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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第3章 カッコウは鳴かない
19/26

3-5


     (四)


 ご冥福をお守り致します。

 初めてその言い回しを聞いたのは、見習いの一年目の時だった。その時指導してくれたのは十個上の先輩で、今思えば少しだけ朱音に似ていたのかもしれない。もっとやわらかくて分かりやすい優しさがあったが、芯の強さや背中のブレなさは思い出してみれば重なる部分があった。

 初めて連れられていった現場で、先輩は故人に対してその文言をまじないのように向けていた。

「それは、言わないといけないって決まってるんですか?」

「ううん、決まってるわけではないよ。あたしも先輩が言ってたことを真似してるだけというか……うん、でもそうだね。自分たちが保護しているあいだは絶対守りますって、そういう宣言みたいなものかもね。故人に対しても、自分に対しても」

 当時はそこまで深く考えず、そういうものかとその程度に捉えた。そのまま何となく、あお自身もその言い回しを使うようになり、故人に会った時に組み込まれたルーティンのように言葉を並べる。音の響きを繰り返すばかりで、言葉の意味そのものをきちんと考えたことはなかった。

 だから。

「私は死神、青。あなたをお迎えに来ました。ご冥福を、おま――」

 あの日以来、何も思わず放っていた言の葉が喉の奥でつっかえるようになった。

「? 青さんどうかしました?」

 故人である女性が、不自然に声を詰まらせたあおに首をかしげる。

「――いえ、何でもありません。それでは、事務所に向かいましょうか」

 不発になった言葉はごくりと飲み下し、あおは取り繕う笑みを浮かべて故人に歩を促す。警棒のグリップを握る手が汗で滑り、一度服の裾で拭ってから握り直した。

 同世代の故人とぽつりぽつりと会話しながら、あおは警戒心を膨らませ気を張って周囲を見やる。ぴりぴりとする強張った緊張感を厭でも手放せないのは、先日見た光景が頭から離れないからだ。

 忘れようとすればするほど、それは鮮明に浮かび上がって脳裏に焼きついた。故人が喰われるその瞬間。二度目の死を迎えたその時。静かに散りゆく魂の残滓。恐ろしいほどの静謐が大音量でがなり立てて全身の細胞を巣食う。気を抜けば震える足は固まり立ち止まってしまいそうで、あおは一歩一歩を意識して確実に踏みだした。

 そうして今日もそれは現れた。進行方向に佇む魂を喰らうものの姿を捉えた瞬間、おぞましい光景が蘇りぞわりと鳥肌が立った。上がりそうになる息を押さえつけ、あおは故人に動かないように言い置いて排除に向かう。

 振るう警棒はいつも以上に大振りになった。肩や筋がおかしくなるくらいに力いっぱい振り回して黒い靄を散らし、大仰に立ち回る。やたらめったらでも、動いていなければ不安だった。ざわざわと輪郭が崩れてもやはりあおに核が視えることはなく、恐怖からの苛立ちに舌打ちを落としながらいつもの逃げに回る。

 故人の手首を握り、事務所まで一気に逃げ帰った。ビルの中に飛び込んだ時点であおも故人も荒く息が切れる。故人は手首をこすり、「青さんちょっと怖かった」と眉を下げて苦笑した。すみませんと、あおは頭を下げた。

 ご冥福を、お守り致します。

 死後まだ続く故人の幸せを、新しい旅路へと向かう道中を、私がお守りします。それは宣言だ。故人に対し、そして自分に対しての。

 ——守る。どうして今まで、何も考えずにそんな重たく責任のある言葉を口にできていたのだろう。

 人は死ぬ。二回死ぬ。一度目は心臓が止まった時。二度目は魂を喰われた時。死した人間に訪れる追撃の死。

 決して軽んじていたわけではない。しかしあおはその本質を理解していなかった。あおたちが担う仕事は常に死と隣り合わせと言われるが、それは相手にするのが死んだ故人だからではなく、命を追われ狙われている人間を保護する仕事だからだ。

 そのことに、今更気がついた。今更、この仕事が怖くなった。

「……あーお」

 デスクに突っ伏していると、こつんと後ろ頭を叩かれた。くぐもる声で唸ると、再度呼ばれてポニーテールの根元に何かが乗せられる。ぐらつくアンバランスさが不快で、あおは後頭部に手を伸ばしながらのそりと顔を上げた。

