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頭上の空は今日も青い。  作者: めろん
◯第2章 黄昏時
11/26

2-3


     (三)


 梅雨前線がまだ居座る空は燻るような曇天模様で、昼中だというのに外はどんよりと薄暗かった。気温はそこまで高いわけではないが、湿度はそこそこ高いようで蝕まれるようにじっとりと汗が滲む。もう少ししたら、故人と接する時以外は上着を脱ぐようになるだろう。

 あおは額に浮いた汗を拭いながら、先ほどやって来た警察官に概要を語る。

 今回亡くなったのは菅田友恵、五十四歳主婦。自宅で料理をしている最中に心臓が強烈に痛み、そのまま亡くなった。事件性はなく、本人曰く心筋梗塞か何かだろうとのことだった。菅田の家系が代々心臓を悪くして亡くなっているらしい。

「——はい、分かりました。おおよその状態は把握しました」

「ではあとは任せても大丈夫でしょうか?」

「はい、自分が引き受けます」

「それではよろしくお願いします」

 しっかりと頷いた警察官に目礼し、あおは菅田を促して菅田家を立ち去る。腰に下げた特殊警棒を手に取り、振り下ろしてシャフトを伸ばしてグリップを握り直した。

「では菅田さん、これから事務所に向かいます」

 空模様は煤を混ぜたような灰色で、重たく分厚い雲が隙間なく頭上に広がる。雨が降る気配こそないが、空気中から飽和して水滴が落ちそうなくらい湿度が高く、全身に纏わりつくような生ぬるい空気が不愉快だ。

 まあでも、平日の昼間なので季黄はまだ出勤しておらず、一人きりでの業務はまだ気が楽だ。生憎の天気は諦観を持って受け入れ、事務所に戻ることに意識を向けて周囲に気を巡らせる。そうしていざ出発と思った時、しかし出鼻はくじかれた。

「——!」

 閃光が弾け、あおは一瞬目がくらんでたたらを踏んだ。

「……青さん?」

 菅田が心配そうにこちらに寄ってきたのをあおは手のひらで制し、まだ光の残像が蠢く眼差しを走らせる。サングラス越しでも覚える強い眩しさは、単純に距離が近いからだろう。事務所へ戻る方向とは逆になるが、ここから寄れないことはない。

 あおは無線のマイクをオンにした。

「こちら青です」

『はーい、こちら茶色ですー』

 応えた声は事務所で待機している一茶だった。三十代の男性死神だが、一茶はゆるやかな雰囲気で誰に対しても接し方が優しい。間延びした声に抱いた緊張感が少しゆるんだ。ふ、と息を吐いてからあおは状況を伝える。

「今故人を連れているのですが、恐らく現場から近い場所にいます。このまま向かいましょうか?」

『——こちら赤』

「!」

 いきなり通信に増えた朱音の声に驚き、今目の前にいないというのにあおは勝手に背筋が伸びた。あおが事務所にいた時はまだ朱音の姿は見えなかったが、そういえば今日は昼からの出勤だったか。

 一週間ほど本部へ出張していたので、朱音とはしばらく顔を合わせていなかった。元死神の故人の一件があって以降、シフトが被るのは初めてだ。あのことは朱音の耳にも入っているので、あとで何か言われるだろうかと一気に心臓が軋んだ。何とはなしに居心地が悪い。

『同じく今現場付近にいる。手が空いているから私がこのまま向かう』

『構わないんですか、赤?』

『ああ、問題ない。青はそちらを頼む』

「わ、分かりました」

『えーっと、じゃあ二人ともお願いします。警察への連絡とこっちの準備は俺がやっときますねえ』

 ふつりと通信を切り、あおは「お待たしてすみません」と菅田に頭を下げた。

「いいえ、私は別に……青さんこそ大丈夫?」

「別件で少し。支障はありませんのでご安心下さい。それでは改めて行きましょうか」

 まだ視界の端には近くで亡くなったばかりの故人の命の残滓が光っているが、あおは今度こそと歩を進める。

 大通りは避け、なるべく人通りの少ない裏道を選ぶ。昼を過ぎたこの時間は時折通行人を見かけるくらいで、運がいいのか魂を喰らうものと出くわすこともなく、あおたちの足取りは順調だった。菅田のあまり早くはない歩調に合わせながら、十分ほどか。ぽつりぽつりと話をしながらも、菅田はあおの声かけに従順に反応してくれてやりやすい。少し前には朱音が故人と接触した旨の無線も入って、気が重い部分はあるがそれぞれに仕事がうまく回っていることに安堵を覚える。

