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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第3章 カッコウは鳴かない
16/26

3-2


     (二)


 今にして思えば、違和感はいくつもあったのだ。違和感。何となくの小さな異変。それでもあおは、その時まで気がつかなかった。

「おはようございます」

 その日は朝からの出勤だった。事務所の扉を開けて、そのまま更衣室に向かおうとしてあおは足を止める。

「おはよう、種田さん」

「あおちゃんおはよー!」

 支部長である灰二が穏やかに笑み、制服姿のままの季黄が満面の笑顔でぶんぶんと手を振る。あおはこくりと灰二に頭を下げ、季黄には小さく手を振り返す。支部長のデスクの前に立っている二人は至っていつも通りだが、しかし醸しだされる空気感なのか、あおには明確な違和感を抱かせた。そもそも平日の朝だ、季黄は学校じゃないのか。

 一体何が、どうしたんだろう……?

「……あの、何かありました?」

 あおの発言に灰二は笑みの中に微かな影を滲ませ、そうして季黄は対照的に笑みを深くした。

「あのねえあおちゃん! あたしねえ!」

「うん?」

「死神、辞めることになったから!」

「……は?」

 にっこりとした笑顔と耳に飛び込んできた言葉のギャップで思考が止まる。

「種田さん、詳しい話はあとでするから着替えておいで」

「あ、はい……」

 馬鹿みたいに呆けたまま、あおは促されるままに更衣室へ入る。ノックも忘れてしまった室内には朱音がいたが、あおは謝ることもせずに染みついた惰性でロッカーを開けた。

 死神を辞める。それは何らおかしいことではない。様々な理由で退職していく死神を今まで何人も見てきている。

 ただ季黄が死神見習いであるという点、この唐突さ、そして不自然なまでの笑顔。全てがどうにもしっくりこない。殊、見習いという扱いは強制ではないがそれに近いものがあり、辞めまーすはいどうぞーとそう簡単にはいかないはずだ。

 衝撃すぎて呆然としながらも毎日のルーティンとして着替えを進めていたあおは、二つ隣のロッカーがぱたん閉められた音に顔を上げる。喪服を着用した朱音が、ちょうどロッカーの鍵を回していた。

「朱音さん」

「何だ」

「聞きました?」

「ああ、聞いた」

 朱音はその簡素な返事だけを落とすと、ぴんと伸びた背中で更衣室を出ていった。いつも通りの強さを宿す朱音の背だ。

 朱音に何を聞きたかったのか、何と答えてほしかったのか。あおは自分でもよく分からないままもたもたと着替えをし、朱音から少し遅れて事務室へ出た。

 深夜帯からのシフトの桃香と未取、今出勤してきたあおと朱音、あとは事務員とパートが数人、デスクの前に立つ灰二と季黄を囲むように並ぶ。灰二は一人一人の顔を見回し、ぱんと手を打った。

「仕事中に時間を取ってすみません。シフトの都合だったり、そもそもお休みだったりで今ここにいない人もいますが、急なことだったのでお話をさせて下さい」

 灰二はあたたかみの宿るやわらかい声で言葉を紡ぎながら、隣に立つ制服姿の季黄に眼差しを移して周囲の視線を誘導した。

「学校と両立させながらバイトとして見習い業務についていた芽吹さんですが、著しい視力の低下により故人が視えなくなってしまいました」

 視えなくなった。灰二が穏やかに語った内容に目を見張る。けれど同時に納得もした。死神見習いが死神を辞める、辞めざるを得ない理由。実際、冬子もそうだ。高校と両立しているだとか、死神育成カリキュラムを受けているだとか、そんなことは関係なく、故人が視えなくなれば死神の仕事はできなくなる。

「……季黄ちゃん、本当に?」

 桃香が目を丸くして問う。当の本人である季黄は「うん、そうなんだよねー」と能天気な笑顔と共に首肯した。

「視えにくいなーっていうのはここ一か月くらいよくあって。何だろうなーって思いつつ流してたんだけど、決定的に影響が出始めたのはあおちゃんと行ったあの事故現場だよ」

「高山の……?」

「そう。あの時、現場に着いた時から何だかうまく視えなくって。だから、色々とちゃんとできなかった。任された故人のお姉さんが逃げた時も、あたしはその姿があんまりちゃんと視えてなかった」

「っ、何でその時に言ってくれなかったの!」

 確かにあの日、帰り道、そういえばって違和感のようなものは覚えた。でも季黄が何もないと笑って流すから、何かあったとしても大したことはなかったのかなとあおも流した。

 気づかなかった。気づけなかった。季黄の指導員はあおなのに。

「現場に着いて、おかしいと思った段階で! 言ってくれたら無理に連れていかなかったし、故人に平手打ちされることもなかったし、かえちゃんにだって責められることもなかったし、周りにだって!」

 滅多とないあの大規模な事故現場で、周囲に迷惑をかけることもなかった。一言、何か変だってそう言ってくれていれば。

 あおが防げた状況に思わず声を上げても、季黄はやっぱりにこにこと笑うばかりだった。

「だって、想像以上の事故の現場であたしも動揺してたんだもん。自分のことなんて二の次っていうかー、ん-、それどころじゃなかったんだよね」

「それどころじゃなかったって……。もしかして、事故の次の日に病院に行った時に視力が落ちてるって分かったの?」

「あー、次の日は行けなかったんだよねえ。病院行ったのはついこの前」

「次の日絶対病院行ってって私言ったよね!?」

「学校がしばらく忙しかったの。ちょうどテスト期間だったし」

 あおはあの事故の翌日、いつもの眼科を七月の検診も兼ねて受診した。マスコットみたいなあのおじいちゃん先生はいつものようにまったりと話し、目にかなりダメージを受けているからと処置までしてもらってから帰った。そこまでしてもらって、あとを引いていた痛みや違和感がやっと和らいだのだ。それを放置していたと言うのだから、思わず頭を抱えた。

