3-3
あおの仕事が終わる時間と季黄の学校が終わる時間がほとんど変わらなかったので、待ち合わせは柴花高校の近くにあるカフェにした。あおがお店に着いた時には既に季黄が席に座っていて、メロンソーダに浮かぶバニラアイスをスプーンで掬い上げているところだった。
「あ、あおちゃんお疲れー」
「お疲れ様、季黄ちゃん」
ひらひらと手を振り、アイスを口に含んで「んー」とおいしそうに目を細める季黄は、今日限りで死神を辞めたなんてまるで質の悪い冗談のようだ。ケロリとした表情で気ままに振る舞う彼女は今までと何も変わりない。
注文を取りに来た店員にアイスティーを頼み、季黄の向かいに腰を下ろしたあおは手持無沙汰でお冷に手を伸ばした。真正面の季黄は真剣な顔で、食べるどうか迷っているのかシロップで色づいた鮮やかなさくらんぼをスプーンでつついている。
季黄は、あおと何を話したかったのだろう。
にこやかな店員が頼んだアイスティーを運んできた。ごゆっくりどうぞと決まり文句を落とし、かわいいクリップで挟んだ伝票を置いて去っていく。
あおは置かれていたガムシロップの蓋を開け、琥珀色のアイスティーにたらりと垂らした。
「……あのね、あおちゃん」
ストローでくるりと紅茶をかき混ぜながらあおは視線を上げた。季黄は目を合わせないまま、浮かんでいるアイスをスプーンで崩してメロンソーダに溶かそうとしている。
「あたしね、嫌だったんだ」
勢いよく突き刺したスプーンがメロンソーダを散らし、ぴちりとテーブルに淡い緑の雫が跳ねた。しゅわしゅわと小さな気泡が立つ。
「うん」
相槌を一つ落とし、アイスティーを口に含む。すっきりとした甘さが仕事終わりの身体に染みる。
「ずっとずっと嫌だった。この目が嫌だった。みんなと違う自分が嫌だった」
その気持ちは分かる。痛いほどに分かる。あおもそうだった。そう思っていた。
「ずっと普通になりたかった。普通から外れたくなかったから、あたしは高校に進学したの」
「うん、私もそうだった」
純粋に肯定すれば、季黄がやっと視線を持ち上げた。メロンソーダに入っていた細長いスプーンであおを差し、「だよねえ」とにっこり笑む。
「だと思った。……だから、あおちゃんなら分かってくれると思ってたんだけどなあ」
「……」
浮かべられた笑みがすっと冷えていく。スプーンがグラスの中に戻され、縁に当たってキンと悲鳴のような甲高い音を鳴らした。
「あたしは普通になりたかった。ただそれだけだった」
「……だから、サングラスをずっとつけていなかったんだね」
死神が見習いになった瞬間に支給されるサングラスは、故人の光を視た時に強烈なダメージを負う視神経の負荷をやわらげるためのものだ。死神にとっては手放すことのできない、大事な味方と言っても過言ではないアイテム。季黄はそれを、毎度忘れたと言って着用することはなかった。あおがどれだけ持ってきてと言っても、目の心配をしても、へらりと笑って誤魔化し続けた。サングラスを意図的に着用しない、そこから導きだされるのは彼女の「普通になりたかった」という望みに帰結する。
「うん、そうだよ」
あっさりと季黄は頷いた。開き直っているわけではないが悪びれる様子は一ミリもなく、そこに横たわる純然たる事実を季黄はただ認めた。
「検診ももうずっと行ってない。一色が、生野とかみたいに検診結果を提出しなさいっていう事務所じゃなくて本当に助かった。毎月毎月、守りたくもない目のために病院行って、いっぱい検査して、もっと労ってあげてねえなんて目薬も飲み薬も大量に処方されて。もうまじてうんざりだった」
バニラアイスが溶けて薄く濁ったメロンソーダを少し飲み、はっと嘲るように息を吐き出す。
「元々、あんまり目の耐性が強いわけじゃないの。最初からずっと言われてた。あなたはあまりダメージに強いほうじゃないから、ちゃんとケアをしてねーじゃないと視えなくなっちゃうよーって。あたしは、じゃあさっさと視えなくなればいいのにってそればっかり考えてた。こんな視る能力なんてなくなっちゃえばいい。ずっと、ずーっとそう考えてた。だからね、あの事故現場に行った時、今までになくチャンスだと思った」
あの日覚えた季黄への違和感が正体を現す。