 菅田は色々な話をした。自分が学生だった時の話、趣味であるガーデニングの話、そして夫や娘の話。特に家族の話をする菅田は本当に幸せそうで、話を聞いているこちらまで微笑ましくなる。あおは菅田の話に耳を傾けながら前方に視線を走らせて周囲を確認し、そうして丁字路の手前で足を止めた。手のひらを向けて菅田の歩みも留め、自分が先に行って進路を確かめる。

 向かう先である右には何の姿もなく、左はと顔を向けたあおは一瞬動きを止めた。

「青」

「……赤」

 そこには故人を連れた朱音がいた。赤いレンズのサングラスに隠された視線は見えづらいが、ほとんど条件反射であおは肩を竦める。久しぶりに顔を見た朱音は佇まいから変わらず凛と強いものがあり、あおは思わず目を逸らした。そもそも何でここに朱音が、と現実逃避のように考えて、すぐに現場が近ければ同じ道を通ってもおかしくないと思い至ってこの状況に納得した。

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れ」

 朱音に頭を下げると、予想外に互いの背後から声が上がった。

「——あら、トモちゃん!?」

「芹沢さん!?」

 あおが連れている故人の菅田と、朱音が連れている故人がきゃあと黄色い声を出して駆け寄った。互いに透けた両手を伸ばして握り合い、きゃっきゃとはしゃいで笑い合う。

「あらやだ、こんなばったり会うなんて!」

「本当に! あたしもびっくりしちゃった!」

「死んじゃったからもう会えないかと思ってたわ」

「あたしもよお! もうやあねえ!」

 きゃらきゃらと笑い声を響かせながら菅田ともう一人が楽しげにさざめく。状況だけを抜きだせば、それはまるで女子高生がはしゃいでいるようにも見えるが、現実はそう微笑ましいものではない。

 笑い合っていた二人もやがてそれに気がつき、甲高い笑い声はじきにフェードアウトして消えた。

「……え、待って。芹沢さんさっき、あたしもって言った……?」

「トモちゃんこそ。死んだって……え、嘘でしょう?」

 故人二人が事実を見つめ動きを止める。あおが朱音を見ると、彼女はコツコツとヒールの音を鳴らして連れていた故人のそばに立った。

「青、こちらが先ほどお亡くなりになった芹沢小百合さんだ」

「あ、私がお連れしているのが菅田友恵さんです。……お二人はお知り合い、ですか?」

 後半を菅田と芹沢に向けると、二人はまだ驚きが抜け切っていないようだが、揃って「ええ」と頷いた。

「ご近所だし、子供が同級生だから昔からの付き合いで……」

「今でも町内会の集まりではしょっちゅう会うし……」

「何なら、一昨日そこのスーパーで買いもの中にばったり会ったじゃない」

「あらそうだったわね」

 二人のやり取りが、あおと朱音に説明していたものから徐々に互いだけの個人的なものに変わっていく。どこかで口を挟まなければとあおが焦れていると、足を止めたまま流れるように続く会話に朱音がばっさりと切り込んだ。

「お二人とも、ここに留まっていては危険です。向かう先はどちらにせよ同じですし、お知り合いだということですので、このまま同行という形を取ってもよろしいでしょうか?」

「あ、私たちはそれで……ねえ?」

「ええ。そちらが大丈夫なら全然構わないわ」

「ありがとうございます。ではご説明申し上げた通り、このまま事務所に向かいます。……青」

 声をかけられ、あおは小さく頷いて後ろに下がる。後方から三人を視界に捉える位置。判断は間違っていなかったようで、朱音はそのまま「行きましょう」と先頭に立って故人たちを促し歩みを再開させた。

