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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第1章 信号のない横断歩道
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1-4


 死神という仕事への向き合い方は、あまり深く知っているわけではないが恐らく葬儀屋の人間と近いのではないのだろうかとあおは思っている。故人と接し、場合によっては遺族とも接して言葉を交わす時もある。不快感を与えないように派手な服装や化粧はご法度、身だしなみは清潔感を第一に意識しろとの決まりだ。

 服装は男女問わずスーツタイプの喪服、髪は基本黒色で長ければ結び、女性の場合化粧は過度にならない程度に控えめに。唯一サングラスの着用が異質とも言えるが、これは自分たちの身を守る意味合いなので例外的に許されている。

「……季黄ちゃん」

「なあにー?」

 そういう規則が一応はあるから、あおはずっと頭を抱えていた。何度伝えても改善されない季黄の身だしなみは規則を破りまくっている。

 人工的な淡いミルクティー色の髪、華やかに施されたメイク、綺麗に飾られたネイル。ぱっと見ただけでも、一人異質なのは明らかだった。

 殊、今日は酷い。

「それは何……?」

 学校で終わってから出勤してきた季黄は、やわらかなミルクティー色の髪を今日は桃香のように二つに分けて編み、黒いリボンで毛先を結んでいた。三つ編みもリボンも季黄に似合っていて確かにかわいい。しかし三つ編みは大丈夫だが、リボンは規定的にアウトだ。

「それ? あ、髪のこのリボン? かわいいでしょ?」

「いや、もう髪は百歩譲るとしても、そのネクタイは何?」

「ああ、こっちか。髪とお揃いでコーデ感出してみたんだー」

 季黄はふふんと得意げに語尾を上げると、その場でくるりと一回転してみせた。

「今ね、学校でネクタイをリボン結びするのが流行ってるの! 喪服って陰気臭いんだもん、これくらいいいかなーって」

 季黄の襟元に黒いリボンが閃く。ネクタイを無理やり結んだそれは不格好に見えるが、何故か女子高生の中では流行っているらしい。

 いやそういう問題ではない。

「よくないから、今すぐ直してくれる?」

「えー。だって喪服ってまじで地味じゃん? テンション上がんなくない?」

「地味でもテンション上がらなくてもダメなものはダメだから」

 まだ駄々を捏ねる季黄に頭痛を覚えながら何とか普通に直させる。さすがにネクタイをリボン結びにした子を故人の前に出すわけにはいかない。

 染められた髪色も派手な化粧もネイルも、今日も相変わらずだがもういいかと諦める。朱音の顔が一瞬過ぎるが、いやネクタイを直させただけでも褒めてほしいと目を逸らした。

 ネクタイを普通に結び直した季黄を連れ、あおはそのまま事務所を出た。今日は迷子の捜索だ。

「あたし、捜索ってあんまり好きじゃなーい!」

 亡くなった瞬間の魂をすぐに迎えに行くのが死神の仕事ではなるが、それでも時々、捉え切れないことがある。死神が現場に着くまでに遺体から遠く離れてしまった魂や、または冥府に行きたくないと死神から逃げた魂など、保護できない理由は多岐に渡った。そうして捉え切れなかった魂は剥き出しの不安定な状態で現世を徘徊しており、やがて魂を喰らうものに喰われる可能体が高い。喰われてしまえばその魂は輪廻転生から外れ、永遠に死ぬ。

 しかし、運よくそのまま漂い続ける魂もいた。成仏もせずただそこに在るだけの状態で、それは停滞と言っても過言ではない。そんな魂の保護に向かうのも死神の仕事だ。波長が合って一般の人が見かけてしまった不審な光などの断片的な情報や、小学生が好むような怪談に近い噂話などを頼りに、もしかしたらそこにいるかもしれない魂を探しに行く。答えのない探しもののような不確定な仕事を、死神は迷子の捜索と呼んだ。

 季黄が三つ編みの先のリボンを弄びながら大袈裟にため息を吐く。ふらふらと歩く季黄が危なっかしくて、あおは背中を押して白線の内側に彼女を入れた。白い線を越えたすぐそばの車道を、車が数台立て続けに通りすぎていく。

