特別回 剣聖、公爵ヴァルディアス。息子のためなら、世界などどうでもいい
――剣を手にしてから、私は一度も敗北を知らなかった。
その名を聞けば、戦場の猛者でさえ震える。
“剣聖”ヴァルディアス・フォン・ヴァルディアス。
王国最強、いや、大陸最強の剣士と呼ばれ、幾多の戦を終わらせてきた。
だが――そんな肩書きなど、どうでもいい。
私にとって唯一の誇りは、ただ一つ。
カナメ。あの子の父親であること。
私は己の力を、家を、地位を、すべてを使って、あの子を守り抜く。
――たとえ、この世界を敵に回そうとも。
***
夜の王都を見下ろす執務室で、私は一人、深い溜息をついた。
窓の外、遠くに見える学院の塔が月光を浴びて輝いている。
そこに、私の息子がいる。
いや、あの子はまだ“学院の一生徒”などではない。
ヴァルディアス家の血を引きながら、戦を嫌い、争いを避け、ただ静かな日常を望む少年――それがカナメだ。
私は剣を愛した。戦場で生きる喜びを知った。
だが、カナメは違う。
剣を嫌い、力を振るうことを拒む。
それでいい。それでこそ、私の宝だ。
(――あの子の望みは、“ゴロゴロすること”。)
笑いそうになる。
世界最強の剣聖を父に持ちながら、息子の夢はベッドで寝転がることだ。
なんという贅沢。だが、それが愛おしい。
だからこそ、私は決めた。
カナメが“その望みを守れる力”を持たねばならないと。
戦場に立たずとも、ただ一撃で世界をねじ伏せられる絶対の力。
――あの子にとって、これは呪いかもしれない。
だが、私は親だ。
あの子が泣くことも、血を流すことも、許さない。
そして、カナメは覚醒した。
《無限合成》――神話級のギフト。
私でさえ知らなかった、ヴァルディアス家の血に眠る“創造の系譜”。
(……見たか、あの夜を。盗賊どもを一瞬で葬った力を。)
私は震えた。
あれは――私ですら届かぬ力の萌芽だ。
あの子は、やがて私をも超えるだろう。
その日が、怖いようで、嬉しい。
だから私は試す。
守るために、試す。
――カナメを狙う“敵”を、あえて泳がせて。
***
机の上の報告書を取る。
そこには、黒い印章。
“黒の牙”――王国最大の暗殺組織。
元をたどれば、あれは私が壊滅させた組織の残党だ。
私は奴らの牙を折り、主を斬った。
だが、残骸は地下に潜った。
そして今、再び牙を剥こうとしている。
“公爵家の坊ちゃんを狙う”――愚かだ。
だが、これほど都合のいい話もない。
私はわざと情報を流した。
“ヴァルディアスの嫡男は無力で、護衛も手薄”と。
嘘だ。
護衛はいる――エリシア。
あの女はかつて、王国を震わせた暗殺者だ。
私が斬り伏せ、そして拾った。
カナメに惚れ込み、命を捧げている。
狂気にも似た愛を抱えた女だが、息子を守るならば悪くない。
加えて、リシア。
カナメの姉にして、天才剣士。
あの娘は――私の血を最も濃く受け継いだ存在だ。
美しく、強く、そして歪んでいる。
弟への愛を、独占欲という形で燃やしている。
だが、それでいい。
あの子がカナメを守るなら、私は黙認する。
――二人の狂気が交わる時、何が起こるか?
それを見たかった。
カナメの覚醒が、どこまで進むのかを知りたかった。
***
だが、私は甘かった。
奴らは“獣”を連れてきた。
瘴気を纏う破壊獣――帝国製の禁忌兵器。
なぜだ?
あれは本来、王国には存在しないはず。
……裏で誰かが糸を引いている。
「ふっ……なるほど、そういうことか」
私は剣を取った。
腰の鞘に収まる、愛剣《黎明》。
久方ぶりに、血が滾る。
だが、それは戦士としての昂ぶりではない。
――息子に、手を出した報いを受けさせるための怒りだ。
***
執務室を出た時、私はもう“公爵”ではなかった。
世界を護る剣聖でもない。
ただ一人の父として、敵を屠る鬼になった。
「……待っていろ、カナメ」
呟きながら、私は夜空へ飛ぶ。
月を裂く疾風と共に、学院へと。
そこには、炎と血の匂いが渦巻いていた。
黒衣の軍勢が塔を包囲し、結界が崩れ落ちる。
そして、見えた。
――瓦礫を背に立つ、黒髪の少年。
その手に握られた、黒き剣。
魔法陣が足元で輝き、世界の理を組み替える異能が、あの小さな身体に宿っていた。
(……カナメ。やはり、お前は――)
私の胸が震えた。
誇りと、愛しさと、恐怖とで。
その全てを、剣に込める。
息子に牙を剥くものを、一人残らず――斬り捨てるために。
「“黒の牙”……その名、二度と口にできぬようにしてやる」
月光を浴びた剣が、静かに唸った。
――世界よ、覚悟しろ。
公爵ヴァルディアスは、今夜、ただの“父”になる。
息子を愛するあまり、理性を捨てた怪物となって。
そして、物語は血と炎の修羅場へ――。




