アルグレア編(父の独白エピソード)
――私は、完璧な父でなければならない。
カナメにとっての、理想の父でありたい。
強く、頼もしく、誰よりもカッコよく――そして、何より「一緒にいて安心できる存在」でなければならない。
……それがどれほど難しいことか、誰も理解できまい。
私はアルグレア=フォン=レクスハルト。
この大陸で“英雄”と呼ばれた男。
帝国最強の剣士にして、数多の戦場を渡り歩いた伝説の軍神。
一振りで要塞を砕き、一騎で軍勢を潰走させたと恐れられた存在。
――だが、そんな肩書きはどうでもいい。
私は、ただの「一人の父」でありたいだけだ。
カナメの、父親として。
(……カナメは、今日もよく寝ているだろうか)
朝、執務室で書類を捌きながら、つい考えてしまう。
あの童顔で、眠たそうな目を擦る仕草。……可愛い。
あんな目をして「おはよう」と言われたら、私の心臓は毎朝、爆ぜそうになる。
だが、私は決して表に出さない。
父親として威厳を持ち、堂々とした態度で接する――そう決めている。
……嫌われたくないのだ。
父親を鬱陶しいと思われたくない。
「過保護」だと笑われたくない。
だから、私は全力で“理想の父親”を演じる。
しかし――その裏で、私は常に動いている。
息子に降りかかる可能性のある全ての火種を摘むために。
カナメが「安全で」「幸せで」「笑っていられる」ように。
そのためなら、王国一つ、帝国一つ、消える程度のことは、なんでもない。
……笑えるだろう?
かつて私は「国家の盾」と呼ばれた。
だが今の私は、ただの「一人の少年のために世界を切り裂く剣」だ。
◆
きっかけは、ほんの小さな違和感だった。
カナメが十歳を過ぎても、特別な魔力も戦闘能力も発現しなかったこと。
――英雄の血を引き、女神の祝福を受けた子なのに。
私は焦った。
「才能がないのではないか」などという愚かな噂を、必死に握り潰した。
笑止千万だ。
才能がない?
私の息子に限って、そんなことがあるはずがない。
私は、裏で情報を集め、古文書を漁り、神殿に賄賂を渡し、時に“口封じ”もした。
そして――ついに掴んだ。
カナメが持つ力、それは【無限合成】。
神話級の、世界でただ一人のスキル。
……その瞬間、私は震えた。
やはりだ。
やはりカナメは、選ばれし存在だったのだ。
私と妻の愛が生んだ、奇跡の子。
(だが――なぜ今まで目覚めなかった?)
理由は単純だった。
カナメは、優しすぎるのだ。
戦いたくない。争いたくない。
ただ、穏やかに生きたいと願っていた。
……その心が、彼の力を眠らせていた。
私は決めた。
この力を、誰にも悟らせない。
王にも、教会にも、帝国にも。
カナメを狙う者は――すべて、闇に葬る。
そのために、私は動き続けている。
表では、王に忠義を誓う英雄。
裏では、諜報組織〈黒鷲〉を使い、カナメに近づく不穏分子を始末する影。
盗賊団“黒の牙”?
あれは、カナメの力を試すために、私が裏で仕組んだ茶番だ。
……もちろん、手出し無用と厳命していた。
だが、エリシア――あの娘が思った以上に暴れすぎて、予定が狂ったな。
◆
カナメの前では、決してそんなことは言えない。
「お前のために、私は世界を動かしている」などと口にすれば、彼は嫌悪するだろう。
……そんな顔、見たくない。
だから、私は今日も“ただの立派な父”を演じる。
だが――演じながら、私は密かに願っている。
もっと、私を頼ってほしい。
「父さん、助けて」と言ってほしい。
私はその一言で、大陸すべてを敵に回しても構わない。
――いや、もう敵に回しているのかもしれないな。
王は私を恐れ、貴族たちは私を遠巻きにする。
構うものか。
私は、カナメの笑顔一つのために生きている。
……最近、あの子はエリシアに懐かれすぎだ。
あのメイド、目が笑っていない。
隙あらば、カナメを自分の世界に閉じ込めそうな危うさがある。
放っておけば、いつか牙を剥くかもしれん。
……殺すか?
いや、今は駄目だ。
カナメが泣く顔は見たくない。
ならば、支配下に置くまでだ。
姉のリシアも同様だ。
あれは、カナメへの愛情が姉弟の域を超えている。
……正直、血筋を恨む。
あれほどの美貌と力を持ちながら、どうして“あんな風”に育ったのか。
おそらく、妻の影響だ。
妻は――放っておくと、カナメを溺愛するあまり、平気で政を投げ出しかねない。
だが、それでいい。
私も同じだからな。
◆
夜、執務室で一人、剣を磨きながら考える。
カナメは、今日も私を「父さん」と呼んでくれた。
短く、素っ気なく、それでも確かに。
その一言で、私は何十年も戦ってきた価値を感じる。
――カナメ。
お前が笑っていられるなら、私は世界を敵に回す。
お前が泣くなら、その涙の原因を滅ぼす。
それが父親というものだろう?
私は、完璧な父でなければならない。
そうでなければ――お前に愛される資格がないからな。
(……次は、どんな“完璧な父親”を見せてやろうか)
私は静かに笑い、再び剣を握った。
その刃に映るのは――息子のために、影に生きる怪物の顔だった。
――世界など、どうでもいい。
お前一人いれば、私はそれでいい。