8章 ドラゴン襲来 ─ 名誉ある死 ─
宿の部屋でくつろいでいると、外が騒がしくなっているのが分かった。
何事かと部屋を出て、宿の出入口に向かうと、家財を抱えた宿のおばさんが慌てて飛び出してきた。
「……どうした」
「あんた聞いてないのかい!? ドラゴンだよ!ドラゴンがこの街に近づいてるんだ!」
ドラゴン。
この世界では数百年に一度現れるという、災厄の象徴。
前世では漫画やアニメで何度も見たが、実物を見るのは初めてだった。
興味本位で空を見上げると、全身が赤い、美しくも禍々しい毛並みのドラゴンが空を滑空していた。
その口がわずかに動いていることに気づき、耳を澄ます。
「生贄を……よこせ……」
喋った。いや、喋っている?
試しに宿のおばさんに「ドラゴン、喋ってるな」と言ってみると、
「あんた、頭でも打ったのかい?」
――正直、殺そうかと思った。
だがここで殺しても得はない。今は我慢しておく。
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通りを走って逃げていた男を捕まえた。
「何が起きているのか?」と尋ねると、「ドラゴンが……」と言いかけたその頭を掴み、脳をシャットダウンさせる。
即座に影移動を使い、街から離れた草原へ移動した。
《生贄が欲しいのだろう? ここに来れば与えてやる。》
念話を飛ばす。
20km以上離れていたドラゴンは、わずか十数秒で草原に降り立った。
「お主、念話を使えるとは……ただ者ではないな」
「この街を守っただけだ。お前の願いを叶えてやった、それだけだ」
「ははは、面白い。700年生きてきたが、これほど面白い人間に会うのは初めてじゃ。名は?」
「サヴァン……サヴァン=ケルゼブブ」
「サヴァン、良い名だ。また会おうぞ」
「願い下げだがな」
「生意気な人間よ。しかし、感謝しておるぞ」
赤毛のドラゴンは、満足したように空へと帰っていった。
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街に戻ると、騒ぎが収まり、皆が安堵の表情を浮かべていた。
だが、ひとりの女性が取り乱していた。
「主人がいないのです!顔に傷のある細身の男なんです!誰か知りませんか!」
――ああ、俺が生贄にした男か。
だが、ここで俺と関係があるとバレるのは面倒だな。
俺はその女に向けて、記憶消去の魔法を放った。
「……あれ? 私、何してたのかしら?」
「さっき、旦那さんがいないって……」
「は? 主人なんていませんが?」
「いや、だからさっき……」
「おいおい、もうやめとけ。多分ドラゴンのせいで取り乱したんだよ。ほっとけ、そういうのは関わらない方がいいぜ」
女はふらりと通りを離れていき、騒ぎもやがて消えていった。
俺はフードをかぶり、宿へと戻った。
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部屋でくつろいでいると、影からネリウスが現れた。
「我が主よ……愚考ながらお尋ねします。あなたは……本当に人間なのでしょうか?
同族を脳死にしてドラゴンに差し出し、その妻の記憶まで……我ら悪魔ですら、思いつきませんぞ……」
「記憶消去の魔法が実戦でどれほど使えるか、試しただけさ」
「家族を持つ男を……生贄に……実に素晴らしい……」
「街が混乱すれば、俺の計画が狂う。彼は“必要な犠牲”だった。名誉ある死、とでも呼んでやれ」
「さすが、我が主……!!」
こうして、サヴァンはまたひとつ、
“ダークヒーロー”としての階段を上がった。