特別回 「陰謀の裏側:王と父と黒の牙」
――静かな夜。
ヴァルディアス公爵の執務室は、戦場のような緊張感に包まれていた。
巨大な机の上には地図。王都と学院を結ぶ赤い線、その周囲に黒く塗りつぶされた領域。
報告書には――無数の死傷者の記録。
「……黒の牙、本隊が動いたか」
低く、鋭い声が室内に響いた。
ヴァルディアス公爵――その名を聞けば、震えぬ者は王国にいない。
剣聖、魔獣殺し、最強の騎士。
だが今、その眉間には深い皺が刻まれていた。
「“計画通り”なら、奴らは学院を狙わぬはずだった……」
机を握る拳が、木をきしませる。
(俺が操っていた……はずだった。カナメを脅かさぬ範囲で、“駒”として使っていたはずが――)
裏切られた。
胸を焦がす怒りと、別種の恐怖が混ざる。
カナメ――息子の顔が脳裏に浮かぶ。
黒髪のあの少年。
目は死んでいるくせに、時折見せる無防備な笑顔が――たまらなく愛おしい。
(守る。あの子を守る。それだけだ)
剣に手を伸ばしかけ――だが、深呼吸。
父は剣聖だ。だが剣を抜く前に、やるべきことがある。
「……ジェイル」
影が揺れ、一人の男が現れた。
漆黒のコートに身を包む、元暗部の長――公爵の腹心だ。
「準備を」
「敵対は、王国と学院、双方になるぞ」
「構わん」
「公爵……本気で、世界を敵に回す気か」
「息子を守るためなら、世界など軽い」
――狂気の決断だった。
しかし、その狂気の奥にあるものは、ただ一つの愛。
カナメを守る――そのためなら、剣聖は魔王にだってなる。
⸻
その頃、王城の最上階――謁見の間。
「報告しろ」
王の声が響く。
重厚な玉座に座る王は、冷たい瞳を光らせた。
「黒の牙、本隊が学院を包囲。現在、学院結界は崩壊寸前」
「ヴァルディアス公爵は?」
「沈黙を保っています。……陛下、やはり――」
「やはり奴が関与していたか」
王は唇を吊り上げる。
「このタイミングでの襲撃……偶然とは思えぬ」
「公爵を討ちますか?」
「まだだ。証拠がいる」
「しかし、このままでは学院が――」
「学院ごと潰れても構わん。公爵の“駒”とやらを炙り出せ」
王の命令に、周囲の重臣たちがざわめく。
そして、その中の一人――老魔導師が、低く呟いた。
「……問題は、あの女ですな」
「ルナリアか」
空気が凍りついた。
公爵の妻にして、世界最強の魔導士。
「動けば、王都が半壊するぞ」
「動かすな。それだけは――」
その言葉は、あまりに楽観的だった。
なぜなら――
⸻
同時刻、王都・魔導塔。
「……あの子が泣いてる」
白銀の髪を揺らし、魔法陣を描く女。
ルナリア・ヴァルディアス。
その表情は、普段の柔らかい笑みとは違う。
冷たい――それでいて、底に狂気じみた熱を宿していた。
「全部壊してでも、迎えに行く」
指先が走るたび、術式が連鎖し、光が塔を覆う。
魔導士たちが悲鳴を上げた。
「お、お嬢様!? 何を――」
「邪魔しないで」
ルナリアの声は、氷より冷たく、炎よりも熱かった。
「私の息子が泣いてるの。
――あの子を笑わせるのは、世界じゃない。私だけ」
瞬間、塔の中心で光が爆発した。
空が割れ、大地が震える。
王都を覆う結界が、まるで紙のように破れた。
「な……!? 術式レベル……王国級を超えている!?」
誰かの悲鳴が虚空に消える。
ルナリアは、何も聞いていない。
ただ、淡々と呟く。
「どけ」
声と同時に、魔導塔の半分が消し飛んだ。
「息子の邪魔をするものは――全員、消す」
彼女の背後で、光の翼が広がる。
“空間転移・超広域連鎖”――禁忌中の禁忌。
世界を歪ませる魔法が、完成する。
「お兄様の匂い……すぐに、会える」
――母の笑みは、甘く、そして狂気に満ちていた。
こうして、王都の夜は終わった。
そして、学院に――新たな地獄が降る。