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(五)
病院をあとにし警察署に移動する直前、あおは灰二に呼び止められた。「しばらく静養して下さいね」と妙な迫力を纏ったまま言い渡され、何か言う暇もなく強制的に数日の休みを与えられた。
痛みがないと言えば嘘になるので有り難くゆっくりさせてもらい、そしてその休み明け。
「——あおちゃん!」
「お、おはようございます」
「うーあおちゃ……!」
「ちょっ、桃香さん泣かないで下さいよ」
事務室の扉を開けた途端、桃香が飛んできて号泣を始めたのでさすがのあおも困った。ぼろぼろと大粒の涙を流す桃香は「だって、だってぇ!」と嗚咽を混ぜながら言葉を紡ぐ。
「あおちゃんが殺人犯と遭遇して怪我したって聞いた時、わたし倒れたんだからね!?」
「桃ちゃんのそれ、誇張じゃなくてまじだからねあおちゃん」
「え、嘘?」
大袈裟な冗談だと笑い流そうとしていると、横から一茶ににっこりとした笑顔で付け加えられてあおは慌てて桃香に向き直る。
「す、すみませんでした桃香さん……」
「もうほんとに! どれだけ心配したと思ってるの!」
「は、はい……」
桃香があおの怪我をしていないほうの腕をぎゅっと握って俯いた。
「……わたしは嫌だよ、これ以上知っている人がいなくなるの。この先また何かあった時、生きることは絶対に諦めないで」
キッと見上げられ、桃香にしては強い口調で「絶対だよ」と言われて思わずたじろぐ。
あの日、朱音の葬儀の儀、泣き崩れていた桃香の姿を思い出す。あの時から少しずつ、桃香はいつもの笑顔と日常を取り戻していったように見えた。でも実際、その胸中でどのような葛藤があったのかあおには分からない。変わっていく状況の中で変わらない日常を送っていけるのは強さだと思っていたが、きっとそこにはあおには見えない様々な感情があったのだろう。
そんな当たり前のことがやっと分かるようになり、あおは素直に「ごめんなさい」と心配させてしまったことに頭を下げた。
「私も諦めないので、だから桃香さんもそうなった時、諦めないで下さい」
「うん、もちろん。約束だからね。破ったら往来で泣き叫ぶから」
「……何としてもそれは避けたいですね」
涙を止めてようやっと笑顔を見せて桃香にあおも小さく笑う。
「あおちゃん、何か飲みもの淹れとくよ。何が飲みたい?」
簡易キッチンに立つ一茶がやわらかく笑んでいて、言葉以上に気持ちが伝わってくる。明確な言の葉がなくても、おかえりと言ってもらっているようで胸の底があたたかくくすぐったくなった。
「ありがとうございます。じゃあ、冷たいレモンティーを」
「ん、了解。おいしいの淹れてあげるね」
「はーい一茶くん、あたしもレモンティーほしいなー!」
「分かりましたよ、弥玄さん」
あおに便乗した弥玄は子供のような無邪気な笑顔で「やったー」と喜び、そのままこちらに向かって歩いてきた。
「あおちゃんおはよう。怪我はもう大丈夫?」
「もう大丈夫です、ご迷惑をかけてすみませんでした」
「ん-ん、ぜーんぜん。……よかった、ゆっくり休めたみたいだね」
「え?」
安心したように頷く弥玄に含みを感じ、思わず首をかしげた。
「何というか、あたしがここに来てからずっとあおちゃん顔色悪いというか、前に会った時と少し様子が違ってたから少し心配しててさ。でも今日顔を見て安心した。もちろん例の事件のことは大変だったと思うんだけど、身体も心もゆっくりできたみたいだから」
「弥玄さん……」
あおが気がつかないあいだ、気を回せていないあいだに、随分と周囲は気にしてくれていたようだ。
「まー頼りない副支部長だけど、何かあったら気軽に相談してよ。話を聞くくらいならいつでもするからさ」
「ありがとうございます。でも、弥玄さんが頼りないなんてことはないですよ」
「あはは、だったらいいんだけどねえ。あ、ほら、着替えておいで」
弥玄に促され、あおはやっと更衣室へ向かう。扉を開けようとして、しかし後ろから「あおさん」と呼び止められて振り返る。
「未取くん」
背後にいたのは未取で、起伏の少ない表情は今何を思っているのか読み取れない。きちんと向かい合うのは、八つ当たりをしてしまった以来だ。
