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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第2章 黄昏時
13/26

2-5


     (四)


 支部長会議に出かけていたはずの灰二から無線が入ったのは、季黄が学校終わりに出勤してきて更衣室で着替えている時のことだった。

『——もしもし、木田です』

「支部長? どうしたんですか?」

 会議中のはずの灰二の声にあおは目を丸くして首をかしげる。

『種田さん? 今事務所ですか?』

「はい、そうです」

『今手が空いている人はいますか?』

「えーっと私と、準備ができ次第季黄ちゃん、あとはパートさんですね。一茶くんは故人のお迎えに行っています」

『そっか……。じゃあ種田さんと芽吹さんの二人は、今すぐ高山支部に行ってもらえますか』

 高山支部はお隣の生野支部の更に隣にある区域で、小規模の病院をいくつか内包している小さな支部だ。系統で言えば一色支部と似ており、今年は季黄と仲の良い笹が研修として配属されている。

「……何かあったんですか?」

 灰二の声はあくまで普段通りの穏やかさを保っているが、しかし導きだされる状況は決して平穏ではない。あおは自身の予想に眉を寄せ、そしてそれが外れていないことを灰二に告げられる。

『僕も今聞いたばかりで詳しい状況はまだ分からないのですが、どうも高山でかなり大規模な事故が起きたようです。死傷者も多数出ているだとか』

「分かりました。すぐに準備して向かいます」

『よろしくお願いします。気をつけて』

 あおは立ち上がり、サングラスをかける。タクシーの手配を冬子に頼み、備品の中から「一色支部」と書かれた腕章を二つ手に取り、更衣室の扉を叩いた。

「季黄ちゃん、準備できたらすぐに下に来て。出るよ」

「えー出るってどこに?」

「いいから急いで。下で待ってるからね」

 扉越しに急き立て、あおはそのまま事務所を出る。ビルの下で待っている数分のあいだに冬子が高山の現状を調べてくれた。情報は錯綜しているようだが、どうやら電車が脱線事故を起こしたらしい。車内にいた人間はもちろん、道路にいた無関係の人間もかなりの数が巻き込まれているようだ。

 やがてタクシーが到着すると同時に季黄が下りてきた。暢気ににこにこと手を振る彼女を追い立てるようにタクシーに押し込み、すぐに高山支部に向けて出発してもらう。

「……で、あおちゃん。これって一体何なの?」

「高山支部で大規模な事故があって、死傷者が多数出ているんだって。高山支部はうちみたいにこじんまりとした支部で人手が足りないから、応援で行くの。もしうちの区域で大きな事故があったら、同じように他支部からの応援を要請するようになる」

「へー」

「生野支部くらいの規模だったら、よっぽどのことじゃなければ自分の支部だけで何とかできるだろうけどね」

「こういうのってよくあるの?」

「年に一回あるかないかだよ。応援の要請で行くのは私もこれで三回目かな。事故のほかに、災害の時もあったりするけど」

 人為的なものにしろ自然が起こしたものにしろ、そこで多くの人が亡くなる状況があれば死神は出動することになる。その規模が大きければ大きいほど、人が亡くなる数が多ければ多いほど、比例して死神の数も増える。

「ふーん……」

 季黄は興味がなさそうに今日も綺麗に施されたネイルに視線を落とし、興味がなさそうな適当な相槌が落ちる。

 先日朱音に言われたから、もある。けれどあおは何より、このあとのことを思って眉を寄せた。

「季黄ちゃん、悪いけど気を引き締めて。こういう現場は普段の業務とは全然違うから」

「へえ、そんな言うほど?」

「言うほどだよ」

 あおが初めて災害の現場に赴いたのは正規雇用になってからだが、その凄惨な状況に思わず身動きが取れなくなったくらいだ。もちろんその時々で度合いは異なるが、苦しいほどのひりつく空気感はどの現場も同じだ。心構えをしておくに越したことはない。