「うわ、ひっどい顔。腐ったカレーでも食べてお腹死んだ?」

 手中にあったのは缶コーヒーで、そばにいたのはからかうような笑みを浮かべた冬子だ。冬子からふいと視線を逸らし、あおは有り難く缶コーヒーのプルタブに指を引っかける。

「カレーはいつでもおいしく食べてるよ」

「はいカレー狂」

 くつくつと笑う冬子は隣の椅子に腰を下ろす。あおは缶コーヒーに口をつけた。ブラックは苦く、隠すことなく舌を出す。この選択は絶対わざとだ。

「桃香さんがさあ、さっき出勤してくる時にちょうどあおを見かけたんだって」

「そうなんだ」

「半狂乱で警棒ぶん回してて怖かったってさ。何かあった?」

 ちらりと冬子を見ると、まだ口元に笑みを刻んでいたが驚くくらいに眼差しと声音は真摯だった。逃げるようにまた視線を外し、苦いブラックコーヒーを無理やり啜る。

「うん、まあ、ちょっと」

「ふーん、そう。……苦いなら吐き出せばいいのに」

 冬子の笑みが苦笑に変化し、あおの手からブラックコーヒーがひょいと取り上げられる。代わりに握らされたのはカフェラテの缶だった。

「ま、無理すんなよっと!」

「痛……ありがとう、冬子」

 ばしっとあおの背中を叩くと、冬子はにっと笑って席を立つ。ちょうど退勤時間だったようで、そのまま「お疲れ様ですー」と言いながらタイムカードを押していた。

 どうやら心配をしてくれているようで、それはありがたく受け取る。新しいカフェラテのプルタブをかしゅりと開け、ため息と一緒に飲み込んだ。


「種田、餃子食うか?」

「あ、えっと、いや、大丈夫です……」

「ん。すみません、餃子一人前も追加してもらっていいですか」

 店員に声をかける朱音の姿を半ば呆然と眺める。まず、目の前に朱音がいるという事実があお自身よく分かってない。

 退勤時間を迎えタイムカードを押したあおは真っ直ぐ家に帰る気分にならず、いつもは通らない道を敢えて選んでふらふらと彷徨い歩いていた。

 腹の底で様々な感情が渦巻いていて、それは手に余る。季黄のこと、故人が喰われたこと、この仕事の本質。中途半端に飲み込んだことは消化されることなく、腹のうちで自我を主張して暴れ回った。

 そうして幽鬼のようにゆらゆらと歩いていれば、前方不注意で通行人にぶつかった。すみませんと小さく声を落とせば頭上から「種田」と呼ばれ、見上げればそれは朱音だったという驚きの偶然だ。そうしてよく分からないまま、夕食を食べるところだったという朱音に連れられてラーメン屋に入って今に至る。

 向かいでラーメンを啜る朱音をこっそりと眺める。今日は休みだった朱音は、普段よりも丁寧に化粧を施していた。切れ長に伸びるアイラインは目元に鋭さと色気を宿し、マスカラで持ち上げられたまつ毛は初めて見たかもしれない。肌馴染みのいいアイシャドウやチークはいつもより血色を良く見せ、暗くくすんだ赤色の口紅がとても似合っている。黒い半袖のブラウスに細身のパンツというシンプルな格好、髪を耳にかけるとシルバーのイヤーカフが控えめに光る。同じ二十代のはずなのに、この圧倒的な格好良さは何なのだろう。

「……顔に何かついてるか?」

「あ、や、違くて、いつもと雰囲気が違うなと思って……」

 眺めていたのがバレて、あおは慌てて両手を振る。

「ああ。妹と昼間出かけてたんだ。服とか化粧とか、ちゃんとしとかねーと怒ってうるさくてな」

「妹さん、いるんですね」

「言ったことなかったか。十個下で、今死神見習いやってるんだ。いつか仕事で一緒になることがあったらしごいてやってくれ。……それより食わねえの? 伸びるぞ」

「あ、はい、食べます」

 姉妹揃って死神なのかと驚きながら、手を合わせて割り箸を割った。白濁した豚骨スープから細麺を掬って一気に啜り上げる。固めの麺はコシち歯応えがあり、スープのコクと旨味がよく絡んで、口内に濃厚な豚骨の味とそれに負けない小麦の香りが強烈に広がった。一口一口、噛み締めるごとに濃く深く旨味が増幅していく。

