薔薇輝石(ロードナイト)9
レグラリア国が滅びて、人外戦争が始まった。
燃え広がる戦火の中を、正直、セルゲイはどうやって彼の地を逃げ延びたのかは覚えていない。覚えているのは、父の死体を目の前にして動かない妹の背中と、その前に崩れる瓦礫。それと、燃え盛る我が家の中で、絶命した母親の身体を見た事だけだった。
気付いた時には、グランセザリア皇国の端の民家に身を寄せて震えていた。
刀の一族、刀技の『オブシディアン』にしては、自身が少し落ちこぼれているのは、何となくわかっていた。長兄のセリアンは、だれが見ても次期当主に相応しい知能と技術、器の持ち主であったし、妹のセレスティニアは、まだ幼いにせよ、皆に幸せを振りまく様な輝きを持った娘だった。あどけなく、可愛らしく、誰もが彼女を愛さずにはいられない。当時の自分も、彼女が大切であった。
とても愛していた、妹として。
ただ、尊敬する兄は、少し、違うのではないかと。
セルゲイは、何となく、自身がセレスティニアを見るのとは違った視線を、セリアンから感じていた。
きっかけは、セリアンの一番傍にいるアルベルトの様子だった。誰にでも分け隔てなく接するアルベルトが、何故かセレスティニアにだけは、少し違う。妙に、厳しい。ただ、あからさまに、ではなく。セリアンの前では決して出ない、その違和感。しばらくして、アルベルトが、実は女性であることを、母の口からきいて、まさか、と思った。
それからも、セリアンの態度は、常に己の弟妹を優先していた。いや、セルゲイは、違うと感じている。
弟妹、じゃない、妹だ、と。
四ツ名の誓いを己たちの為に捧げると誓ったり、妹の婚約条件に、オブシディアン当主と、その後継者たる自身と勝利を条件としたり。
それが確証に変わったのは、セリアンが、妹を抱き締める時に見せた表情だった。
(そんな顔で、抱き締めていたのか、と・・・)
思わずその場にいられず、飛び出したのを憶えている。
困惑したようなセリアンが後からやってきて何かあったのかと心配そうに尋ねてはきた、が。とても言えるコトではない。きっとセリアン自身も、もしかしたら気付いていなかったのかもしれない。妹に至っては、気付いてすらいないだろう。家族から向けられる無償の愛を受けて、輝かんばかりの笑顔を向けている。
当時セリアンが二十三歳、セレスティニアに至ってはまだ七歳だ。十八歳だったセルゲイが自身の出した結論に衝撃を受けたのは言うまでもない。
同時にセルゲイは、もう一つの不安を抱えた。セレスティニアを思う、自分の事だった。日に日に可愛らしく、愛おしく思えてくる。自身も、もしかしたら兄と同じ様になってしまうのかもしれない、と。
いつか、年頃を迎えた彼女を見た、その時。
自分は、実の兄と争う事になるのか。それとも、実の妹を無理やり暴こうとするのか。
元々容姿に恵まれていると称えられた一族だ。それゆえに、と、解ってはいるが、どれだけの令嬢もセレスティニア程美しい人も、輝く様な人も見つけられなかった。
ますますこの恐怖にセルゲイは苛まれた。
そうして、兄が死んだとき、セルゲイの不安と恐怖はピークに達していた。
これ以上妹の傍にはいてはいけない、と。
兄が死んだことは、辛くて悲しくて胸が張り裂けそうなのに、どうしても、どこかに仄暗い悦びを見つけてしまう。これで、もう、セレスティニアは――――
そんな感情から逃げて、逃げて・・・。
たどり着いた戦線の先に、ノヴル=オルガヌスの王兄であり、勇猛名高い『アゼレヴィル=イウラ==イゼリア=オルガヌス』の軍がいた。セルゲイを知っている顔がいくつもあり、逃げるきるコトは出来なかった。それでも、憔悴しきったセルゲイの様子に、アゼレヴィルーーアゼルは、心を落ち着かせるための環境と、直接の語らいによる感情の吐露を許してくれた。
人には到底聞かせられないような話を、それでも、アゼルは辛い戦争のさなかでも、欠かさず耳を傾けてくれた。一歩間違えば『オブシディアン』としての名誉や権威が落ちるのではないかと思ったが、それでもアゼルは中央種特有のオレンジの瞳を細め、ニヤリと笑って、
「俺が吹聴したところで、誰も信じないさ。」
暗に、気にする必要はないと伝え、宣言通り、決して周りに漏らすことはしなかった。
一年も経過すれば、この将の下で戦いと思うほどには、アゼルに心酔し、そうしてセルゲイはノヴル=オルガヌスの一軍人として、彼の元で戦時下は戦っていた。
戦時中、『ノヴル=オルガヌス』のアゼレヴィルと言えば、将としての采配、そして一個人としての勇猛さを兼ね備える男として有名だった。
