クレアとは
再び目覚めるとキラキラした視界は更にキラキラ度を増していた。
語彙力に呆れるが、そうとしか表現できなかった。とにかく何もかもがキラキラなのだ。
窓から射し込む陽の光で部屋中が明るく煌めき、肌を撫でる優しい風は木々や花々の香りを運んでくる。
(お姫様だ)
親に捨てられ施設で育ち、高卒で入った職場は驚くほどにセクハラモラハラの嵐。ついにキレた私はオヤジ上司達に抗議と反論を並べ立てそのまま退職。
次の仕事はなかなか決まらず、とりあえず始めたアルバイト先で出会った男と付き合い始めたが、ある日、浮気現場に遭遇。もちろん思いきり殴ってやった。翌日、男は貸していた私のなけなしのお金と共に消えた。
家族も友人もいない、なんの魅力もない世界と救いのない人生。
そんな私の唯一の楽しみはマンガを読むこと。食費を削ってでもマンガを手に取った。マンガはツラい現実を忘れさせてくれた。私の救いだった。マンガは私を別世界に連れて行ってくれた。別世界に………。
あれは冬の夜だった。歩道橋の上で若者達が老婆にからんでいた。やめときゃいいのに間に入り、若者に説教した。その直後だ。
私は落ちた。
背中に衝撃を感じたと同時に冷たい夜の空気が肺を埋め尽くした。
(ああ、落ちてる)それが最後に浮かんだ言葉だった。
なのに今、私は温かな寝具と極上な肌触りの寝着に身体を包まれ、穏やかな空気が流れる超高級ホテルのような部屋で「お嬢様」と呼ばれている。
これは紛うことなき別世界だ。
夢というには頭と身体の痛みが尋常ではない。とはいえここは日本でもなければ、私が生きていた時代でもない。何より私自身のこの見た目。
転生。そんなことがあるのかと思いもするけれど、あった。あるのだ。私自身がその証明だ。異世界転生。しかも私が最近ハマりにハマっていた『白薔薇』の世界に。
(やったぁぁあああ!!めちゃくちゃ嬉しい。信じられない、もう本当にめちゃくちゃ嬉しい!)
『孤高の白薔薇は愛に咲く』は誰にも愛されることなく育った美しいヒロインが王太子に愛され幸せになる王道ラブストーリー。
私がハマった理由はただ1つ。
顔がいい!
ヒロインもヒーローもサブキャラも、誰も彼も顔がいい。好きすぎた。どストライクのオンパレード。毎ページ毎コマ全てが眼福。
ちなみに、そんな『白薔薇』の世界に魅せられた者たちは自らを『薔薇リスト』と名乗った。もちろん私も『薔薇リスト』だった。
(神の所業でしかない『白薔薇』の世界に私は転生したというの!?これが至福でなくて何が至福!?あ〜〜〜まずい、叫びそう)
身体が痛くなければ転げ回って喜びを表現したいところだ。
さて、そんなこんなで世界設定は確認OK。次に重要なのはもちろん私『クレア』だ。
残念ながら(いや、当然ながらか!?)私はヒロインではない。
この物語のヒロインの名前はメリッサ。メリッサ・ハングウェイ。彼女の美しさは私が読んだ多くのマンガの中でも1位2位を争う。なりたい顔ナンバーワン(私調べ)だ。
それに比べて、昨日鏡で見た私クレアはかわいい系。愛らしいという表現が似合う。私的にはめちゃくちゃかわいいと思う。が、メリッサがいる以上、この世界では残念賞だろう。それでも元の私からしたら神様に感謝しかない。
さてクレアは誰か。って、もう答えは出ているんだけれど。
その答えは昨晩やって来た。私の額にキスをして眠るまでそばにいてくれたその人、ウェルツだ。
ウェルツ・ラインベルト。
学業優秀、容姿端麗。しかし彼もまたこの物語のヒーローではない。
ヒーローの名はローレンス・シャルルドーラ。シャルルドーラ王国第1王子にして王位継承者。これまた学業優秀、容姿端麗、温厚篤実つまりは完璧。そう、もうね、完璧なんですよ皆様。ほんっとに好き!かっこいいの!美しいの!こんな人が現実にいるはずない。わかってるんです、わかっているのにもうたまらなく好き。たとえマンガの世界でもいい、もうマンガの世界に生まれたい、彼のいる世界で生きれるならなんでもいい。マンガ好きの女なら必ず1人はそんな風に愛するイケメンヒーローがいるはず(私調べ)。