「みんなも知っている通り、僕たちのこの目は一度視えなくなると視力が回復することはありません。医師の判断もあり、本当に急ではありますが、芽吹さんは今日で退職ということになります」

 話の舵を戻した灰二がそこで言葉を止めると、季黄が一歩前に進み出てぺこりと頭を下げた。

「短いあいだでしたが、お世話になりました。たくさん迷惑をかけてごめんなさい」

 顔を上げた季黄はどこかすっきりとした様子だ。灰二がもう一度手を鳴らし、「時間を取ってすみませんでした。退勤の人はお疲れ様です、今から勤務の人はよろしくお願いします」と場の解散を告げた。どこか後ろ髪を引かれるような、そんな感覚が拭えなくて誰もすぐには動きだせなかったが、朱音がヒールを鳴らして動いたのを皮切りにばらばらとその場から散り始める。

「芽吹さん、手続きや書類の説明をするので、このまま別室へ」

「はーい、分かりましたあ」

 季黄に声をかけた灰二は、そのまま事務室を出ていく。ステップを踏むような軽やかな足取りで灰二のあとを追う季黄の後ろ姿を、あおは扉が閉まるまでじっと眺めていた。

 季黄がいなくなることが素直に悲しいのだろう、桃香が目を潤ませて更衣室に入っていく。未取はいつも通りの、何を考え思っているのかよく分からない無表情のままタイムカードを押していた。

「……」

 もちろんショックだった。あおは今季黄の直属の先輩なのに、何も気がつかなかったし何も話してもらえなかった。結局季黄は、最後まであおの言葉を聞き入れてはくれなかったのだ。

 しかし違和感と言うべきか、嫌な予感と言うべきか。あおはどうにも引っかかることがあって、釈然としない気持ちが居心地の悪さを引き起こす。

「……朱音さん」

 デスクでキーボードを叩き始めていた朱音が顔を上げる。あおはデスクの前まで移動し、どう言葉にするか迷って口ごもった。

「あの、……」

「芽吹のことか?」

 察しがいいのか、それとも朱音も何か思うところがあったのか。間髪入れずに返ってきた名にあおは小さく頷く。

「私が気づけなかったのはもちろん反省しているんですけど、あの、何となくもしかしたらと思って」

「種田の考えていることは合ってると思うぞ」

「やっぱり……」

 朱音の肯定にそっと息を吐く。

「まだ子供だからな、何を考えているか分かりやすい」

「……」

 このままで、いいんだろうか。複雑な感情が浮かんで沈んでいく。あおが黙り込んでしまうと、朱音は少しだけ意外そうに片眉を上げた。

「さすがに気になるのか。種田の性分じゃないだろう」

「それは確かにそう、ですけど……でも季黄ちゃんについていたのは私ですし、もっと何かできたんじゃないかって、」

 もしかしたら、どこかで止められていたかもしれないから。

「ま、そうだな。できることはあったのかもしれないな」

 朱音は頬杖をつき、手元の書類に視線を落とす。

「でももう決まったし終わったことだ。うだうだ考えたって仕方がねえよ。今回は本人の意向もあるしな、どうしたってこれで終いだ」

「そう、ですね」

「ただ種田に後悔があるなら、次に繋げ。先に言っとくが、もしまた芽吹みたいな見習いが来たら私は種田につけるからな」

 突き放すような強さと、それでいて鼓舞されるような優しさが同居する。朱音の言葉は溶けるようにあおの胸に染みた。

「……はい。ありがとうございます」

「――!」

 あおが頭を下げた瞬間、光が鮮烈に瞬いて存在を主張した。ぱっと顔を上げた時には、座っていたはずの朱音が既に立ち上がってサングラスをかけていた。

「私が行く。あとは頼んだ」

「分かりました。……お世話になっております、全国死神協会一色支部の――」

 事務員が警察に連絡を入れているあいだに朱音は素早く事務室を出ていった。その背は迷いがなくて揺るがない。いつ見ても、何度見ても、朱音の視界に映る景色は普遍的で一ミリも変わらないのだと思い知らされる。

 ぐるり、感情がかき混ぜられる。あおは朱音のように強くはないから、分かっていてもそう簡単に切り替えられない。ぐるり、ぐるり、手を焼いた季黄の甘えた話し方と、でもいつかの日に素直に「ありがと」とはにかんだ笑みが脳裏をよぎる。

「……あおちゃんあおちゃん」

 ふと振り向くと、件の季黄が事務室の扉を少し開けてちょいちょいと手招きをしていた。灰二と一緒に行ったんじゃないかと首をかしげる。

「どうしたの季黄ちゃん」

「あのね、あおちゃん」

 季黄は声を潜めて、そうっと耳打ちをする。

「今日仕事夕方までだよね? 終わったあと少しお話できる?」

 やわらかい吐息がくすぐったい。季黄はにこにことしていて、何を考えているかは読み取れなかった。

「……うん、大丈夫だよ」

「ありがと。じゃあまた連絡するね」

 ひらりと手を振り、季黄は「あ、そうそう」と思い出したように支部長のデスクに向かった。そこに置いてあったのは見慣れないサングラスで、季黄はそれを持って「じゃあね」と事務室を出ていった。忘れものを取りにきたついでだったようだ。

 見慣れない、淡い黄色のレンズのサングラス。本部に返却されるのだろう季黄のサングラスを、あおは今初めて見た。


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