「おいし……」

「だろ」

 常連だという朱音は得意げに頷くと、頼んでいたハイボールのジョッキを豪快に呷った。朱音は飲み会にもほとんど来ないので、食べるのも飲むのも随分とおいしそうにする人だと、今初めて知った。

「……そういえば、朱音さん」

 半分ほどラーメンを無言で食べてからふと声を落とすと、餃子を頬張る朱音が視線だけで先を促した。

「私、あのあと季黄ちゃんと話したんです。やっぱり、視えなくなることを望んでいました」

「だろうな」

「私が元々学校に通う選択をしていたから、季黄ちゃんには『あおちゃんなら分かってくれると思ってたのに』って何度か言われました」

 あおが分かってあげられたのは季黄が持つ感情の一部分だけだった。普通を諦めきれずに高校へ進学した、ただその一点だけだ。彼女が抱いた全ての望みを、理解してあげられることはできなかった。

「季黄ちゃんのある種の期待を裏切ってしまったのが間違いだったのか、」

 季黄が言うところの「普通のこと」を同じ希望に持っていたあおが口にしたことがいけなかったのか。

「それとも、もっとちゃんとやってあげたらよかったのか、」

 本人にはあおがどうしていようと、誰に何を言われようと意味はなかったと言われたが、それでもとやっぱり考えてしまう部分はあった。

「色々、そうやって思いました」

「……種田、前も言ったが」

 朱音がチャーシューにかぶりつき、ごくりと飲み込んでから口を開く。

「芽吹のことはもう終わった。これはあいつが選んだ結果に過ぎない。種田が今更どうこう言ったところで何も変わんねえよ」

 酒を片手に落とされる相変わらずの強い言葉に、あおは思わず苦笑を浮かべる。うまく働かない頭は、普段から思っていたことをつるりと音に変えた。

「朱音さんって、何でそんなに強いんですか?」

「別に強かねえけど」

「強いです、私から見たらすごく」

 箸を強く握って言い募れば、朱音はず、と音を立ててスープを啜った。

「強さ、ねえ。……そうだな、仕事に関しては一つあるか」

 種田。呼ばれた名に、あおは箸を動かしながら朱音を見やる。

「お前、故人が喰われる瞬間を視たことあるか?」

 まさか話がそこにいくとは思わず、あおはラーメンを口に運ぶ途中だった手を止めた。箸を握る力がゆるみ、ちゅるりと抜け出した麺が汁を散らしながらスープの中に戻っていく。

 そんなタイムリーなことを聞かれるとは思っていなかった。あおは一度息を吐き、ゆっくりと呼吸してから慎重に言葉を紡ぐ。

「……非番の時に、管轄外で目撃したことが一度だけあります」

「そうか」

 ハイボールを流し込んでこくりと喉を鳴らした朱音の返答は、揺らぐことなくいつも通りだった。しかし続けられた言の葉にあおは目を剥く。

「私はな、七年前に自分のミスで故人を喰われたことがある」

「——朱音さんが、ですか?」

 その事実は俄かには信じられなかった。だって草壁朱音だ。超然とした佇まいで淡々と確実に仕事をこなし、ミスなんて生まれてこの方一度もしたことがないと言われても疑いなく信じられる朱音だ。ミスという言葉自体が似合わない。しかもその内容が故人を喰われたというかなり直接的なものだと、誰が想像するだろう。

「まだ一色ができる前で、別の支部にいた時だ。あのころの自分は、そうだな、言うなら山根に近かった。なるべく寄り添って、故人にも遺族にも双方納得してもらってから連れていく。そうやって心を砕いて仕事をしていた。……信じられないって顔してんな」

