悪い癖
今朝、ウェルツ、ローレンス、キース、私、4人のフォーメーションに明らかな変化が表れた。
「おはよう、クレア」
そう言うなりローレンスが私の腰に手を回した。
「チッ」
ウェルツがあからさまに舌打ちをする。
昨日の夕方、ローレンスに送られて帰宅した時からウェルツは明らかに機嫌が悪かった。というより、私にはいつも通り接してくれるが、ローレンスに対する態度がいつにも増して高圧的になっていた。
「とっとと帰れよ」
ローレンスはそんなウェルツを気にもせず、いや少し楽しんでいるかのように
「クレア、また明日学校で」
私に優しく微笑んだ。
「行こう、クレア」
ウェルツが私の肩を抱き引き寄せると
「ウェル、そういうことだから、これからはおやすみのキスはなしだぞ」
「はぁあ!?お前に指図される覚えはない」
「ハハハ!」
そして今だ。
ウェルツが1人で前を歩き、ローレンスがさり気なく私の腰や背に手を添え右側を歩いている。私の左側はキースが歩いている。
恥ずかしいやら嬉しいやら気まずいやら。
昨日から私の感情は忙しい。
3人と別れ、代わりにスザンヌ達と教室に入った私に気づいたメリッサが、一段とキツく私を睨んでくる。
「おはようございます、メリッサ様」
「………」
(うーん…なんだかなぁ。今日も朝からモヤる)
授業中、私はずっとメリッサのことを考えていた。昨日の今日で、私の心はローレンスで埋め尽くされている。だからこそ余計にメリッサのことが気になった。
メリッサは私を心底嫌いなんだろう。なんなら憎いのだろう。当然だ、私が逆の立場で好きな人が別の女とイチャイチャしていたらショックだ。めちゃくちゃにツラい。事実、元の世界で浮気現場を見たときはツラいなんてもんじゃなかった。心臓が止まるかと思うほどショックで過呼吸寸前だった。
でも、それで相手の女を突き落としたいと思うかな?
いや、それが知り合いなら思う、、のか?「あんな女のどこがいいのよ!私の方が!」的な?(その点はメリッサには「ごもっともです」としか言えない)
でも、階段から突き落とす、それはもう殺人だよ。そこまで?
いや、階級社会において王太子に愛される、というステータスはその罪に値する、、のか?
でも、メリッサほどの美人ならローレンスでなくてもいくらでも条件の良い結婚はできるはずだ。
いや、人を好きになるっていうのはそういうことじゃない。別の人に愛されたところで、だよね。
でもなぁ〜だからといって突き落とす?
(はぁああ〜)
そんなことを考えているうちに午前中が終わり、生徒達は昼食会場へと教室を出始めた。
スザンヌとフローラに誘われ私も席を立ち出口へ行きかけたところで、前を歩く生徒がハンカチを落とした。
拾おうと屈み手を伸ばした先で、誰かの靴がそのハンカチを踏みつけた。
見上げるとそこには世にも美しいメリッサが世にも冷たい目で私を見下ろしていた。そして彼女はそのまま出口へ向かった。
「踏みましたよ」
(あ…声、出ちゃった)
メリッサはそのまま出ていこうとする。
「メリッサ様!今、ハンカチを踏みましたけど」
またもや教室中に緊張が走る。周りの生徒達のおしゃべりが止み、皆が私を振り返る。
(さぁ、言っちゃったよ私。悪い癖だな、でももう後には引けない)
ゆっくりとメリッサが振り向く。
(ああ、初めてメリッサが私の言葉に反応してくれたな)
こんな時にも抑えきれない悲しき薔薇リスト魂。
「何かおっしゃいました?クレア様」
「ええ、メリッサ様がこちらの方のハンカチを踏まれたので」
「…だから?」
「謝るべきかなぁ、と」
「なんですって!メリッサ様に向かって!」
メリッサの取り巻き令嬢の1人が過剰に反応する。