『人外戦争』にて、数多くの英雄が生まれてはいたが、その中でも五本の指に入る、といっても過言ではないだろう。彼のおかげで『ノヴル=オルガヌス』は戦時中、最も被害の少ない国として称されている。無論、人外たちのテリトリーとも言われる『未開の地』からは離れていたのも事実ではあったが、何より、指揮する軍の被害が少ない事でも、その評価は高かった。
これほど信頼に値する男はいない。
セルゲイは心からそう思っていた。
思っていた、のだが・・・。
「・・・・・。」
昔を思い出しながら、セルゲイは、ノヴル=オルガヌスの城から離れた離宮の一室を訪れていた。
賑やかな城下町と、華やかな城から少し離れたところに位置する、静かな場所だった。主に王族の静養の為に使われていることも多く、過去にセルゲイも、アゼルの配慮でここを使わせてもらったことがあった。
現在は、アゼル自信が滞在している。
戦後、様々な関係・対立を経て、王である弟との仲は複雑な物となっていた。それの全てを、セルゲイは把握しているとはい言い難い。それでも、自身が最も憔悴していた時期を支えてくれたのは、このアゼルであったから。
セルゲイは彼を信じ、静かに療養を重ねる彼をできる限り支えようと尽力してきた。
この国でのオブシディアンとしての地位も固め、妻も迎えた。子も出来た。純血ではない、ただ、周囲に求められて、せめて、と。東方種の血が半分入った妻が授かった娘は、黒髪に青い瞳の愛らしい娘だった。
純血でなくていい、ない方がいい。そう思っていた。
思い出すから・・・。
そうして、その日も、アゼルからの頼みで自ら使いに出向いた帰りだった。予定よりも遅くなり、夜道を急ぎながら、折角だから、アゼルに自身の手で直接渡したいと思った物があった。
多少遅くはなったが、きっと自分が言えば、顔を出してくれる。
そう、思い上がった、結果だったのかもしれない。
離宮の入り口で、門番に声をかけ、彼らが離れ、セルゲイだけがそこに残された、瞬間だった。
僅かな灯と、月にのみ照らされた、美しい離宮の庭の端が大きく揺れた。
「―――・・・っ!?」
セルゲイが油断なくその茂みを見据え、刀の束に手をかける。しばらくそこを睨めば、砂を、草を踏む足音が聞こえた。
目を凝らしてみれば、
「な・・・!?」
赤い、赤い目と視線が交わる。
美しい顔をした魔人の奴隷だった。赤い目がさらけ出され、朦朧とした表情のままセルゲイを見る。その首には、魔力封じの効果がある首環を嵌められ、素足のままよろよろと荒い息を吐き出しながら、セルゲイの元へと近づいてきた。
逃げ出そうとしたのか、それとも、奴隷商人はぐれてしまったのか。
どちらにせよ、これは問題であった。
なぜならノヴル=オルガヌスは新派、すなわち、『新アリシアン派』を認めている国だ。
『新アリシアン派』――魔人を人の下に見ずにその扱いを不問とした宗派。新興国家『ルミナスプェラ』が掲げる唯一神アリシアンの新しい教え。
ノヴル=オルガヌスはそれを受け入れた。数年前に王が自ら宣言したほどだ。無論、まだ浸透するまでには時間がかかるだろう、裏でそういったことが秘密裏に行われている可能性も否定できない。
それでも、それでも、だ。
ここは、王宮管轄の離宮。警備やその塀の高さからも、外から中に入って来たと考える事は出来ない。
つまり・・・。
「・・・・・。」
セルゲイが、言葉を失い、立ち尽くす。
すれば
「・・・セルゲイ、か。」
「―――・・・っ!?」
思わず、刀の束から手を離せないまま振り返る。
声の主は知っていた。
月明かりの下でたたずむのは、
「・・・アゼル、様・・・。」
「・・・・・。」
やっと、相手の名前だけを零したセルゲイが、それ以上何も言えないまま立ち尽くす。その様を、アゼルは僅かに目を細めて見つめ、
「・・・連れていけ。」
いつの間にか背後にたたずんでいた複数名の騎士に顎で合図を送る。すれば、騎士達は魔人奴隷を抱え、離宮の中へと連れて行ってしまった。
その様に、セルゲイは、息を飲む。
己の前で行われた光景は、決定的な瞬間だった。
「アゼル様・・・、どうして・・・。」
ぐっと息を飲んで視線を落したセルゲイを、アゼルは何も言わずにまっすぐに見つめる。そして、
「・・・追って、また伝える。」
それだけを告げて、そのまま背を向け、アゼルは離宮へと姿を消してしまった。
これ以上、その場に立ち尽くしているわけにもいかない。
セルゲイは、踵を返して、離宮に背を向ける。
そうして暗闇の中をやっとの思いで自宅へと帰った。ひどい顔色で帰ったセルゲイを、家族は心配しナニがあったか訪ねてきたが、セルゲイはこの時の事を誰にも話さなかった。
話すつもりも、なかった、のだが・・・。
「どういう、こと、です・・・。」
「むしろ、私が聞きたいのだよ・・・。」