「だってさ、捜索っているかどうか分かんないでしょ? それで探しに行って見つからなかったら、その時間って無駄じゃない?」

「まあ、空振りすることも多いは多いけどね」

 正直なところ、あおも捜索はあまり好きではなかった。季黄が言うようにそこにいるという確定はなく、明確に完遂できるという実感も少ない。暖簾に腕押しのような仕事にやる気を出せというのも難しい話だ。苦笑いで季黄の話を肯定する。

 今回の捜索先は櫻八幡神社という古い神社だった。連日不審な光が確認され、ネット上で人魂だとか怨念だとかそんな噂が立ち始めているらしい。神社側からもうちに関係があるのなら調べてほしいと連絡をもらっていた。

 敷地内の自宅にいた宮司に死神協会から来たと声をかけてから神社の境内に上がる。櫻八幡神社は地元の人がお参りに来る小さな神社で、いつも人が溢れている、というわけではなかった。現に夕方の今、境内にいるのはあおと季黄の二人だけだ。天気のいい今日は落ちかけた陽が橙色を放っており、人の気配が薄い境内を明度と彩度の高い暖色に染めている。死神の性質上、人がいないというのはやりやすくて助かる。

 腕時計に目を落とし、薄青のサングラスをかけ直す。

「情報によると、確認されている光は五時以降にお参りをするように境内に現れるみたいだから、このまま待ってようか」

「りょー」

「……ところで黄色」

「なあに?」

「サングラスは?」

 お賽銭箱を覗いていた季黄がこちらを向くが、そこに目の負担を軽減する目的で着用するはずのサングラスは見当たらない。途中でかけるかと待ってはいたがそもそも持ってきているような素振りもなく、問うてみれば季黄はえへへとかわいらしく笑った。

「忘れちゃった!」

「また?」

「だって学校の準備で精一杯なんだもん。サングラスねー、どこ置いたっけなー」

 あっけらかんと言い放つ季黄に苦笑が漏れる。サングラスの着用は厳密に言えば強制ではないので悪いわけではないのだが、それでも全く悪びれない季黄はどうなのだろう。

「分かってると思うけど、サングラスかけないと目の負担になるよ」

「はいはーい、次は持ってきまーす」

 軽い返事が不真面目に拍車をかける。こういうところも指摘するべきなのだろうが、最早慣れてきてしまった部分もあった。何拍かタイミングを逃して、まあいいかと嘆息で言葉を流す。

「ねー、魂とか全然出てこないじゃーん。だから捜索ってきらぁい」

「もう少し待ってみて、それでも何もなかったら冬子に連絡しようか」

 もしかしたら事務のほうで新しい情報が見つかっているかもしれない。聞いてみて何もなかったら、引き上げることを検討しよう。

「待つだけって暇ー」

 完全に集中力が切れた季黄は、手水舎に葉っぱを浮かれて遊びだした。

 人の気配が希薄な境内は静まり返り、風に吹かれた木々のざわめきがやたら大音声で空間に響いた。葉擦れの音、場を満たすオレンジに少しずつ深い色が混ざり始め、住処に帰るカラスが空を横断する。夕暮れだ。お前は誰だと誰何する時刻。六月の夕方はそれでもまだ明るいが、逢魔が刻は迫ってくる。取り逃がした魂が出現するのに、雰囲気だけは充分だ。

 そうして、満を持して、故人は姿を見せた。

 カーと鳴いて羽ばたいてくカラスを一羽見送り、境内に視線を戻す。階段を上がって鳥居をくぐった男性が、しきりに後ろを気にしながら拝殿に向かっていた。

「黄色」

「お、はーい」

「――こちら青、恐らく対象を発見しました」

『こちら村崎。了解です、引き続きよろしくお願いします』

 耳元の無線から返ってくる冬子の声を聞きながら、背を押して向かわせた季黄の姿を見守る。今日こそまともに対応してくれたらいいのだが。

 魂と身体が分離する際に発する強烈な閃光や、分離したばかりの魂に燻る光とは異なり、死後時間が経った故人の魂は宿る光が希薄になる。生命力の残滓だろうと言われているその光が淡くなるほど死神は彼らを見つけづらくなるが、それだけ現世に留まっているあいだに波長が馴染み、何も視えないはずの一般人に不審な光や気配として目撃されやすくなる傾向もあった。