「あと季黄ちゃん、サングラスは?」

「今日も忘れちゃったあ」

「……じゃあ尚更、覚悟して。きっと過酷だよ」

「はいはーい、りょりょ」

 何を言っても聞き流される。現場に直面すれば、さすがの季黄も分かるだろう。鼻歌混じりに流れる景色を眺めている季黄に、あおは一旦口をつぐんだ。


 私鉄が止まる高山駅に向かう途中の電車だったらしい。カーブを曲がり切れずに脱線した車体が道路を走っていたバスに激突、更にほかの乗用車や通行人たちも巻き込んだ。

「……うわ、」

 タクシーで三十分ほど、途中で入った続報で事故の現場を伝えられ、あおたちはそちらへ直行した。タクシーを降りて事故現場を直接目にした季黄が、思わずと言った風に声を漏らす。鮮やかな夕焼けに照らされたその景色を現実と理解するのが、あおも難しかった。

 鉄塊が横たわっていた。話を聞いていなければ、それが電車とバスだとは判別できないほどに原型を留めていない。

 怒号と悲鳴が飛び交っていた。制服を着た人間がそれぞれ駆け回って救助にあたり、被害者だろう人間が足を引きずりながら歩き、そして野次馬とマスコミが遠巻きに佇む。

 複雑なにおいがした。電熱臭いにおい、鉄臭い血のにおい、アスファルトが焼けたようなにおい、舞い上がった塵や砂利が埃臭い。

 そうして、何より。死神であるあおたちにとって一番強烈なのは、明滅する光の数だ。あちこちで肉体と魂の分離する光が瞬いてうねるように一体化し、一つ一つが捉え切れない。その光の多さはサングラス越しでも鮮烈に視界に刺さり、反射的に涙が滲んだ目を眇めた。

「黄色、サングラスを忘れたのは仕方がない。でも分かる通り、この現場は私たちの視力に強烈なダメージを与える。明日、絶対に病院に行きなさい」

 裸眼の季黄はあおよりももっとダメージが大きい。既に影響があるのだろう、険しい顔でまばたきを繰り返していた。

「……はい」

 季黄に腕章を渡し、あお自身も腕につけて自分がどの支部の死神であるかを明確にする。特殊警棒のグリップを握り、振り下ろしてシャフトを固定させた。

「行こう、黄色」

 季黄の背中に一度手を添え、あおは現場へ乗り込む。

 走り回る救急隊や消防隊員に頭を下げながら進んでいると、時折鋭い視線を向けられた。あおたちは救助活動に来たのではない、故人の魂の回収だ。死地に現れるハイエナだと、一部の人間は死神のことをそう揶揄した。実際あおたちに直接の救助活動はできないので仕方ないことではあるのだが。

 遺体から離れて呆然と佇んでいる故人や、自分の遺体を前に慟哭する故人を保護しながらあおは高山支部の死神を探した。慣れ親しんだ担当区域ではない地域での活動は、その区域の死神に指示を仰ぐことが鉄則だ。季黄と故人を連れ、常にちかちかと光が閃く視界の中で忙しく動く喪服姿の腕章を確認していく。

「——! すみません、一色支部です」

 やがて「高山支部」の文字を見つけ、あおは見失わないうちに声をかける。面識がないので分からないが、一人の故人を連れていた男性の死神は中堅どころなのだろう、この状況の中でも落ち着いた様子で頭を下げた。

「ご協力ありがとうございます。着いたところですか?」

「はい、ついさっき」

「では手短に説明をします。ここから高山支部の事務所までは少し距離があるため、故人を一人一人お連れするのではなく、一か所に集めてから移動をするようにしています。移動を先導するのはもちろん高山の死神で、大体故人が五から十人に対し死神は三人ほどの人数で事務所を現場を往復しています。往復に付き添ってもらうのはなるべく視認性の高い死神にお願いしているのですが、お二人は?」