「よろしいのよ。で、私が謝るべきだと?」
「ええ」
「ローレンス殿下に気に入られているとずいぶん態度が大きくなるものですね」
「はい?今、ローレンス様は関係ないと思いますが」
「そうかしら?」
「ええ、私は人として当り前のことを言っているつもりです」
「フッ、人として?クレア様はこちらの男爵令嬢をご存知で?」
(正直覚えていない、ごめんなさい)
「クラスメイトです」
「クラスメイトではなくマクラン男爵令嬢ですわ。男爵家の者にハングウェイ侯爵家の私が謝るべきだと?」
(あ、これキレるわ、私)
「あのぉ、私は先ほどからメリッサ様と話をしているんです。ローレンス様がどうとか家がどうとか関係ないんですけどっ。私はメリッサ様本人がどうされるのかを聞いているんです」
「………私本人?」
「そうです。私は今、ハングウェイ家ではなくメリッサ様と話をしているんです。メリッサ様が謝ろうと思えば謝ればいいし、謝りたくないと思えば謝らなくていいんじゃないですか、人としてどうかとは思いますけど」
「ブフッ」
(どこかで誰か笑った?まぁいいや)
私達は睨み合う。
メリッサが何も言わず教室から出て行った。
「あ、あの…」
「ごめんなさいマクラン令嬢(あなたの名前がわからなくて)。気になさらないで下さいね、これは私とメリッサ様の問題ですから。でも汚れてしまいましたね、拾うのが1秒遅かった」
ハンカチを返しながらマクラン令嬢に笑いかけた。
教室を出ると、またしてもローレンスが立っていた。しかもニヤニヤと笑っている。
「…あっ!もしかしてさっき笑った…」
「クレアの演説は最高だったよ」
「………………スザンヌ、フローラ行きましょう」
「おっと、悪かったよ、ごめんねクレア。君があまりにかっこよかったから、からかってみたくなったんだ」
「全く意味がわかりません」
「フハハハ…でも元気そうでよかった。今日は明日の説明会があるからもう君の顔を見れないと思ってね。会えて良かったよ。気をつけて帰るんだよ、じゃあ」
「明日って何かあるの?」
去って行くローレンスを見送りながらスザンヌとフローラに訊ねた。
「ふふ、明日は剣術大会よ」
「剣術大会?」
「昨年もその前も優勝はもちろんキース様よ」
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剣術大会は男子生徒女子生徒に関わらず剣術の腕に自信がある者が参加し勝ち抜きのトーナメント制になっている。
男子は8割近く、女子は4割ほどがエントリーしていた。
説明会では大会の注意事項等の説明とトーナメントの抽選が行われる。
「なんだって!?」
「フハハハ…ウェル、声を抑えろ、誰かに聞かれるぞ」
説明会場の端で3人が顔を寄せ合っている。
「まさかクレア嬢がメリッサ嬢に食ってかかるとは、信じられないな、あのクレア嬢が」
「ああ、俺も耳を疑ったよ。出て行こうと思ったが、あまりにクレアが堂々とメリッサに注意していてね。思わず隠れて聞き入った」
「メリッサには近づくなってあれほど言ったのに」
「昨日キースが、クレアがメリッサに挨拶をしたらしいって教えてくれたときも驚いたが、今日のクレアには本当に惚れ直したよ。前にウェルが言ってただろ、あの怪我以降クレアは少し変わったって。それを実感した」
「ブラッドが言うには教室中が凍りついたらしいぞ」
「全くクレアは何を考えてるんだ。お前を選んだことも含めてな」
「そう言うな、兄上」
「はあ!?」
「アハハハ」
「まぁ何にせよ良かったな、ローレンス」
「キース、お前は誰かさんと違って優しいな」
「ふんっ」
「いや、俺はとりあえずお前達の嫉妬合戦がめんどくさかっただけだ」