「腕、大丈夫ですか」
「大丈夫だよ、ありがとう。……改めてだけど、このあいだはごめんね」
「あ、いえ、俺もすみませんでした。……あの、あおさん」
「うん?」
「蒸し返すのもどうかなとは思ったんですけど、」
未取は全てを見透かしてしまいそうな冷静な眼差しで、あおのことを真っ直ぐに見た。
「俺、あの時他人に伝わらなくてもいいんじゃないかって言いました。でも人が持つ強さっていうのを敢えて言語化するとしたらなんですけど」
「うん」
「俺、今まであおさんのことを弱いと思ったことないです」
「!」
思わず目を丸くした。まさか未取から、そういう風に言われるとは思っていなかった。
「それだけ伝えておこうと思って」
「……ありがとう、未取くん」
「いえ、呼び止めてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げた未取に首を振り、あおはそのまま更衣室に入った。
自分のロッカーの前に行き、「種田」と貼ったマグネットを眺める。
『俺、今まであおさんのこと弱いと思ったことないです』
あれを弱さと言わず何と言う。そんな感情を見せてしまったというのに、その未取がそうやって言ってくれた。
「……ふー」
あおはぐっと感情を堪え、心の底にそっと仕舞ってからロッカーを開けた。私服を脱ぎ、手早く喪服へと着替える。季節は気づけば九月へと入っていたが、まだまだシャツは半袖、スラックスも少し涼しい生地で作られた夏仕様のものだ。ネクタイをきゅっと結び、事務所自体は空調で快適な温度にされているから一応上着は羽織る。スラックスのベルトに家から忘れずに持ってきた特殊警棒を装備し、上着の胸ポケットには代名詞でもある薄青のサングラスを引っかける。靴もスニーカーから少しだけヒールのあるパンプスに履き替え、最後の仕上げで下ろしていた髪の毛をポニーテールに束ねれば準備は万端だ。
ロッカーの扉を閉め、鍵を回してポケットに放り込む。
「……よし!」
あおは小さく気合いを入れ、コツコツと足音を鳴らして事務室へ戻った。
「よろしくお願いします!」
疎らに返ってくる「お願いします」に頭を下げ、タイムカードを押す。そのまま連絡事項等を確認していると、いきなり後ろからお尻を叩かれた。こんなことをしてくる人間は一人しかいない。
「ちょっと冬子?」
「おいしいカレー食べたあとの顔してる」
にっと口角を上げた冬子の言っている意味が一瞬分からなかったが、一拍を置いてそういうことかと理解が及んであおも同じように笑った。
「うん、ちゃんと食べてごちそうさましたから」
「そう。それは何より、で!」
「痛」
もう一発、さっきよりも力を込めてお尻を叩けれて思わず声が出た。からからと笑う冬子はいつも通りで、その近すぎない距離感が有難くて安心を覚える。
「ありがとう、冬子」
「いいえ。今度おいしいカレーおごってね」
「オッケー。ハシゴして連れてってあげる」
「そこまでは頼んでない」
大袈裟にうんざりとしてみせた冬子にまた笑みをこぼし、あおはデスクに座った。休んでいるあいだに溜まった書類を空いた時間に片づけていかないといけない。
「——!」
さてとボールペンを握ったところで視界の端に強烈な光が閃き、あおはがたっと立ち上がった。
身体と魂が分離した合図。事務所から北西の方角、距離は恐らくそう遠くない。そこで誰かが亡くなった。
「私、行きます」
「え、あおちゃんいいよ! 病み上がりなんだし無理しないで、わたし行くし」
サングラスをかけて素早く事務所の入り口まで向かったあおに、桃香を筆頭に声がかかる。
けれどもう、引く気はなかった。
「大丈夫です、仕事ですから」
にこっと笑ってみせれば、弥玄が腹の底から笑い声を上げた。
「じゃあ青、お願いします」
「はい、いってきます」
そのまま事務所を飛びだし、エレベーターを待つのがもどかしくて階段を選んだ。一段、二段と転ばない程度に飛ばしながら駆け下り、ほとんど時間をかけずに一階に到着する。
ビルの入り口から外に飛び出て、方角を確認するように一度空を見上げた。
頭上の空は、今日も変わらず青かった。




