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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第3章 カッコウは鳴かない
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3-1


◯第3章 カッコウは鳴かない


     (一)


 七月も中旬を過ぎ、とうとう梅雨が明けた。梅雨前線が過ぎ去った瞬間に空は夏色に染まり、明度と彩度が増した景色が世界を覆う。指し示したかのように蝉が一斉に鳴きだし、夏の到来を声高に叫ぶようだった。

 蝉時雨が降り注ぐその日。迷子の捜索に出向いたあおは、炎天下の中を上着を脱いで現場に向かった。一色支部の事務所からは少し離れた、雑居ビルが連なる人の気配がない裏通り。そこから妙な悲鳴がたびたび響き渡り、聞きつけた通行人が警察へ連絡するも、確認にきた警察はその場の無人を確かめて終わるばかり。そのやり取りが数度繰り返され、何の痕跡も見当たらない点からもしかして、と死神に連絡が入ったという流れだ。

「暑……」

 梅雨が明けてそう経っていないというのに、日差しの強さは既に凶悪だ。あおはどこかうんざりとしながらも滲む汗を拭い、少し陰鬱な気配のある裏通りをざっと見て回る。

 コツンコツンと静かな路地裏に靴音を響かせて何度も往復するが、報告にあった悲鳴は聞こえないし光の残滓が滲んでいるわけでもない。あおは足を止めて息を吐いた。このまま無駄足に終わるのだろうか。この暑さの中、せっかく支部の区域の端っこまで来たと言うのに。

「――あ、」

 何もないのならばさっさと戻るか、と踵を返した時だ。裏道に入ってきた人影が短く声を落として立ち止まる。

「……あれ、カエデ?」

 あおと同じく、上着を脱ぎ去って半袖のシャツ姿の楓が「お疲れ様です」と頭を下げた。

「お疲れ様。こんなところで会うなんて珍しいね。……ああそっか、ちょうど生野との区域境だからか」

「こんなところで何してるんですか、青」

 サングラス越しの不審そうな眼差しに肩を竦める。

「警察からの依頼だよ。ここから悲鳴が聞こえてきたって通報が何件もあるのに、何度見に来ても何もないから確認をしてくれって」

「……待って下さい、それこっちの案件じゃないですか? おれもほとんど同じ内容で迷子探しに来たんですけど」

「え、そうなの?」

「うちは一般の人からの連絡ではありましたけど……」

 互いに無言で見つめ合い、そして弾かれるように背中を向けてほとんど同時に無線のマイクをオンにした。

「こちら青」

『はい、こちら村崎です』

「今現場に到着して一通り見て回っていたんですが、生野支部のカエデと遭遇しまして」

『ああ、カエデくん。ちょうど支部の境目ですからね』

「少し話をしていたところ、どうにも似たような案件で来たようで……何か情報入っていますか?」

『あら、そうなんだ……ちょっと調べてきます』

「お願いします」

 ぶつっと切れた無線に楓を振り返れば、今あおが言ったのと似たような言葉を並べながら「よろしくお願いします」と頭を下げていた。そして通信を終えた楓に問う。

「そっちはどう?」

「精査してから折り返し連絡するとのことです」

「そっか。うちも同じで、ちょっと調べるって」

 今頃事務所で、事務員同士がパソコンを叩きながら連絡を取り合っているのだろう。結論が出るまで束の間の待機だ。

「……」

 蝉の鳴き声が少し遠くから聞こえる。一瞬の生を全身で叫ぶ魂の音色。その生涯か、それとも空蝉という言葉からか、蝉の鳴き声は暑苦しく鬱陶しくもあるが、同時に言いようのない空虚さや切なさも覚えた。

 だから思い出した、という言うわけではない。しかしあおは、そうするべきだと思って楓の正面に立って頭を下げた。

「え、何すか急に……」

「先日は、うちの支部の者がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 戸惑いと不審を宿した楓の空気がすっと落ち着いていく。何についてか、明言しなくてもあおの言わんとすることは真っ直ぐに伝わったようだ。

「あれから、ちゃんと頭を下げる機会がなかったから」

「……いえ、おれこそ勝手な行動をしてすみませんでした」

 脳裏に蘇るのは、七月に入ってすぐのころに起きた電車事故。スピードを出しすぎた電車がカーブを曲がり切れずに脱線、一般道に侵入した車体はバスに激突して大破した。あとで聞いた報告によれば救助活動は丸一日行われ、死者は七十三人、負傷者は二百五十人余りに及んだそうだ。死者の多くは損壊の激しかった一両目の乗客で、衝突して事故に巻き込まれたバスの乗客もほとんど亡くなったらしい。続く車両も三両目までが線路から完全に逸脱し、二両目は道路に侵入して自動車や通行人を巻き添えにして横転した。

