EP.8:藍方石(アウイナイト)⑨
息が詰まる。
溺れる様に、喘ぐ。
そうして浮上する意識に、無理矢理、腕を引かれるようにして、
シオンは、目を覚ました。
冷たい、石の感触を頬に受け止めながら。視界に入る景色は、荒廃した、瓦礫の欠片。朽ちて、打ち捨てられた建物の亡骸が、転がっているのが、見えた。
落ちた、青いガラスの欠片がすぐ傍にあって、ゆっくりと空を見上げると、ひび割れて砕けたステンドグラスが視界の一部に入った。
そうして、シオンが、ゆっくりと体を起こす。
すれば落とした視線の先で、身の覚えのないレースや光沢のある布地が波打っているのが見えた。自身の動きと共に揺れる、その生地に、ハッとして自身の腕を見た。
いつもの防刃の上着も、黒の長袖でもない、王侯貴族の女性が身に着ける様な品の良い青いドレス。首元に触れれば、覚えのない、宝飾が飾られていて、それがあたかも捉えられた首環の様にも感じて、シオンはゾクリと背筋が泡立つ。
肩がや胸元が露になったドレスでは、これから陰っていく日に肌寒さを感じて、シオンは思わず手を擦りあげる。
ふと、すぐ横に、愛用の二刀を認めて
「・・・・・。」
こちらが武装することを、何の気にも留めていないと、嘲笑われている気がして、シオンぐっと奥歯を噛みしめる。同時に、
(ああ、やっぱり・・・。)
立ち上がれば、ドレスとはいえ、刀を差すための腰紐が回されている。ただ、それは決して後付けの様を呈してはおらず、色と生地を合わせた、きちんとしたもの。
元々刀と共に生きてきた『オブシディアン』の正装では、どれだけ正式な場であっても、男子も女子も、刀を帯びるのが常とされているから。そして、それは小国とはいえ、刀技の一族を重んじてくれた主への、絶対の忠誠の現れでもある。
ただ、もう、それを把握しているのは、シオンと、従者であったアルベルトだけであろうけれど。
二刀を腰に帯びて、シオンはスッと立ち上がった。
立ち上がると、わかる。
ドレスの裾も足首までの、しかも動きやすくスリットが入った代物だ。
どこまでも『オブシディアン』としての姿を押し付けられていることに、シオンは僅かに息が詰まる思いを感じて、ふっと一つため息をこぼした。
改めて周囲を見渡す。
荒廃した、何らかの跡地は、多分何か大きな建造物だったのだろうと推測される。すでに跡形もない外壁と、バラバラになって転がるレンガ。少し離れた場所に、砕け落ちて風に流された何かの跡があるけど、原形をとどめていなくて、元が何だったのかがもはや分からない。
ひび割れたとはいえ、絢爛なステンドグラスをながめながら、
「この、場所は──・・・。」
「旧レグラリア王国。王城内の、戴冠の間、ですよ?覚えておりませんか?」
背後から聞こえた声が辺りに響く。ゆっくりと振り返れば、そこには、背後で腕を組んでにこやかに笑うアルベルトが立っていた。
「ああ、よくお似合いです、お嬢様。」
ため息を吐くように、溢れた言葉。その定型文じみた響きに、シオンは子供の頃から抱える、アルベルトへの、僅かな恐怖がじわりじわりと染み出していく。
「フフフ、 純潔の東方種が持つ、黒曜石の髪と瞳。ああ残念なのは、何故に切り落としてしまったのか。」
「・・・・・。」
「まぁ、髪だけではなく?貴女は、他にも大事な物を落としていっていますからねぇ・・・。」
「・・・・・。」
アルベルトが、後ろ手に組んだまま、ため息混じりにシオンを見下す。そこまで大きく身長差があるわけじゃないのに、やけに目の前の人がやけに大きく見えると、シオンはこくりとのどを鳴らした。
こつりこつり、と。革靴が荒廃したかつての王宮の、床を、踏みしめる。ゆっくりと、シオンの周囲を円を描くように歩く。
「まぁ、少しハメを外すのは仕方ありません。それを正し導くのは、私の役目ですから。」
アルベルトが、すっとその手を差し出す。