「ここ一か月くらい、段々と視えづらくなっていたのは嘘じゃなくて本当なの。まああたしはこれ幸いとばかりに放置してたわけだけど。それであの日、事故現場に着いてたくさんの故人の光を直視した時に、さすがにこれはやばいんじゃないかって本能で思った。視界が……この目で視える景色が白んで霞んでた。故人の姿が薄ぼんやりと曖昧にしか視えなくて、それも力尽きたようにぱたっと視えなくなったりもした。あの時のあたしがどれだけ嬉しかったか。それこそがあたしが手に入れたい普通の視界だった」
あお自身もあそこまで大きな事故現場に遭遇するのは随分と久しぶりで気が回っていなかった部分もあった。それでもあの時、大人しく何もしなかった季黄がそんな胸中だったなんて知る由もない。あの日を思い出しながら言の葉を紡ぐ季黄は、自分でも気がついていないだろうが鬼気迫るような底の見えない笑顔を浮かべていた。
「こんな目、なくなっちゃえばいいんだよ。周りから孤立させるだけさせて、何の役にも立ちやしない。っていうか人が死ななきゃ仕事もできないじゃん。ハイエナって言われることもあるんでしょ? それ言った人まじ天才だわ」
季黄はメロンソーダのグラスを掴むと、ストローが刺さっているにも関わらず直接口をつけて中身をがぶ飲みした。半分ほど残っていたそれを一気に飲み干し、氷を口に含んでガリガリと噛み砕く。
「あたしはね、あおちゃん。前も言ったけど、死神が大っ嫌いなの」
「……未取くんとか同期の子たちとは仲が良いって思ってたけど」
「それとこれとは別に決まってるじゃん。みんなのことは人間として好き。死神は職業として嫌い。それだけだよ」
グラスの底に残ったさくらんぼをスプーンで掬い上げると、季黄は今度こそ口に放り込んだ。ヘタを取り、もぐもぐと咀嚼してから種だけを吐き出す。
「あたしはやっと普通になれた。みんなと一緒になれたんだ」
「後悔は?」
「後悔? そんなのないない! むしろすっきりさっぱり。視えなくなってから学校がどんどん楽しくなってきたし、正式に手続きしたからもうあたしは無敵だよ。今年の夏休みはいっぱい遊ぶの!」
「……そっか」
以前見かけた、学校帰りの季黄の姿を思い出す。大人になったからこそ考えらえることかもしれないが、この視力がなくなったからと言って「普通」の学校生活を手に入れられるものだろうか。今季黄が楽しい毎日を過ごしているのか、それとも虚勢なのか、あおには本当のところは分からないけれど。
「私がそれに気づいてたら、どこかで止められた? もっと厳しくしてたら何か変わった?」
「あおちゃんがどうしてたって関係ないよ。あたしがこうしたかった、なりたかっただけのことなんだから。指導員が誰であろうと、あたしの本当を変える気はなかった」
言い切る季黄には強さがある。本当に誰が指導しようと、季黄は自分を曲げることはなかったのだろう。きっと朱音であっても。まだ視えていたとしても、この先ずっと、そう在った。
「あおちゃんにはいっぱい迷惑かけたし、学校に通うっていうおんなじ選択をしてた共通点もあるからちゃんと言っとこうかなって思って。だから仕事終わりに呼んじゃった、わざわざごめんね」
「……私も普通になりたかった」
話したいことは全て話し終えたのだろう、席を立った季黄を真っ直ぐに見つめる。
「それはすごく分かるよ」
それだけは、本当に。
あおの含んだ意味を正しく読んだのだろう、季黄はにっと歯を見せて笑った。元来、彼女は聡い子だ。
「残念、あおちゃんなら分かってくれると思ってたんだけどなあ」
肩を竦め、ひらひらと手を振って季黄は立ち去った。背中を見送ることもせず、あおは背もたれに背を預けて大きく息を吸った。
季黄の譲れないものはそれで、そこから逃げずに理想だけを追った。よくも悪くも我を貫き通した季黄に、逃げてばかりのあおが言えることなどあるだろうか。かつて自分が持っていた、「普通になりたい」という願いなど本物ではなかったと思ってしまうほどの季黄の執着は怖さすら覚える。
季黄も、朱音も。
「……みんな、強いな」
テーブルの上には綺麗に空になったメロンソーダと、ほとんど手をつけていないアイスティーが対比のように佇んでいた。アイスティーのグラスに浮いた結露は合わさって雫となり、つーと滑り落ちて敷かれたコースターを濡らす。グラスの中では紅茶の鮮やかな琥珀色と溶けた氷の透明がツートンカラーを織り成していて、あおはストローでかき混ぜて境界線を壊した。




