EP.8:藍方石(アウイナイト)⑥
「が・・・ッ!」
「おかしいですね。そんな甘ったれた育て方はされていない筈ですが・・・。」
弾き飛ばされ、壁に背を打ち付けて、室内故に小太刀だけを抜き放ったまま、シオンは荒い息をついて、アルベルトを、見上げる。
風を切るように刃を振り払って、アルベルトは顎に手を当てて首を傾げてみせた。
「まさか、お嬢様・・・」
「ぐっ、う・・・。」
「弱く、なりました?」
「・・・・・ッ!」
( クソッタレ・・・ッ! )
口に出さずとも、悪態を一つ付いて、シオンはふらふらと立ち上がる。
問答無用の誘拐に、流石に抵抗すると、至極不思議そうな顔をしてアルベルトは剣を抜いた。曰く『長く放置しすぎた故、少し躾が必要』と。
そうして屋内を気にせず振るわれた剣を間髪入れずに避ければ、その隙を狙って容赦のない蹴りが飛んできて、冒頭。
昔なら避けられたと言わんばかりの態度に、そんなわけあるかと、奥歯を噛み締める。そのまま、小太刀を抜き放てば、アルベルトが侮蔑の笑みでシオンを見下ろす。その様に、シオンは、完全にアルベルトが口を付く言葉とは裏腹に、シオンを主としては見ていないことを実感した。最も、今も昔も、アルベルトの主はただ一人、ではあるのだが・・・。
寝室を飛び出し、階段を駆け下りる。シオンが下まで降りたのを確認したアルベルトが、そのままふわりと舞うような仕草で吹き抜けから飛び降りた。
「・・・・・ッ!」
「あぁ、大丈夫、ご心配なさらないで下さい。」
── ちゃんと、手を抜いては差し上げますから。
にこりと嗤うその顔が、怖くて。荒い呼吸のまま、シオンはリビングに広さはあるものの、障害物が多すぎる。大刀は鞘に収めたまま、ただ、小太刀で間合いをはかりながら、牽制する程度しかできない。
凍て付いた様な空気の中、シオンの剣気に隠れた怯えすらも意に介さず、アルベルトは構えも取らず、シオンの動きを見つめていた。待っている、と言ってもいいだろう。
その空気に耐え切れず、シオンが構えた刀を、間合いをつめて振り払った。それを容易に受けて、二度三度、切り結ぶ。四度目、シオンの刀がダイニングテーブルに一瞬引っ掛かり、剣速が落ちれば、
「ほら、それ。」
同じ様に、剣筋にあるテーブルを、まるでないもののように、アルベルトの剣が通り過ぎて、直前で手首を返すから、剣の腹でシオンの胸を打ち据える。
「人を斬る刀で、物が斬れなくてどうするのです。テーブルなんてただの木ですよ?木なんて、木こりでも切れます。」
「ぐ・・・ッ!」
「ほら、とっとと息を整えなさい。相手に付け入る隙を与えれば、蹂躙されるしかないのですよ?」
「は・・・っ!」
「全く、本当に私がいないと何もかもダメですねぇ。」
アルベルトがうっすらと微笑む。
「ええ、ええ、でも、いいんです。それでいいんですよ?お嬢様。私がすべからく、貴女様の道を整えて差し上げますから。」
その顔がじょじょに満面の笑みへと変わって。無防備なほどにアルベルトがシオンに歩みを寄せれば・・・
「そこまでだ。」
「───・・・ッ!?」
「彼女から離れてもらおう。」
リビングと玄関を隔てる扉が空いて、
「エ、リ・・・。」
第二大隊長エリザベッタ=ラクシュミトフがサーベルを構えていた。
呻くようなシオンの声に、エリザベッタが、僅かに眉間に皺を寄せる。
「随分な扱いだな。大切なオブシディアンではないのか?」
「大切ですよ、大切ですとも!セレン様もオブシディアンの血も・・・!」
「貴方は大切な存在を足蹴にするのが趣味らしい。」
「セレン様も、オブシディアンも足蹴になんて恐れ多い!いと尊き方になんてことを!」
「・・・・・。」
エリザベッタは一寸も油断することなく、それでもその会話のちぐはぐさに、酷く違和感を覚える。
人災は、狂気に満ちているが、それでも目的があるとされていた。確かに、アルベルト=ルデラックの目的は、まだ分からないが、この人物にとってのシオンの存在価値は大きく、また大切であるはずだ。
それを、今は目の前で、半ば甚振るように、扱っている・・・。
(我々の認識が間違っていたのか・・・?むしろ、シオンの存在は、真逆なのか?)
