三題噺壱
三題噺壱 お題「青 執筆 時計」
カリカリカリ、と神経質な音が部屋の中に響いている。昼間ですら締め切ったカーテンと分厚く並ぶ書棚のせいで薄暗く見えるこの部屋で、一人の青年が明かりもつけずにひたすらにペンを動かしている音だ。その音は神経質というよりも、もはや締め切りに終われる作家のもののようである。ひっきりなしに汚い字をのたくたと書いては、「ああ、これではいけない」とばかりにぐしゃりと丸めて後ろに放り投げる。病的と言ってもいいかもしれない。
傍らに置かれた時計の可動部分は電池を抜くという方法で止められて、数時間も前からその動きを止めていた。しかし今となってはその時計だけが青年の仕事を見守っている保護者であり、また青年に書くことを強要する獄卒であった。青年は時折苛々した視線を時計に送っては再度その役割を果たさせようと抜き取った電池を差し込もうとするのだが、その度に頭を振ってはペンを手に取るということを繰り返していた。彼にとってはその使い古したボールペンだけが相棒であり、悩みを打ち明けられる友だったからだ。そこに見張り番である時計の出番は存在しない。
「先生、いいですか?」
廊下から催促を求める声がする。締め切りが近づいているのだ。しかし青年はそれが決して担当編集の声ではないことを承知していた。なぜなら、青年が書いているのは青年が数年を掛けて研究してきた論文であり、論文の担当編集はこんなところまで原稿をとりに来たりしない。彼らは極めてドライなのだ。青年は先ほどの言葉を幻聴と決めつけ、作業に没頭する。どうせこの部屋には誰もいないのだ。ゆっくり執筆すればいい。勿論締め切りには間に合わせなければならないが。
そういって手を動かしていると今度は目におかしなことが始まった。白い紙にびっしりと書き連ねられた黒い文字が、次第に青くなっていくのだ。次第にそれは滲み出し、原稿用紙を真っ青に染めていく。青年は必死になってそれを止めようとするのだが、もはや紙はびちゃびちゃになるほどでありどうやっても間に合いそうもない。青年はあわてて部屋を飛び出すと家中の時計を確認し、バケツと雑巾を持って青い染みをどうにかしようと書斎に戻る。すると今まで青年の向かっていた机や、挙句の果てには座っていた椅子すらも青みがかかった色に変色している。無事なのは先ほどから電池を抜いてあった時計だけだった。青年にはそれがまるで時計が働かせろといっているように感じられた。
「先生、電池を入れてもらっても、いいですか?」
「駄目に決まっているだろう」
そう言って青年は時計を投げつけた。時計が壊れる音とともに、部屋は元に戻ったが、原稿は元に戻らなかった。