「す、すみません」

「私も若かったんだ、そういう時もあったんだよ」

 顔に出ていたのがすぐにバレて、朱音は珍しく苦笑を浮かべた。

「――ある日、新婚の旦那さんが亡くなった。迎えに行った先で、私は奥さんに朝を迎えるギリギリまで一緒にいさせてくれと懇願され、折れた。そのまま家の前で待機していたが、少ししてから様子がおかしいことに気がついた。空気感が明らかに異なったんだ。慌てて家の中を確認すると、奥さんは視えないのに旦那さんの魂を連れて裏口から逃げだしていた」

 以前桃香のフォローに入った時のことが脳裏をよぎった。視えなくても故人と離れたくないと希い、それを死神に直接告げる遺族はたくさんいる。

「幸い、すぐに二人は見つかったし追いつけた。でも奥さんは私に捕まるまいとそれでも逃げようとし、赤信号にも関わらず道路に飛びだした。その時は冬の夕方で、日が暮れるのも早かったんだ。薄暗い夕暮れ時、大通りで車の往来も多く、私はすぐに奥さんを引き戻しに向かった」

 ふ、と朱音が小さく息を吐く。

「私が奥さんの元に向かった一瞬の隙に、魂を喰らうものが現れて故人は喰われた。思わず私は固まったよ。初めて目にした捕食現場はあまりにもおぞましかった」

「……それは、分かります」

「歩道に連れ戻した奥さんにそれを報告した時の悲鳴は未だに思い出せるし、あの光景は今でも夢に見る。奥さんは鼓膜を突き破るくらい泣き叫んで、そして怒りに変わった。来世でも一緒になるって約束したのにどうしてくれるんだと。人殺しと、憎悪を込めて罵られた」

「で、でも、それって厳密には朱音さんのせいでは……」

 故人にしろ、遺族にしろ、勝手な動きをされると守れるものも守れなくなる。そう言っていたのは朱音自身だ。

「んーまあ、奥さんにとっては私の過失だ。だから当時所属していた支部に毎日のように抗議に来たし、私自身本部の査問委員会にもかけられた。徹底的に調査をした上で最初に故人を連れていくのを待った以外の対応は間違っていなかったと判断されたが、それでも奥さんにとって私は一生人殺しだ」

 朱音はそこで話を止めてごそりとバッグを漁ると、「種田、悪いんだけど」と小さな箱を掲げた。

「煙草、吸ってもいいか?」

「え、あ、はい。……煙草、吸うんですね」

「悪い。休みの日の食後だけな」

 一本煙草を咥えると、朱音はライターをかちかちと鳴らしながら火を灯した。先端が赤く染まって、朱音が紫煙を吐き出す。細く白い煙がふわりと漂って霧散する。

「……それがあってから、私は故人の魂を確実に保護できるように動き方を変えた。例え自分が死んだとしても、絶対に。あの時の選択を私はこの先一生後悔するしあの経験は苦いものだが、そこから逃げても何も変わらないからな。逃げたことは逃げるのをやめるまで、手を替え品を替えてまた自分の前に現れるんだ」

 逃げる、という言葉が深淵に刺さった。

 ずっと逃げてきた。迷ったら、悩んだら、面倒臭かったら、逃げてきた。

 逃げるという言葉は、あおそのものだ。

「種田。このあいだも少し言ったが、失敗は省みろ。後悔も省みろ。無視をしなければ、逃げなければ、それは全部自分の血肉になる」

「……はい」

 真っ直ぐで人間味の宿る言葉に、あおは目を伏せて噛み締めるように頷いた。とてつもなく大事なものに触れるように、そうっと、心の深いところに仕舞い込む。

 ――誰かに本当に大切なことを言われた時、人って心の底でそっと抱き締めるみたいにそれを誰にも言おうとしないんですよ。

 先日楓の言っていたが、よく分かった。

 あおはきっとこの日を、朱音の耳に光る銀色のイヤーカフを、ラーメン屋の雑な「いらっしゃいませ」を、燻る煙草の香りを、豚骨の深い味わいを、腿の上で握り締めた拳の感覚を、この瞬間を忘れることはないだろう。

「説教臭くなっちまったな、悪い。酒と煙草がまずくなる」

 邪気なく笑って煙草を吹かす朱音は、とんでもなく大人に見えた。


     *


 その、十日後。

 朱音が死んだ。


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