(待って、もしこれが本当に白薔薇の世界なら、ローレンスが…ローレンスと…ローレンスを……うっ、鼻血出そう)
(いやいや、とにかく、とにかくまずは私を確定させなければ)
ウェルツの父親とローレンスの父親である国王陛下は従兄弟同士。
家柄もウェルツ本人もヒーロー要素十分。
しかし彼はあくまでサブキャラだった。ローレンスというイケメン王子様を凌ぐほどの人気を博してはいたが。
回を増すごとにウェルツが多くの読者から絶大な人気を得た理由。
それは彼の『残念』さ。彼は正真正銘のシスコンだった。彼のセリフには全て「妹」という単語が入っている。
「ローレンスおはよう。今日も俺の妹が可愛かった」
彼らの会話は毎朝この挨拶から始まる。
「俺にとって世界は妹だけだ」
「俺が好きなのは妹だけだ」
「妹のためならいつでもこの身を投げ出そう」
いったい何度こんなセリフを読んだだろう。
当て馬資質を持ち合わせているにも関わらず、彼はヒロインのメリッサには1ミリも心を奪われることはない。むしろローレンスとメリッサの恋を絶妙なタイミングで見事にアシストしてくれるシスコン全開の最強『残念キャラ』。
コメント欄には薔薇リストからウェルツへの愛あるツッコミが溢れかえる。
《今回も安定の妹推し》
《ウェルツはやっぱりウェルツだった》
更に薔薇リストを惹きつけたのは、彼から狂おしいほどの愛情を注がれている妹の、不在、だった。
《で、妹どこよ?》
《妹、いつ出てきてくれるの?》
《妹いない説w》
《妹A子。せめて名前教えて》
《妹ちゃん、見たい!》
結局、ウェルツの愛して止まない妹は顔はおろか名前すら出ることはなく本編はハッピーエンドで完結した。
《あ〜白薔薇最高!感動をありがとう!で、ウェルツの妹は?》
《妹、最後まで出てこなくて草》
《ウェルツとウェルツの妹でスピンオフお願いします!》
そんな薔薇リスト達の願いが叶う日がある日突然やってきた。それは単行本特典のおまけマンガ。
《今日も今日とてシスコンお花畑のウェルツを冷めた目で眺めるローレンスと1人の女の子。
「すみません、あんな兄で」
「………慣れてる」
「クレア〜〜僕のクレア〜〜!」
「呼ばれてるぞ」
「何ひとつ聞こえません」》
そうだ。そうなのだ、それがクレア。それこそが『私』だ。
見覚えはあるがすぐには思い出せない顔、あんなに読み込んだ白薔薇なのに思い出せない名前。当たり前だ。『私』がお披露目されたのはおまけのショート漫画。以上終わり、だ。
モブ。いや、モブとすら言えるのだろうか。余すことなく愛を与えられながら存在さえ疑われる妹A子。それがクレアであり今の私。
そう思うと昨夜のウェルツの行動も納得がいく。
クレアが何者なのかが解けたことで、ようやく私は今、自分に起こっていることに気持ちが向いた。
まずもって、この身体。これは病気ではなく怪我だ。事故にでもあったのか。
それについて誰も教えてくれないし、私には記憶がなかった。
私が失っていたのは事故の記憶だけではない。クレアとしての記憶もほぼ失われていた。
転生ってそういうものなのだろうか。それとも単純に事故のせいで記憶喪失にでもなったのか。
私はそれを誰にも言わなかった。時間が経てばゆっくり記憶が戻るかもしれない。今は転生前の記憶が現れた直後で混乱しているだけかもしれない。当分は様子見しよう。どうせ今はどうすることもできない。
身体も記憶もままならない状態にも関わらず、私が毎日穏やかで呑気に過ごしていられるのは何よりもここにいる人たちのおかげだった。
王室と血縁関係にあるだけあって、ラインベルト家は広大な敷地に建てられたお城のような住まいだった。この家の全てが上品でハイレベル。
優しい両親と細やかな気遣いのできる侍従と侍女達。そしてウェルツ。シスコンの名に相応しく彼は私を常に気にかけ、日に何度も部屋を訪れてくれた。
朝の挨拶、学園に出掛ける挨拶と帰宅した挨拶。夜は眠る前の挨拶。彼はそのたびに私の額にキスをした。
天涯孤独で家族を知らない元の私からすれば、シスコンであろうと残念キャラであろうと、ウェルツの愛情はどこまでもあたたかく嬉しかった。ウェルツと兄妹で良かったと心から感謝した。