翌朝一番で登城するようにセルゲイの元へ王から直接の託が飛んだ。一睡もできなかったセルゲイが少しやつれた様な顔で王に謁見すれば、アゼルの弟である現国王セルバスは困惑したような表情で、告げた。
「娘か妻を、人質として、提供せよ、と・・・。」
「な・・・。」
「我が兄、アゼレヴィルからの命令だ・・・。」
「なん、で・・・。」
真っ青な顔になってたたずむセルゲイを、心配したように王と王妃がセルゲイを労わる。
「私とて、こんな命令は出したくない。だが、いくら問いただしても、兄はそう言えと一点張りなのだ。」
「・・・・・。」
「何か、思い当たることはないか?」
「・・・い、え。」
言葉は否定をして、だけど、セルゲイの表情は明白に、昨日の夜の様を告げていた。自分が目撃したから、と。すれば、セルサス王は
「実は、一つ、私にも兄の事で思い当たることが、ある・・・。」
「・・・・・っ!」
すれば、セルゲイは勢いよく顔を上げた。セルサス王の顔が同意するかのように、歪む。
「・・・兄、は、戦時中、自身の妻が、魔人種によって、殺された。」
「―――・・・。」
それは、セルゲイも聞いていた。戦時中、手紙を受け取った時の、アゼルの表情も、嘆きも慟哭も見ていた。
「それ、ゆえにか・・・離宮で、魔人奴隷を手に入れ、恨みのまま、拷問を、繰り返している、と・・・。」
「―――・・・ッ!?」
瞬間、息を飲んだ。まさか、と。あのアゼルが。俄かには信じられないと、セルゲイは首を振る。
だが、
「・・・・・。」
昨晩、離宮で出会ったアゼルの、セルゲイに背を向ける様を、思い出す。
どうしても、信じたいのに、信じたい、のに・・・。
「まさか、そんな・・・。」
「ああ、やはり、そんな離宮の中にお前の妻や子供を差し出させるわけにはいかぬな!」
不意にセルサス王が、我に返ったように首を左右に振った。その様にセルゲイが縋る様な眼を向ける。だが、隣で王妃が震えながら、
「ですがセルサス様、それでは・・・!」
「・・・・・。」
セルサス王が奥歯を噛みしめる。そして、不意に、唐突に、
「セレスティニア、が、ルミナスプェラにいる。」
彼女の名を、呼んだ。
「え?」
あまりに突然の事に、セルゲイはしばし言葉の意味を理解できなかった。それでも王は告げた。
『セレスティニアは、ルミナスプェラにいる』と。
ナニを言いたいのかよくわからなかった。もはや十年以上も連絡を取っていない妹だ。むしろようやく忘れられていた、忘れられていたのに。
「兄は、言ったのだ・・・。人質に出すのは、セルゲイの妻か、娘か、・・・妹、と。」
「何故・・・。」
「わからぬ。もしかしたら妹が目的ではないのかもしれない。」
そういうと王は告げた。先日『イ=ラウ』国王ケルバスの副官から、ルミナスプェラでオブシディアンの姫を見かけたと。その際にある人物と仲睦まじくしていたのだが、
「その人物が、赤い目だった、と。」
「赤い、目・・・。」
ルミナスプェラの赤い目の人物と言えば国を超えて有名だった。人と魔人、唯一の混血と言われる男。単騎戦力最強とも言われ、単独で人災とも渡り合えると謳われる『白銀』。
クロウ=シキジマ。
「・・・彼が、欲しいのかもしれない。」
「・・・彼、が?」
妹ではない、といった希望が、セルゲイの中で膨らむ。自身で遠ざけた妹だが、だからと言ってとても人質にするようなことはできない。できないが・・・
「魔人に恨みを持つ兄だ・・・。正直、もはや正気かどうかも怪しい。だが、それでも私は彼を殺めることはできない・・・。」
「・・・・・。」
「・・・兄、なのだから。」
ぐっと兄を思い唇を噛みしめる様に、セルゲイが目を閉じる。
「妹、は大丈夫なのでしょうか・・・。」
「・・・わからない。ただ、ただ、とにかくまずはこの国に来てくれるか、聞いてみて欲しい。そうして、兄には少なくとも、妹を人質として差し出すとして時間を稼ごう。訪問するにしてもきっと時間はかかる。それは兄にも理解できよう。その間に、どうするべきか、考えたい・・・。」
もはや、セルサス王はそうするつもりらしい。
王としての決定された考えに、セルゲイはとても拒否はできなかった。
そうして、アゼルには王を通じて、セレスティニアの姫を人質に出す事を告げて、しばしの猶予をもらった。そう大きくお披露目なんて考えていなかったのに、セルゲイが考えるよりも先に王が動き、大々的に、セレスティニアとの会合が発表されてしまった。
そうすることで、彼女の存在が公になり、知らない間に消えてしまわない様に。彼女の安全のためだと言われて、セルゲイは何も言えなかった。
そうして、全く望んでいなかった、兄と妹の会合が、ここに決定してしまったのだ。