しばらくの思案の後、エリザベッタは再度油断なくサーベルを掲げる。その姿を見つめながら、アルベルトは、ふぅむと、エリザベッタを、まじまじと眺めた。
「貴女のお姿は何処かで拝見した事がありますね・・・。」
「・・・・・。」
「あぁ、そうだ。人外戦争中も敵味方問わず人道的なやり方で称賛されていた、金色の常勝将軍。」
にんまりと笑う、その眼は笑っておらず。
「貴女の事、あんまり好きではないですねぇ。」
ぞわり、と背筋に走る殺気と、悪寒。エリザベッタと、シオンが思わず目を見開く。風切音と共に一歩踏み出したアルベルトの姿が、消える。
瞬間、壁も扉も、なにもかも切り裂いて、頭上から振り下ろされる刃を、辛うじてエリザベッタが防ぐ。カチカチと金属音が不快に重なる。
「ダメだ、アル!」
「お静かに、お嬢様。」
「アルベルト!」
咄嗟に、シオンが絞り出す様に叫んだ声を、意図も容易く一蹴して、笑顔でアルベルトが鍔迫り合いを制し、その身体を弾き飛ばす。壁に叩きつけられるよりも、先に、僅かに背後へ飛んで避けたエリザベッタが廊下に膝を付いて、血交じりの唾液を吐きだした。
こつりと、革靴が床を叩き、アルベルトがもう一歩踏み込む。
「すべからく必滅すべき、その怨敵にまでかける情けは楽しかったのでしょうか?理解できませんねぇ。」
「た、だ・・・ッ、女子供まで、斬る理由がなかっただけだ・・・。」
「大事な人を亡くした人の前で、そんな道理が通ると?」
「私、とて・・・夫と、子を、亡くした身。気持ちは、わかる。それでも、だ。」
「・・・お偉い方なのですねぇ。」
――― 理解できません。
容赦なく振り上げられる乱撃。室内をズタボロにしながら、壁を家具を扉を、ものともせず走りくる剣線を必死にエリザベッタが歯を食いしばって防いでいく。しかし、二の腕に、足首に、少しずつ増えていく生傷が、少しずつ彼女の動きを鈍くする。
「そろそろお休みいただきましょうか。」
「ぐ・・・っ!」
薄く笑って最後の一撃を繰り出そうとするアルベルトに、エリザベッタが覚悟と、相対の剣で迎える、そのタイミングで―――
「―――・・・ッ!」
その背に向かって駆け出したシオンが、低い位置から大刀を振り払った。
「残念、大ぶりですね。しかも、少し遅い。」
エリザベッタへの一撃を防御優先に変えて、より踏み込み、エリザベッタからの一撃を容易に払いのける。そして、間髪遅れたシオンの一撃をさけつつ、低い位置のその身体の、襟首をつかみ上げて、
「が・・・っ!」
その体を壁へと叩きつけた。
「シオン!」
アルベルトもシオンも、体系的にはそう変わらないように見える。そんな差がない相手の、しかも動いている体を、片手で容易につかみ上げ、叩きつける。
「なんて、ヤツだ・・・。」
「この剣も、体も、全て、全て、セレン様のためですから。」
――― ねぇ、お嬢様?
「・・・・・。」
何かが、おかしい。
相対すればするほど沸き上がる違和感に、エリザベッタは必至でアルベルトを見つめた。
どこか夢見心地に、アルベルトは狂った目で壁に貼り付けられてもがくシオンを愛でる。鮮血を振り払った剣を収め、その頬を優しく包み、
「さあ、そろそろまいりましょうか。」
「い、やだ・・・。」
「わがままをおっしゃらずに。」
「アル・・・!」
少し、困った顔の、だけど有無を言わさないその眼に、シオンがぐっと息を飲む。
うまく、抵抗が、できない。
「さあ、参りましょうか。」
そう言って頬を抑えていた体を優しく――強く、決して逃がさない様に押さえつけて。
「ぐ・・・!」
再び立ち上がろうとするエリザベッタに、アルベルトが冷たい眼で一瞥し
「あぁ・・・、置き土産に、もう一人くらいは屍にして放っておきましょうか。」
シオンを抱えたままでも、容易だという様に、冷たい笑みを浮かべたアルベルトが、剣の束に手をかける。再びエリザベッタに向き直るその姿を
「だ、めだ・・・。やめて、やめてくれ、アルベルト・・・!」
「さっきから煩いですねぇ。」
不快そうにアルベルトがシオンに舌打ちする。その様は、主を諫める態度というよりも、言うことを聞かない―――・・・。
「もう、行く。行くから・・・。」
「・・・・・。」
「従うから、これ以上は、もう、やめてくれ。」
「んー。別に、貴女が従う従わないにしろ、お連れするのは変わらないのですが・・・。」
「お願い、だから・・・。」
「まあ、いいでしょう、貴女にとって、従順は美徳ですよ。ご褒美をあげましょう。」
「・・・・・。」
剣の束から手を放したアルベルトが、シオンをしっかりと抱えなおす。
力を抜いたシオンが、その身体に身をゆだねた。いつも力強く、まっすぐに前を見続けるその眼が、諦観に伏せられてぼやける。
そのまま、エリザベッタの横をすり抜けて、ぼろぼろになった室内の奥の、扉から外へと消えていく。
エリザベッタが、奥歯を噛みしめて、その遠ざかる気配を感じながら、あの会議の時、フェルナンドがエリザベッタに告げた言葉を思い出す。
『シオンちゃんが攫われることは想定内、むしろ人災が、本格的に彼女を狙ってるなら、正直防ぎようがないよね?』
『ただ、人災だけの思考は読めなくても、そこに彼女という存在が加わる。それは向こうにとっては異物が混ざり、こちらにとっては思考も行動も―把握―できる相手が混ざることにもなる。』
『なにより、人災が彼女を求める以上、そこは彼女にとってある意味で最も安全な場所、でもあるから。』
『・・・・・。』
『軽蔑してくれていいよ、それでもオレは、誰を駒にして、誰を囮にしたとしても、可能な限り最大効率で、なにより全員が助かる道を選ぶ。』
「・・・シオン、すまない。」
エリザベッタは、苦痛の中で、小さくシオンを思い呟いた。