「さぁ、改めて迎えにきましたよお嬢様。一緒にあの汚らわしい魔族共をことごとく根絶やしにするために!ルミナスプエラなど、滅ぼしてしまいましょう!」
その手を拒む事など、一片も疑ってはないように。
そんなアルベルトを、静かに見つめながら、
「アルベルト。」
僅かに視線を落として、シオンは目の前の人を呼んだ。当たり前で、どうしようもなくて、だけど、現実をもう一度、理解するために。
「もう、レグラリアも、オブシディアンも、今は───」
その手が、不意に伸びて、シオンの襟首をつかみ、自身に引き寄せた。
眼前で見つめる、アルベルトの、顔。
「まだ、お嬢様が、いるでしょう?」
「アル、べ・・・ッ」
「最後のオブシディアンとしての役目を果たしましょうよ、お嬢様。」
狂気じみたその瞳の先で、見つめ続けているのは、自身ではないことを、詰まるように呼吸の中でも、もはや、シオンは理解していた。
アルベルトは、今も昔も、ずっと、ずっと、ほんの少しも、シオンを見ては、いない。
アルベルトが、見ているのは、ただ、1人。
「誰も彼も、貴女のために死んだのに。」
「ぐっ、あ・・・」
「お前は、何故生き残っているの?」
「が・・・っ!」
「セレン様は、貴女の為に、死んだのに。」
─── ねぇ、お嬢様?
「セレン様を、取り戻してくださいな?」
「───・・・ッ!!?」
狂気の目の中に、どうしょうもない程の恋慕の想いを燻らせて、口の出す言葉はきっと心からの本音。縋る様な、縋る様な響きを乗せながら、アルベルトは、シオンの首をギリギリと締め上げる。僅かに浮き上がった足先に、シオンが必死で抵抗を重ねるが、
「何も、拒む事などないでしょう?お嬢様・・・。」
嗚呼、それを嘲笑うように、アルベルトは、不意に、彼女の首元から手を離してみせる。その場に膝をつき地に崩れ落ちるシオンを見下ろして、今度はその髪を掴み上げ、顔を上げさせ、視線を交わらせて。
「どうしょうもない貴女だけど、貴女にしかできないことがあるのですよ ねぇ?セレスティニア、様?」
「な、に・・・」
「東方種の純潔と『黒曜石』の血。」
再びばっと手を離して、今度はその体を足蹴にして、踏み躙る。
「それさえあれば、きっとセレン様は、蘇ります・・・!」
「・・・なに、を、言っている?」
アルベルトが、夢見がちな表情で、舞台役者さながら、天を仰ぎ、自らの体を抱きしめた。思わず、問いかけた言葉を、アルベルトは全く気にもとめず、シオンのカラダを踏み続ける。
「私の、主。私の、唯一の、人・・・。」
そして、我に返ったフリで、その足をどけてみせれば、歪なその笑顔で、ただ、ただ、
笑う。
嗤う。
嘲笑う。
「あぁ!ごめんなさい、お嬢様!セレン様を産む、大事な大事な、身体なのに!!」
「───・・・ッ!?」
大袈裟なまでに肩を震わせて、足をどかせてみせた。だけど、決して手は差し伸べず視線を下げて、ただ、ただ、彼女を見下ろすのみ。
シオンが、その頬を砂で汚しながら、思わず顔を上げてアルベルトを見上げる。理解の出来ない狂気と、それを示唆するような言葉に、淡く色付けされた唇が震えた。
その姿を酷く嬉しいのだと、アルベルトはその狂気の笑みを深く深く、その顔に掘りあげて見せる。
「ねぇ、お嬢様?東方種の純潔のお相手、探すのは中々大変でしたよ?」
「お、まえ・・・。」
「でも、その分、ちゃんとした純血です。ね?だから、何度も何度も、しっかり子種を受け入れてください。孕んだら、ちゃあんとお世話してあげますから。」
「───・・・ッ!!」
ただ一人生き残ってしまった、貴女を汚して汚して汚しつくせば、その先には、きっとあの人が待っているのだ、と、深淵よりも深く深く絶望した希望を、抱えて。
おぞましいその夢に縋るような眼で覗き込んでくる、アルベルトに、シオンは、身動ぎしすら、出来なかった。