 死んでからそれなりに時間が経っているのだろう。目を瞑って何かを祈っている男性の透けた身体に纏う光は弱く、おぼろげにゆらゆらと揺らめいていた。

「もしもしこんにちは!」

「ひぇ……っ!?」

 季黄がトントンと肩を叩くと、男性は飛び上がって驚いた。よくある会社員という格好で、三十代といったところか。

「迷子みーっけ!」

「黄色!」

 愛嬌のある笑顔での第一声がそれか。やっぱり今日もダメかとあおは二人のそばへ走り寄ると、季黄は不服そうに唇を尖らせる。

「もー、なあに青」

「敬語、挨拶、説明!」

「あーはいはい」

 とうに分かっているくせに、季黄には聞き入れる気がない。おざなりな返事に季黄の感情が透けて見える。息を吐いて言葉を流し、あおは男性にすみませんと頭を下げた。

「えーっと、あたしは死神の黄色。あ、そもそもだけど死神って分かる? 知ってる?」

「……オレが見える、んですか?」

 男性の小さな声がぽつりと落ちる。俯きがちの男性の顔を覗き込むようにし、季黄はうんうんと大袈裟に頷いた。

「視えるよー! あたしもだし、こっちの青もあなたのこと視えてるよー」

「っ、助けて下さい!」

「へ!?」

 がしりと勢いよく両肩を掴まれ、季黄がくるりと目を丸くする。必死な形相で季黄に縋るその表情の中には、どこか安堵が混ざっているように見えた。

「助けて!」

「え、あ、何から?」

「変な靄! 逃げても逃げても追いかけてくるんです!」

「えっと、それはね」

「どんだけ声を上げても誰も助けてくれなくて! というか誰もオレのこと見てくれなくて!」

「あー、んーっと……」

 がくがくと身体を揺さぶられながら、季黄が困ったようにあおを見て眉を下げる。季黄が相手のペースに巻き込まれて立ち往生しているのは珍しく、初めて見た。この子もこんな風になることがあると思うと、どこかでほんの少しだけ安心した。

「……すみません、少しお話いいですか?」

 肩から男性の手を外し、季黄自身を下がらせてあおは両者のあいだに入る。

「あ、すごい、あなたもオレのことが見えるんだ……!」

「はい、視えています。改めてにはなりますが私は死神の青、そしてこちらが黄色と申します。死神という職に聞き覚えはありますか?」

「しにがみ……? あーっと、確か死んだら迎えにくるっていうあれ?」

「はい、それです。私共のことはご存知なんですね。でしたら今、あなた自身の状況についてはどの程度把握していらっしゃいますか?」

 混乱している故人と落ち着いた会話をするコツは、自分が一片たりとも冷静さを欠かないことだ。いつも通りに対応をすれば、男性の様子もこちらにつられて落ち着いてくる。薄青のサングラスはレンズに色がついているが視界に影響はなく、故人が放つ光の彩度だけを抑える特殊な造りをしているので、彼の厭に張り詰めていた表情が徐々にほどけていく様がよく見えた。

「状況……誰も、オレを見てくれなくて」

「それはどうしてでしょう?」

「何でってそりゃあ、――ああそうだ、オレ、死んだんだ」

 ストンと、彼の中で真実が落ちたのが分かった。焦点が噛み合い、正しい意味で初めて男性と視線が合う。

「死んで、どうすればいいか分かんなくて、誰に話しかけても聞いてくれなくて、そのままずっとうろうろして……それで、黒い靄に追いかけられて。あの、あれって何なの?」

「その黒い靄は、私たち死神は魂を喰らうものと呼んでいます。言葉通り、それはお亡くなりになって身体と分離した魂を狙ってやってきます。無事に逃げられていてよかった、あれに喰われてしまうと魂は永遠に消滅してしまうんです」

「え、嘘。まじで?」

 会話が素直に繋がり始めたので、そのままあおはいつものようにこれからの流れを説明する。捉えるまでのラグがあるだけで、死後時間が経っている魂だろうとやるべきことは変わらない。

