世界最強の夫婦喧嘩、開戦
鐘の音が止んだ。
いや、正確には――止められた。
轟くはずの警鐘は、今や空に散った光粒となって消え去っている。
原因?
空に舞う巨大な魔法陣。
王都全域を覆い、空間そのものを塗り替える超規模結界――
その中心に、白銀の髪を揺らす女がいた。
「――ああ、間に合った」
微笑むその姿は、慈愛そのもの。
だがその奥に宿るのは、狂気にも似た母性。
ルナリア・フォン・ヴァルディアス。
大賢者にして、世界最強の魔導士。
そして――俺の母親だ。
「お母様!?」
姉のリシアが絶句する。
学院の結界を無効化し、同時に別の結界を上書きするなんて――
普通は神話の話だ。
だが、母はそれをやってのけた。
(……やばい、完全にスイッチ入ってる)
俺は直感する。
これは“世界最強の母”モードだ。
目の奥が笑ってないもん。
「カナメ……あなた、怪我してないわよね?」
「い、いや、してないけど……」
「よかった♡」
そう言って、母は俺を抱きしめようと一歩踏み出――
ドォンッッッ!!!
地面が爆ぜた。
吹き荒れる剣圧。
その中心に、漆黒のマントを翻した巨躯が立つ。
「……軽々しく、カナメに触れるな」
低く、威圧を込めた声。
その手には、世界を両断する剣――黒曜の大剣。
ヴァルディアス公爵。
剣聖にして、無敗の英雄。
俺の父親だ。
(……おいおいおいおい)
嫌な汗が背中を伝う。
父と母が、対峙した。
――しかも、完全武装で。
「久しぶりね、あなた」
「こうして刃を向けるのはな」
「心配しなくてもいいわ。あなたを殺すつもりはないから」
「俺も同じだ。――だが、カナメを奪うなら、話は別だ」
「……は?」
思わず声が漏れた。
ちょっと待って、なんで俺が“奪う”とかそんな物騒な話に!?
「カナメは、私が守るわ」
「笑わせるな。俺の息子だ。守るのは俺だ」
「じゃあ、力で決めましょうか」
「望むところだ」
ゴゴゴゴゴ……
空気が震える。
母の魔力と、父の剣気が衝突し、空間そのものが軋む。
窓ガラスは粉々に砕け、壁が軋み、地面にひび割れが走る。
「……おいおい、本気でやる気か!?」
俺のツッコミなんて、二人には届かない。
完全に“夫婦喧嘩モード”だ。
だが、スケールがおかしい。
下手したら、学院どころか、王都が吹き飛ぶ。
「リシア! エリシア! 止めろ!!」
「無理よ。あれ、私でも入れない」
「ご主人様、死ぬ覚悟で突っ込むなら――一緒に」
「死にたくねえわ!!」
――ズドォォォン!!!
爆光が夜空を裂いた。
父の剣が一閃、母の魔導陣を両断する。
だが、その刹那――母の詠唱が完了した。
「――《星海爆葬》」
空に星が降り注ぎ、地平が白に染まる。
対して、父の剣が黒の波動を放つ。
光と闇がぶつかり、天地が震えた。
(……終わったな、これ)
俺は悟った。
ゴロゴロデー? もう二度と来ないかもしれない。
「――お兄様」
背後から甘い声。
振り返れば、リリアナ。
白銀の髪をなびかせ、冷たい笑みを浮かべていた。
「安心して。お兄様を傷つける者は――全部、殺すから」
「お姉ちゃんが先よ」
「ご主人様は私のもの」
修羅場トリプルコンボ、発動。
(……もう嫌だ、この世界)
――だが、その時。
黒鎧の男の声が再び響く。
「愉快だな、ヴァルディアス家。だが、遊んでいる場合か?」
振り向けば、学院の外――
王国軍の旗が翻っていた。
数万の兵と、無数の魔導砲。
そして、その後方には――
“王国の陰謀”を象徴する冷たい笑みを浮かべた影。
(……は? 今度は国家戦争!?)
父と母が、同時に俺を見た。
「カナメ、安心しろ。お前は俺が守る」
「いいえ、私が守るわ」
「いや、俺は守られなくていいからあああ!!!」
――こうして、世界最強の夫婦喧嘩は、王国を巻き込む戦争へと変貌した。




