文通
「はぁーーー」
ローレンスにブチギレてから1週間。私の後悔は増しに増していた。穴があったら入って二度と出てきたくない。
あんなことがあったにも関わらずローレンスからの贈り物は毎日途切れることはない。そしてそれを見るたび私の後悔は更に積み重なっていく。
冷静に考えればこれだけ毎日贈り物をくれるほどだ。さぞかし親戚として可愛がってくれていたのだろう。『白薔薇』では2人が絡むことはなかったが、ローレンスにとってもクレアは妹のような存在だったのかもしれない。そんな妹が大怪我から回復したのだ。思わず抱きしめるのも特に不思議なことじゃない。なのに…なのに…私ときたら………
(ザ・過剰反応!妹A子のくせに恥ずかしすぎる)
しかも、思い人がかわいそうだなんて。思い上がりも甚だしい。勝手に女性扱いをされたと勘違いしてキレるとか。ローレンスからしたら妹同然。「は?お前なんてそもそも恋愛対象以前だけど」てなるよね。
それなのに変わらずこうして贈り物を下さる。なんて心の広い方なんだろう。やっぱりローレンスは神だわ。なのに私ときたら…
「はぁーーー」
(もうため息しか出ない)
「お嬢様、考え事ですか?」
あの場にいたアーシャにはおそらく私のため息の理由はバレている。
「ローレンス殿下に申し訳ないし、恥ずかしいし、消えてなくなりたい」
「なんてこと言うんですかお嬢様。それこそ殿下が悲しまれますわ」
「王室の方にいきなりあんな失礼な態度を取ったのよ。もういっそのこと首をはねてほしいわ」
「お嬢様!冗談でもやめてください!それに殿下はそんな心の狭い方ではありませんわ」
「そうね。でもむしろそれが今はツラい」
「もぉお嬢様ったら。そうだ!お手紙を送るのはいかがですか?」
「お手紙?」
「そうです。お手紙でお嬢様の気持ちをお伝えするんです!」
(たしかにあのままは良くない)
アーシャに言われた通り私はローレンスに手紙を書くことにした。
手紙には先日のお詫びとたくさんの贈り物へのお礼。そしてそんなローレンスの心遣いにどれだけ私が救われているかをしたためた。
驚いたことに、王室へ手紙を届けてくれた使者はローレンスからの返事を持って帰ってきた。
そこには、自分は先日のことは気にしていないので謝罪は必要ないということ。それより体調はどうか?なにか食べたいものや欲しいものはあるか?贈り物のお菓子やお花で気に入ったものがあるか?などと書かれていた。
ローレンスの手紙からは彼の優しさが溢れていた。私への気遣いばかりが並んでいたから。
私はその日眠るまで何度も何度もその手紙を読んだ。
翌日、私はまたローレンスに手紙を書いた。
彼からの問いかけへの返答だった。問いかけには答えるべきだと思ったし、それでこのやり取りは終わると思った。
しかし使者はまたローレンスからの手紙を持って帰ってきた。
その日から私とローレンスの文通が始まった。
便箋に数行ほどだった手紙はいつしか2枚になり3枚になった。
今日はなにをしたか。どんな本を読んだか。どんな感想を持ったか。その本に興味があるならきっとこの本も楽しめるだろうから読んでみてほしい。
そんな毎日の他愛ない話から、ローレンスの父親と私達の父親は同じ年齢で、幼い時から常に一緒。親戚であり幼馴染みであり親友でもあるという話も教えてくれた。それはまさに今のローレンスとウェルツの関係と同じだった。
又、キースとは剣術の訓練場で出会い、仲良くなった3人は常に一緒に遊び一緒にイタズラをし一緒に怒られたという話。
そして《いつからか我々3人にクレアが加わったんだ》と。
ある時、ダメだと言ったのにどうしても聞かず3人の遊びに加わったクレアが怪我してしまった。顎の右下あたりを切ってしまい血がドクドクと流れている。しかし自分のせいで3人に迷惑をかけると思ったのか、クレアは平気だと笑ってこのまま遊ぼうと言う。結局すぐに城に戻り3人は大人達から大目玉をくらったが、クレアは悪いのは自分だと泣き叫んで手がつけられなくなってしまった。
《幼く可愛いクレアの中の強さに衝撃を受けた出来事だったよ》
《まだ少し傷が残っているよね。でも私にとってはその傷すら愛おしいよ》
鏡で見るとたしかにうっすらと傷がある。
クレアの6歳の誕生日。3人はクレアにイタズラをしようと、プレゼントだと言ってキレイに包まれた小さな箱を渡した。中身は瓶に詰めたクモの死骸だった。それを見たクレアは一瞬嫌悪に眉を顰めたが、必死に涙をこらえながら無理矢理笑顔を作って「すごく嬉しい」と言った。
《二度と君を欺かないと誓った日だ》