「私も彼女もそこまでは。基本的に逃げです」

「分かりました。では現場に残って、故人の保護をお願いします」

 桃香であれば間違いなく往復の班に入るのだろうが、こればかりは仕方がない。適材適所だ。

「事故の発生からそろそろ一時間近く経ちます。既に何体か魂を喰らうものも現れていますので、周囲には充分ご注意を」

「分かりました」

「よろしくお願いします。……そちらのお二人はこのまま僕がお連れしますね。こちらへどうぞ」

 あおが連れていた故人に声をかけ、高山の死神が故人三人を伴って数人の喪服が立っている場所へ向かっていく。どうやらそこがとりあえずの待機場所らしい。

「黄色、今の説明を聞きましたね?」

「うん」

 季黄の顔は強張り、そして何度も何度も目をこすってまばたきをする。あおは一瞬だけ考え、すぐに首を振った。

「このまま私と一緒に行動をしてもらいます。やることはいつも通り。いいですね?」

 さっき、季黄の同期である笹が一人で動いているのを見かけた。未取がこの現場に来てもそうなるだろう。しかし季黄には単独での行動をまだ任せ切れない。

 こくんと頷いた季黄を連れ、あおは更に事故現場の中心へと近づく。吹っ飛んだのだろうガラスや何かの破片が散乱し、歩くたびに耳障りな音を立てる。真っ赤な夕焼けに照らされたぐちゃぐちゃになった電車とバスが得体の知れないものに見えた。

 損壊の激しい箇所には既に重機が出動しており、瓦礫を撤去しながらの救助活動が進められている。より強い光が集合しているから、亡くなった方も多いのだろう。しかしその一方で瓦礫の隙間から上がる声もあった。救助隊が呼びかけ、死神も故人を保護しながら瓦礫の撤去作業や被害者の救出に手を貸している。

「——すみません、そちらの方は私たちがお引き受けします!」

「! 助かる、頼んだ!」

 腕から血を流す負傷者に手を貸していた死神から故人を預かり受ける。同世代くらいのその女性は状況を把握できていないのか呆然としており、ふらりとどこかへ離れていきそうな危うさがあった。

「黄色、その方と手を繋いで。周囲には注意、異変があればすぐに私に」

「う、うん」

 季黄は戸惑った様子できょろきょろと周りを見て、それから故人とそっと手を繋ぐ。その感触にすら故人の彼女は気がついていないようで、ただただ虚空を眺めているだけだった。

 大破した電車とバスの瓦礫の中には無数の光が明滅するが、しかしまだ中に取り残されている人間を助けだす出入り口が確保されていない。故人もまた、中から出てこられなければ保護ができなかった。

「ここはまだ時間がかかる、別のところへ!」

 救助隊に呼ばれた死神の男性は。そのまま協力して瓦礫の撤去作業にあたる。単純な腕力が必要とされる場面、ここで佇んでいてもあおたちに手伝えることは今はない。鉄塊の下、夕日を浴びててらりと光る誰かの血溜まりが目に焼きつく。

「……はい、分かりました」

 凄惨な現場に飲まれそうになる自我を保ち、振り切るようにあおは足を動かす。恐らくこのバスと衝突した車両が一両目、続く二両目はぐちゃぐちゃになりながらも何とか連結は外れていないが、乗用車を数台巻き込んで横転しているようだ。一両目に比べればまだ元の形を留めているが、しかしそれでも充分事故の衝撃を物語っている。

 二両目の出入り口は既にこじ開けられており、中を覗くと救急隊員や負傷者がいた。頭から血を流す男性は壁にもたれかかったままだが意識ははっきりとしていて隊員とやり取りをし、痛いと呻き声を上げる老人は今まさに応急処置を施されているところだった。素人目にも、足の関節が曲がるはずのない方向へ曲がっているのが分かった。

 自力で動ける人たちは広い場所へと移動したあとなのだろう。中に残っているのは立ち上がるのも難しい怪我人か、もしくは既に亡くなっているかのどちらかだった。

「……すみません」

 横転した車内を、割れた粉々になった窓ガラスの破片を踏みつけながら奥に進んで、あおは蹲る老婆に声をかけた。頭がゆっくりと持ち上がり、ゆらゆらと虚ろな視線が曖昧にこちらを見返す。