 死者七十三人のうち、高山支部が保護し確認した故人は七十一名だったそうだ。保護できていないあとの二人は彷徨い逃げてしまったのか、それとも気づかぬうちに魂を喰らうものに喰われてしまったのか、真相は分からない。高山支部はしばらく、保護できなかった故人を重点的に捜索すると声明を出し、周囲の各事務所にも協力が呼びかけられていた。だから今、こうして迷子の捜索は積極的に行われている。

 大きな、とても大きな事故だった。

「あれから、芽吹はどうですか」

 ふ、と思わずこぼれたのは苦笑だ。滲んだそれを隠すこともなく、「季黄ちゃんね」とあおは息を吐く。

「特に何も変わらないよ。相変わらずサングラスは持ってこないし、身だしなみは派手だし、誰だろうとヘラヘラ笑って接するし。昨日の朝は一緒にお見送りもしたけど、ひたすら目をこすって眠そうにしてた」

 季黄は相変わらず季黄のままだ。あの日失っていた底抜けな明るさは元に戻り、故人の気持ちを和らげる時もあるし顰蹙を買う時もあった。あの事故の時こそ発揮してほしかったと思う。改めて、やっぱりあの日の季黄はいつもと違っていた。

「は、そっすか」

 心配して損した、とでも言わんばかりに楓が鼻白む。大勢の目がある中で言を放ったことを一応は気にしていたようだ。あおは苦笑いが止められず、けれど昨日の朝見た季黄の眠たそうな横顔が目蓋の裏に宿る。

 目をこすりながら、彼女はそれでもちゃんと故人を見送っていた。

「……今じゃなくても、いつか、この先、何か伝わればいいなとは思うんだけど」

「あの芽吹ですからね、どうっすかね」

『――こちら一色支部の村崎です』

 一瞬のノイズのあとに聞こえた冬子の声に、思考を切り替えて今の仕事に意識を戻す。

『青と、それからカエデくんも聞こえますか?』

「村崎さん……」

『あ、聞こえていますね? 生野支部の犬井さんと話して、無線を繋げてもらっています。単刀直入に言うと、うちと生野の案件は二人が思ったように同一のものでした』

「ああ、やっぱり」

『ただ』

 あおが納得の声を漏らしたのを遮るように、冬子が言葉を続けた。

『更にほかの支部の区域にも似たような通報が寄せられているようで、現在犬井さんと調査中です。最新の情報源によっては二人の行動も変わってくると思うので、もう少し待っていて下さい』

「分かりました。引き続きよろしくお願いします」

 冬子の声が途切れる。つと楓の顔を見ればどこか呆けたような顔をしていて、そういえばとその事実を思い出した。

「ねえ、かえちゃんって何で冬子のこと知ってたんだっけ?」

「えっ、な、何すか急に」

 少しゆるんでいた顔が取り繕うように顰められる。そこには鬱陶しがる素振りも混ざっていたが、「いや真面目にね」とあおは話を続ける。

「だって、かえちゃん生野に来た時点で冬子のこと知ってたでしょ? かえちゃんが来て初めての合同飲み会で、冬子のこと指差して顔真っ赤にしてたのびっくりして未だに覚えてるもん。どこで接点があったの?」

 当時冬子にそのことを聞くと、「あんまり人の顔覚えるの得意じゃないんだよね」とあっけらかんとした悪びれない笑顔で流されたわけではあるが。冬子が覚えていないところで何かがあったのだろう。

 楓は何でそんなこと話さないといけないんだとあおを睨んでいたが、サングラス越しに目を逸らさずにいればやがて観念したようだ。大儀そうなため息とともに、「まだ、カリキュラムを受けていた時です」と言葉を落とした。

「父親が亡くなったんです。病気でした。長く患っていたので、身内はみんな『その時』を覚悟する時間がありました。それでも実際に亡くなれば、やっぱり悲しいし寂しいものです。母やまだ学生だった弟は涙に暮れていましたが、それでも準備を整えて葬儀をやりました。……その時の葬儀場に、スタッフとして村崎さんがいたんです」

 冬子自身から聞いたことがある。冬子は見習い中に故人を視る視力を失ったあと、視えていた経験からその方面のことになるべく関わっていたらしい。大学生の時にその一環で葬儀社でバイトしていたことがあると、本人が前に言っていた。