クレアの真っ直ぐな健気さに3人はその場でクレアを抱きしめ謝罪し用意していた本物のプレゼントを渡した。
《その日以来、誰も何も言わなかったが、我々はいつも君を喜ばせたいと思ったし、笑っていてほしいと思うようになった。君に甘々になったのはあの日がきっかけだったんだろうな》
ちなみにそのクモは、3人からのプレゼントだから絶対に捨てないと言い張るクレアを必死で説得し、庭にクモの墓を作ることで一件落着したらしい。
《クレアはどんなときも我々を慕い肯定し受け入れてくれた。そんなクレアに恥じない自分になりたいと、ずっとそう思って生きている気がする》
私はローレンスに、記憶が失われていることを話すことにした。
既に皆が知っていることだと甘えて生きているような気がしたのだ。記憶がなくても不便のない私の毎日は、皆のさりげない気遣いと優しさで成り立っている。私の問題だ、なんて甘えだし驕りだ。
そしてそれをそのままローレンスに伝えた。
《打ち明けてくれてありがとう。甘えているなど考える必要はない。皆が君に優しくするのは、これまで皆が君の優しさに触れていたからだ。優しい人の周りには優しい人が集まるんだ》
(ローレンス、優しいのはあなたです)
記憶がないことを話して以降、私はそれまで以上に様々なことをローレンスに話すようになった。肩の荷が下りた、鎧を脱ぐことが出来た、そんなところだろうか。面と向かっては話せないようなことも手紙になら書けた。いつの間にか私にとってローレンスはウェルツよりなんでも話せる相手になっていた。
ある日のこと、彼から一緒に街へ行かないかと誘われた。私が気に入ったと言ったお菓子のお店に行こうと誘ってくれたのだ。お店にはもっとたくさんの種類のお菓子があるし、お店の中で食べることもできるよ、と。
(街!行きたい!でもさすがに2人きりというのは…)
頭の中に浮かんだのはメリッサの顔だった。その時、何故か胸のあたりがズンっと奥へ引っ張られるような感覚に陥った。
(んんん?)
私はペンを取った。
《とても嬉しいお誘いありがとうございます。ではウェルツとキース様も誘って皆で行くのはいかがでしょう。殿下もどなたかお誘いになりたい方がいらっしゃったら是非》
私は「どなたか」と書いた。メリッサとは書かなかった。
1つには、怪我をして以来学校を休んでいる記憶のない私がメリッサという名前を出すのは賢明ではないと思ったのだ。以前、ウェルツに彼女の名前を言ってしまったことは明らかに軽率だった。
2つめの理由は、何故かわからない。でもその時、私はローレンスとの手紙…2人の手紙の中に彼女の名前を書きたくないと思ったのだ。
(なんだかモヤモヤする)
ローレンスからの返事をこれほど苦しく沈んだ気持ちで待ったことはなかった。
ウェルツはそんな私に気づき声をかけてくれたが、私は「なにもないわ」と答えた。
なにもない、そうなにもないはずだ。ローレンスがメリッサを誘うと言ったところでなにもない。そもそもローレンスはメリッサが好きなのだし、むしろ自然なことだ。
(何故こんなに苦しく胸のあたりがモヤモヤするんだろう)
ウェルツの冗談にも笑えないし、美味しいはずの食事もお菓子も味がしない。
ぼんやりとベッドに腰掛け、ローレンスから届いたピンク色の薔薇を見つめた。
頬に冷たいものを感じて指で触れた。それが涙だと気づくのに数秒かかった。
私はその晩、この世界に来てから初めて泣いた。
(妹A子の身の程知らずな片思い)
「小説のタイトルじゃん」
私はローレンスのことを好きになっていたのだ。
たった2ヶ月ほどの文通。期間にしてはそう長くはない。それでも手紙は毎日交わされた。
彼から贈られた花の香りが漂う部屋で彼を思い、彼の言葉に笑い、励まされた。
いつの間にか彼への気持ちが積み上げられた毎日だったのだ。
それはもう推しキャラへの『好き』とは全く違うものだった。いや、いつからか私はローレンスが最推しキャラだということも忘れていた。
「ほんとバカだなぁ、ガチ恋は不毛だって」
私は両手で両頬を軽く叩いた。
「勘違いするな、妹A子よ!ちょっと優しくされて舞い上がってるだけ。うん、そうだわ」
「というか、そもそもこの段階で私失恋決定だし。ハハハ…結末が見えてる世界もなかなかしんどいな」
笑ってはみたものの、涙は止まってくれなかった。
ウェルツがおやすみの挨拶をしに来てくれたが、私はシーツを頭から被り寝たフリをしていた。
いつもようにシーツの上から私の頭を撫でキスをくれた。
その瞬間これがローレンスだったらと思った自分に絶望した。