貴族令嬢の縁談話が消えるのは、誰のおかげかしら?
王族の婚姻計画を潰すために、いくつ王宮を動かしたことか。
(あの王妃、本当にしつこかったわね。……でも今頃、幽閉されてるでしょう)
カナメの未来を邪魔するものは、全部――消す。
手を汚すことに、迷いはない。
だって、母親でしょう?
自分の子を守るために、世界を殺すのは当然じゃない?
◆
「……カナメ、起きたかしら」
私は廊下を歩き、息子の部屋へ向かう。
扉を開けた瞬間――
「……ん、母さん?」
ベッドから顔を出したカナメ。
乱れた黒髪、まだ眠たげな死んだ魚の目。
……かわいい。
世界で一番、愛しい。
「おはよう、カナメ♡」
私はベッドに腰掛け、そっと頬を撫でる。
指先に伝わる柔らかな肌。
――熱があるわけじゃないのに、私の鼓動が早くなる。
「母さん……距離、近い」
「近くていいの。カナメ、母さんに“ぎゅ”ってして?」
「いや、恥ずかしいし……」
「じゃあ、母さんからするわね♡」
私は迷わず、カナメを抱きしめた。
胸に感じる温もり。
ああ、このまま――時間が止まればいい。
「……母さん、苦しい……」
「ふふ、ごめんなさい。大丈夫、すぐ終わるから」
――終わらないわよ。
◆
廊下の影から、視線を感じる。
……エリシア。
冷たい目で、私を見ている。
微笑みながら、私は彼女に視線を返す。
――宣戦布告よ。
カナメを渡すつもりはない。
この愛は、誰にも負けない。
(カナメ。今日も、母さんだけを見ていてね)
私は、頬にキスを落としながら、心の中でそう囁いた。
――世界で一番大切な私の子。
あなたの未来は、私がすべて決めてあげるわ。