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きつねっこの恩がえし  作者: ハシバミの花
9/10

九つここまでキクの花

 正月一日、町は大さわぎになっておりました。

 なんでも神社で人外のものが出たらしく、それが神さまだとか仏さまだとか、悪党どもをこらしめられに天から舞いおりたとか、いやそうではなく狐だか狸だかのしっぽがあったとか、だれもかれもが口々に勝手なことを申しておりました。

 あの馬子たちは捕吏(ほり)につかまり、さんざんっぱらとっちめられたという話ですが、ヤタロたちは日ものぼらぬうちに町を出たので、そのことは知らぬままでありました。

「キクや、どこか痛いところはないかい」

「いいえ、ヤタロはそんなに荷物をもって、傷にさわるんではないの?」

 街道をもどるふたりはたがいに気づかいにみちていて、どこから見ても、ほんとうの夫婦でありました。

「親分にまた仕事をたのまれてしまったが、それがおわったらしばらくこの町には近づかないがいいだろう。とにかく山にもどったら、ゆっくりするとしよう」

「あい」

 山にもどったヤタロとキクは、ふたりっきりの生活を心ゆくまで楽しみました。

 ふたりはむつまじい夫婦になりましたが、時がたつほどキクの体がおかしなことになってまいりました。

 下腹がおかしいらしく、しきりに撫でたりさすったり、腰が冷えるなどと申しては、蓑を巻いたり布でくるんだりいたします。

 それと、人に化けるのがうまくいかなくなりました。

 耳やしっぽが出るならまだしも、肌に毛が生えひげが生え、くしゃみひとつでキツネに戻ってしまうというありさまなので、

「これは、人里にはおりられないなあ。今度の品卸しには俺ひとりで行っておくから、キクはここでゆっくりまっていな」

 ヤタロが心配してそういうも、

「いやです、キクもいっしょにまいります。キクはヤタロと、いっときもはなれとうないもの」

 などといってごねますので、仕方なしにつれてゆくことにいたしました。



 春先といえば、キツネの絵馬に、雛人形と相場が決まっておりますが、ことヤタロのこさえる小雛は江戸の人形師にもまけぬと評判でありましたから、ヤタロもきばって愛らしいのをいくつもいくつも作ります。

 絵馬にはおもしろかろうというので、キクにキツネの足形をぺたりと捺させてみました。

 赤い顔料が粋で、これはまた評判になるかもしれません。

 暦が如月きさらぎにはいり、ふたりは山をおりました。

 大荷物をもったヤタロと野良仕事ふうにまぶかに手ぬぐいをかむったキクは、街道をゆく人々からさほど目を引くものではありませんでしたが、ときに勘の鋭い人が、じっとこちらを見ることがありました。

 道半ばほどでありました。ほら貝を持った山伏が、道ばたでさい銭をあつめておりました。どうもよくない気がして、ヤタロたちは足を早めてとおりすぎようといたしましたが、やおら山伏が鋭い眼光をむけ、

「ぶおう」

 ほら貝をふきならしますと、

「きーん」

 たまらずキクが、キツネにもどってしまいました。

 ヤタロがキクを抱えて走りだしまして、その場はなんとかごまかすことができましたけれど。



 その日からキクは熱をだし、宿場で何日も足どめとなりました。

 医者をよぶわけにもゆかず、さりとてキクを置いてひとり荷を卸しに町へゆくわけにもいかず、まさしく立ち往生でございます。

「ヤタロ、ごめんよ。ごめんよ」

 枕をぬらしてあやまるキク額を、ヤタロは優しくなでてやります。

「気にするでないよ。安心して養生おし」

 キクは洟をすすりながら布団にもぐってしまいます。

 人目につかぬよう、キツネにもどって体を休めようというのでしょう。

 ヤタロの手あつい看病もあってか、熱もやがてひきまして、ヤタロとキクはようやく町へむかいました。

 が、時がたつほどキクの足はこびはどんどんあやしくなってゆきまして、やっと町の入り口というところで、ついに立ち止まってしまったのです。

「ヤタロ」

 ヤタロがふりむくと、キクが悲しそうにこちらを見ておりました。

 もう、ヤタロにはわかっておりました。

「キクは、いくよ」

 ヤタロは人間で、キクはキツネっこ。

 しょせん一緒にはなれぬのでしょうか。

 これがキクとの別れと知ったヤタロの胸にも、言いようのない寂しさがせまります。

 だけどヤタロは涙を胸に押しこめ、精一杯に笑いかけ、もういいんだよ、というふうにゆっくりと頷いてやりました。

「きーん」

 キクがひと鳴きいたしますと、そこには初めて会ったときよりも、ずいぶん立派な雌ぎつねが現れました。

 今日このときまでヤタロはとても幸せでした。

 キクとすごした毎日は、生きてて一番幸せな時間でした。

 ですけれど、それももうおしまいです。

 キツネっこの恩返しは、これでおしまいなのです。

「キクや」

 ヤタロが優しい声でいいました。

「ありがとうよ」

 雌ぎつねは、ぱっとどこかへ走ってゆきました。そして遠くから、

「こーん」

 という、なごりおしそうな鳴き声がとどきました。

 足元には、小さな矢絣のきものと手ぬぐいと赤いかんざしと、小さな匙が残されておりました。

 山では雪がとけだしております。

 春もじきやってまいりましょう。

次回、最終話です。

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