「おれたちって、人が死ぬことに一般の人よりは慣れてるじゃないですか。死んだあとも少しは話せるし。だからほかの身内に比べたらまだ大丈夫だからって、おれが色々動いて雑務とかこなしてたんです。死神に加えて長男だし、おれがしっかりしなきゃって。でもそうしてたら村崎さんが気づいてくれて、細かい部分を手助けしてくれて。『人より慣れているからって、でも悲しくないわけじゃないでしょう。あなたは今、大切な家族を亡くした遺族なんだから』って、おれがその時死神見習いだって知ってたみたいで、そんな言葉をかけてくれたんです。その時、おれは父親が死んでから初めて泣きました」

 死と共に在る仕事だ。常に死と関わって毎日を過ごしていく。死神は確かに死という状況には慣れているが、そこに感情が伴っているかと問われれば答えは否だ。どれだけ慣れていても誰かの死は悲しく、それが身内であれば抱く気持ちはほかの人たちと何ら変わりはない。

 それは当たり前の事実ではあるが、死神自身だってきっとその時にならないと分からないのだ。

 一度見習いとして死神の職に関わり、それからは普通に生活してきた冬子だからこそ、その言葉を楓に伝えられたのだろう。色々と納得がいった。

「合同飲み会で村崎さんを見た時は本当に驚きました。父の葬儀以降、心の深いところにずっとあの葬儀場のスタッフの顔があったというか……誰かに本当に大切なことを言われた時、人って心の底でそっと抱き締めるみたいにそれを誰にも言おうとしないんですよ。おれはずっと、そうでした。あの時もらった言葉はこの先死ぬまで、死んでも忘れないって確信してます」

 ほとんどを話し終え、楓は小さく息を吐く。

「だから、別に深い意味があるわけじゃないんです。村崎さんには何も言わないで下さいよ」

 睨むように付け足され、あおはもちろんと頷く。

「分かってるよ」

 楓の根底にあるものを見た気がした。桃香の抱く優しい強さとある種似通っているのかもしれない。未取の筋が通って毅然とした真っ直ぐさに近いのかもしれない。譲れない、心の深くに存在する大事な何かは、信念とも正義とも呼べるだろう。

 ……じゃあ、種田あおが持つものは?

 自分自身に問うた。返答は、浮かんでこなかった。

『――一色支部の村崎です。すみません、お待たせしました』

 無線のスイッチが入り、冬子のはきはきとした声が耳朶を揺らす。楓との会話でゆるんでいた空気を引き締め、仕事へと思考を切り替える。

『調査した結果、似たような通報や情報が近隣の支部にも寄せられていました。噂の種は点々と移動するように北へ移っていき、直近ではほんの数分前、朝宮支部の区域で悲鳴が聞こえたという連絡が警察に入ったそうです。朝宮支部には状況を説明し、対応をお願いしました。調査不足で二人には無駄足を踏ませてしまい申し訳ないです』

「いえ、問題ないです。大丈夫です」

『ありがとう、カエデくん。犬井さんからの伝言ですが、カエデくんは一度事務所に戻ってきて下さいとのことでした。青も、一応周辺の確認をもう一度してから事務所に帰ってきて下さい』

「分かりました」

「はーい、了解です」

 ふつりと切れた無線にうーんと腕を突き上げて伸びをする。

「外れくじだったね、お互い」

「こういうこともあるでしょ。別にどうってことはないです」

 楓がさらりと言い切って、裏通りの入り口に向かう。周囲を建物に覆われた陰の世界と、天上からの光を一切遮ることない日差しがまばゆい表通りの境目に背中が立つ。

「かえちゃん」

「何すか」

 振り返った楓はいつも通りの不機嫌そうな顔をしていて、あおは肩を竦める。

「色々ありがとう」

 大切なことを話してくれたこと、そして季黄のこと。言外に含めたそれに気づいたのか気づかなかったのか、楓は愛想のない声で「別に」と落として前に向き直る。

「じゃ、おれ行きます」

「うん、お疲れ様」

「お疲れ様です」

 楓が足を踏みだし、陽の中へと出ていく。ワイシャツの背は紗がかかったように発光して薄らぎ、そうして角を曲がってすぐに見えなくなった。

「……私も戻るか」

 あおも楓に続くように裏路地から出る。途端、忘れていた鮮烈な日差しに全身を貫かれ目眩を覚えた。ぐわりと空間を湾曲させるようにさんざめく蝉の鳴き声が三半規管を狂わせる。

 ああ、本格的な夏の到来だ。

 どこかうんざりとしながら、あおは事務所への帰路を辿った。


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