 ――否、一つだけ異なることがある。

 宮司に手短に報告をしてから、あおは「さて」と警棒を握る。

「では、急いで事務所に行きましょう」

 死んでからすぐに保護した魂と、保護できずに死後数日、数週、数か月、下手すれば数年が経った魂との大きな違いはそのまま、死んでからの時間の長さだ。故人の天敵である魂を喰らうものはより明確に死を自覚した時に魂を嗅ぎつける習性があり、長い年月を不安定な状態で漂っている魂はそれを惹き寄せる力が経過した時間に比例して強くなる。迷子の捜索は決して精力的に行われる仕事ではなく、取り逃がしたとしてもその魂を深く追うまでのことはしない。捉え損ねた魂は、その時点で喰われてしまったと結論づけてしまうほど生存率は低く、見つけられること自体が稀だった。

 そんな珍しく生き残っていた迷子の魂を事務所へ連れ帰ることは、常に危険と隣り合わせだ。何せ、魂を喰らうものが付け狙っていると言っても過言ではないのだから。求められるものは迅速な帰巣、もしくは完膚なきまでの殲滅力だ。

 逃げの手法を取るあおと季黄に、殲滅できるほどの胆力はない。ならば残るは素早い帰還一択。

「……青、青」

「? 何ですか黄色」

 いざ出発の段になり、季黄があおの腕を引く。小柄な身体が背伸びをするから、あおは首をかしげなら身を寄せる。

「さっきありがと、助かった」

 ぱちりとまばたきをして季黄の顔を見る。季黄はへらりと笑い、そのまま大木と名乗った故人の男性に「あのねえ、これねえ、伸びるの」と警棒を見せていた。

 たぶん、さっきのだ。興奮状態にあった大木の対応を変わったこと。いつものやる気のなさではない、本気で困っている様子だったから助け舟を出した。ただそれだけのことだったのに、まさかそれに季黄がお礼を言ってくるとは思わなかった。

 ……いつもああだったらみんなからかわいがられるだろうに。

 いいところがないわけではないのだ。ただそれを覆い隠してしまうほどマイナスな部分が目立ってしまっているだけで。

「青ー行かないのー?」

「……いえ、行きましょう。黄色、前方は任せます」

 綻んだ口元を引き締め、あおは二人の後方につく。

「よっし、二人とも遅れないてねー!」

 季黄がツアーコンダクター然として、旗代わりに警棒を振る。あおもグリップを握り直し、地面に向かって振り下ろしてシャフトを固定させた。

「……大木さん」

「はい?」

「全力で走って下さいね」

 後ろから声を落とすと大木が不思議そうに振り返った。しかしあおは首を振り、季黄は指を差す。

「しゅっぱーつ!」

 まるでどこかで空砲を聞いたかのように季黄がスタートを切る。よそ見をしていた大木が慌てて走りだし、あおも後ろを駆けていく。

 鳥居を抜けた先は長い階段が続くが、季黄はそれを物ともせず駆け下りていき、既にあおの前にいる大木と差が開いている。あおは低いヒールをコツコツと鳴らしながら転ばないように気をつけ、大木の背中を危なくない程度に押した。

 季黄の運動神経のよさは一際目を見張るものがある。こちらのスピードを全く考慮していない早さは独善的だが、しかし一早く事務所に帰るという一点のみに置けばそれは大正解だ。スピードが何より大事となる迷子の魂を運ぶ仕事に、逃げるが勝ちのあおとすばっしこい季黄の組み合わせはそう悪くはない。

「え、足はやっ!?」

「二人とも早くー!」

「っ黄色、前来てる!」

「わ、ほんと!」

 迫っていた黒い靄を季黄が払う。その脇を大木を庇いながらすり抜け、先に石段を下まで降り切る。形を崩した魂を喰らうものの姿を見て、あおは再び大木の背を押して駆けだす。季黄の早さならすぐに追いついてくるだろう。

 町に落ちる日差しの橙が深くなり、伸びる影が黒々とする。額に浮いた汗をあおは乱雑に拭う。黄昏時を迎える町を、喪服で駆け抜けた。


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