 真ん中に故人を配置し、それを挟むように前後に死神がつく。こうやって合流することはプライバシーの問題からあまりないケースではあるが、それでもあらゆる状況を考慮すれば全くないわけではない。対応のやり方はそれなりにある。

 知人同士の菅田と芹沢は話が尽きないようで、横並びでずっと楽しそうに会話を交わしている。菅田も、先ほどあおといた時よりも表情が豊かでリラックスしているようだ。二人の声を聞くとはなしに耳にしながら、あおは視野を広く持って周囲を警戒する。

「……」

 しかし、だ。

 こういう風に朱音と組むなんてことは滅多になく、あおは最後尾から故人たちを飛び越えて彼女を盗み見た。しゃんと伸びた背中は気高く、踏みだす一歩一歩に迷いがない。周囲を見回して時々目にする横顔は凛としており、近寄りがたさと真摯さが同居して朱音の常の姿勢を思い出させた。日頃からの厳しい言動を自身でそのまま体現している様は揺るがずブレがない。

 朱音のことは苦手だ。でも苦手だと思う以上に、その強さには焦がれるものがあった。自分とは正反対な、完璧な人間だから。

「——でね、その時のお隣の奥さんがねえ」

「あら、そんなこともあったわね! すっかり忘れてたわ」

 菅田と芹沢はすっかり盛り上がって二人の世界になってしまっている。会話に夢中になり気がそぞろになった歩みは遅々とし、先頭を行く朱音と少し距離が開き始めた。朱音ももちろん気にしてペースを調節してはいるが、このままだと予定以上に時間がかかってしまいそうだ。周囲を窺いながら、あおはそっと二人の背中を押す。

「お二人とも、足が止まっています」

「やだ、ごめんなさいね」

「おばちゃんたちったら、つい夢中になっちゃってダメねえ」

 口では謝りながらも、だからと言って菅田と芹沢の歩くスピードが早くなるわけでもなかった。自嘲は自分たちの笑いの種となり、そうしてまた会話が芽吹いて「最近ね」と新たな花が咲き始める。合流するまでのあおたちの足取りは順調だったが、知己の人間と会うと人はどうも気がゆるむらしい。あおがそれについて説明した時、菅田は随分と怖がっていたように見えたが、そのことは頭から抜け落ちているようだ。

 だから、そうなった。

「……青」

 前方を行く朱音が歩を止める。あおは背後に何もないことを確認してから、故人たちの前に出た。腕を伸ばし二人を少し下がらせると、状況の変化に気がついて「え、何?」と首をかしげる。そこでやっと、自分たちの進行方向を見た。

「――きゃあっ」

「やだ、何あれ!」

 前方の朱音、更にその前に魂を喰らうものは現れた。黒い靄が禍々しくざわめき、曖昧な輪郭を引いて人の形を描く。音もなくじりじりと這い寄ってくるそれに朱音が警棒を構えて突っ込んだ。朱音は桃香のように一発で核を捉えることはできないが、確実に削ってから核を叩く堅実な対応だ。

 伸びてきた腕を一閃、返す手で逆の腕も払うがそれは圧縮した空気に防がれた。魂を喰らうものが振り上げた脚を膝で往なすと、朱音は警棒を振りかぶって胴を薙ぎ払う。大きく形を崩す黒い靄に、あおは今のうちと背後の二人を振り返った。

「今のあいだに進」

「トモちゃんこっちに逃げましょう!」

「ええ!」

 あおの瞳に映ったのは全く違う方向へ逃げていく菅田と芹沢の後ろ姿で、思わずひゅっと息を飲んだ。

「っ、二人とも待って!」

 あおが声を張ったところで二人が立ち止まるわけではない。そのまま故人たちは走っていき、道を逸れてあおの視界から姿を消す。あおはもう一度振り返り、交戦する朱音に叫んだ。

「追います!」

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