「動けますか?」

 その眼差しはガラス玉のようだ。ただ外界を映しているだけでその目に映るものを何も理解していないように、白髪の女性は何の感情も浮かべずあおを見る。

「とりあえず、外へ出ましょう」

 手を伸ばす。彼女はゆっくりとあおの手に視線を転じ、それから自身の傍らへと目を落とした。仰向けに倒れる老婆の身体は砕け散ったガラスが無数に刺さり、顔面は血に濡れてその表情を判別できない。頭を強く打ったのか、綺麗な白髪は真っ赤に染まっていた。失った生命の残滓がちかりと滲む。

 彼女はもう一度あおに視線を戻すと、ゆらりと手を持ち上げて重ねた。皺だらけの透けたその手をしっかりと掴み、力を入れて引き起こす。ゆっくりと立ち上がった老婆はもう一度倒れ伏している自分の姿を眺め、そうしてあおに手を引かれるまま歩きだした。

 車内では動かしても大丈夫と判断したのだろう、頭から出血していた男性が担架に乗せられるところだった。

「……そちらの方も、あとで必ずお連れしますので」

「よろしくお願いします」

 一人の隊員が老婆の遺体を見やり悔しそうに顔を歪めた。あおは頭を下げて救助隊員たちに先を譲り、そのあとで車内を出る。怪我人が運ばれていく先は簡易的な救護所が展開され、怪我の度合いによって区画が分けられている。遠くから見ても多くの救助隊員たちが走り回っている箇所は、最も重傷な被害者たちが集められているのだろう。一刻を争う重体患者は先ほどからひっきりなしにサイレンを鳴らしている救急車が順に大きな病院へ運んでいた。

 そうしてその慌ただしい区画から少し離れた場所に寝かされている被害者は、みな一様に光の残滓が燻っていた。既に亡くなっている人たちだ。目視だけでもかなりの人数がいる。

「——いつもより、速いなと思ったの」

 ぽつりと落ちた老婆の声に、あおは相槌を打って話を促す。故人の手を握ったままずっと黙って後ろをついて歩いている季黄にも、アイコンタクトでこのまま待機場所へ向かうことを伝えた。

「びゅんって、飛ぶように電車が走っていて」

「はい」

「小さな子が、電車速いってはしゃぎながらお母さんと話していて、それがかわいらしくて眺めていたの」

「はい」

 彼女は虚空に相貌を向けたまま、うわ言でもこぼすようにぶつぶつと呟く。

「カーブに入って、がたんって大きく揺れて、どんってぶつかって、身体が宙に浮いて」

「はい」

「いろんな音が……ガラスが割れて、悲鳴と、痛いって、みんな、言っていて……あ、あ、嫌だ、怖い、怖い——!」

 瞳孔の開いた眼差しが過去を捉えて混乱する。繋いでいた手を振りほどき、老婆は頭を掻きむしって慟哭する。甲高い悲鳴が空間を裂いて鼓膜を突き刺し、びりびりと空気が揺れた。

 振り回される手で身体を叩かれながら、あおは彼女の両手を捕まえた。

「大丈夫です」

「嫌だ、ガラスが割れて、悲鳴が、怖い、どんって身体が飛んで、みんなぶつかって、悲鳴が、きゃーって——!」

「大丈夫ですよ、もう全部終わりましたから」

「……終わっ、た?」

 老婆の虚ろなガラス玉があおを初めて意味のあるものとして捉えた。抵抗していた手の力がゆるむ。はい、とあおはゆっくりと頷いた。

「もう終わったんです。痛いことも、怖いことも」

「……本当に?」

「ええ。もうどこも傷まないし、何も怖いことはありません」

「……」

「あなたは、よく頑張りました。ご冥福をお守りするために私たちは来たんです」

 握った手にぎゅうっと力を込めると、浮かべていた混乱が目に見えて落ち着いていく。

「終わった……そう、終わったの……」

 周囲にさっと目を走らせると、待機場所にいる死神の数が先ほどよりも明らかに増えていた。待機している故人もそこそこの人数がいて、そろそろ事務所へ向かう一団が出発するのかもしれない。混乱が落ち着いたこのタイミングで早めに連れていってもらったほうがいいと、あおは止まっていた歩みを再開させた。


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