第四章 一、白い獣(三)
……火災なんて気にせずに、最初から撃っていればよかった。成獣でもないのに、まさかここまで強いなんて。
「エラ! やだ……」
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(なかなか噛みついてこない……焦らされてる?)
――フワ。という感触が顔をうずめたような気がした。
「か……かわいい! やっぱりじゃないの! よかった。その子は仲良くしたいみたいよ!」
(……え?)
恐る恐る目を開くと……白い毛がもぞもぞと動いている?
というか、白い光景だけで何も見えない。
「アハハハ、頬ずりされてる! いいなぁ……私も触れるかしら……」
「お嬢様! だめです!」
リリアナの行動は、さすがに騎士が止めたみたいだけど……。
(どうなってるの?)
獣は図体に似合わず、とても優しい触れ方をしているようだった。押さえられている腕も、痛くも重くもない。
でも、それはそれで、腹が立つ。
「……くそッ! はなれなさいっ!」
そう言うと、意味が分かったのか白い獣は、サッと離れた。
その上、ごろんと寝転がっておなかを見せて、こちらを見ている。
わたしは、駆け寄ってきた騎士に体を起こされて、改めてそれを見た。
(犬……? おなかを見せるのって、犬じゃなかったっけ)
「キャ~! エラ、みてみて! おなかを見せて、仲良くしようって! あぁ、なんて可愛いの!」
いや、もしかすると、煽られているのかもしれない。「ここまでしても、負けるわけがない」と。
「いい度胸ね……。いいわ、ずっとそうしていなさい。一思いに殺してあげるから」
「にゃあ~」
『鳴いた!』
おそらく全員の声が揃った。
しかも、猫そのものの鳴き声だ。
「な、なにがにゃあ~よ! あんたはどう見ても、がおぉ! でしょうが。舐めてるんだよね? そうだよね」
「にゃあ?」
おなかを見せたまま、そいつは小首を傾げてみせた。
「ええ、わかったわから、そうしてなさい。心臓を一突きして終わらせてあげる」
「ちょっとエラ! 何してるのダメよ!」
「いいえ、こいつは絶対に脅威です。今ここで始末しておかないと」
わたしは突きの構えでにじり寄って、みぞおちを狙った。トラだか猫だか知らないけれど、みぞおちと心臓の位置関係くらいは、人と同じような構造だろう。
「さ、いくわよ」
わたしは躊躇せずに、一気に踏み込んだ。同時に突きを放ち、そのみぞおちの奥を切っ先で追った。
「にゃっ!」
腹の立つくらい可愛い鳴き声で、それは容易くわたしの突きを避けた。
おなかを見せた状態から、目にも止まらない程の速さで身を翻し、その瞬間にはそこに居なかった。
「く……! じっとしてなさいよ!」
わたしは苛立ちに任せて、叫んだ。なぜわたしは剣を当てられないのか。そもそも、ここまで強い獣など、人にとって脅威でしかないというのに、リリアナもリリアナだ。
「ちょっと、ちょっとエラってば! 絶対に敵意なんて無いじゃない! あの子は連れて帰るのよ!」
まるで現実を見ていないリリアナは、ついに私の腕を掴んで引っ張った。
(剣を抜いている時は近寄らないでって、言ってあるのに)
「リリアナ……状況をよく見てください。アレは脅威です。今は遊ばれていても、いつ殺しにくるか分からない獣なんです!」
ついに、リリアナに怒鳴ってしまった。
「エラ……。ごめんなさい。それでも、きっとあなたの思い過ごしよ。あの子はきっと大丈夫だから」
「なぜそんな事が分かるんですか?」
護りたい人がこんなに悠長な事では、わたしの実力では護り切れない。
「私だって、伊達に討伐に出ていないわ。理性の無い獣は、人間を見たら有無を言わさず襲ってくるの。でもこの子は違う。あなたを押さえ込んでも、かみつくどころか頬ずりをしたのよ?」
「……されましたけど」
「だから、普通ならありえないの。本当ならエラはもう、死んでいたのよ。でも生きてる」
「…………はぁ……。わかりました。好きにしてください」
わたしは、ふて腐れているのは自分でも分かっていた。けれど、すぐ素直に、リリアナの言う事に納得出来なかった。
「……うん。怒ってくれる理由も分かってるわ。でも、敵意の無い獣というだけでも貴重なの。一応知っているだろうけど、これは王命でもあるのよ。ただ、そうでなくても私はこの子を信じてみたい」
今回の調査は、白い獣というものを、可能なら『連れ帰る』という任務も含まれていた。
でもわたしは、それが嫌だと思っていた。危険だと思ったから。
人間の思い上がりで、大事なものを失うのはよくある事だから。
それに……飼えなくなったから殺す。なんて事になったら、黒いトラに顔向け出来ない。最初は良い顔をして、後になって裏切るなんて最低だ。
ならばいっその事、脅威だと分かった時点で殺すしかないと思った。人と獣では、相容れないだろうから。
「……この子がいつか、やっぱり脅威だという判断が下ったら、どうなるんですか?」
「それは……」
リリアナは口ごもった。
(ほら。やっぱり)
「じゃあ。その時は、私が殺します。もともと飼うつもりのなかった私が、これを殺します」
わたしの言い方は、きついとは思った。
けれど、獣であろうと……生き物なのだ。無責任な対応はしたくない。そもそも、目の前で事の行く末が語られているのだから、もう他人事ではなくなってしまった。
だから、少しきつかっただろうけど、そういう言い方しか出来なかった。
「……私も一緒に、するわ。エラだけにさせたりしない。ほんとは私一人でしないとだめだろうけど、一人じゃ難しそうだから。その時は、手伝ってくれる?」
リリアナのこういう所が、やっぱり大人で……かっこいいけれど、何だかずるいと思った。
こういう言い方をされたら、許すしかなくなるのだから。
「……分かりました――」
と、言いかけたところだった。
「にゃあ!」
それが警戒の鳴き声だとは、すぐに分かった。
「全員戦闘態勢! 数が多い!」
ガラディオの声が、後方からこだました。
その先頭に見えるのは騎士達だった。命からがらという態で走って来る。武器を持っていない者もいる。
(ガラディオが居ない!)
背の高いガラディオが見えないのは、彼自身はまだ、もっと後ろに居るのだ。
(殿を務めてるんだ!)
飛んで上から援護したくても、森がうっそうとしていて出来ない。
「私がガラディオの盾になってきます! その間に態勢を整えてください!」
思いつく限り最善の行動のつもりだった。切り開いた道をわたしが低空で取んで駆けつけて、殿を手伝う。敵の片翼だけでも防げば、ガラディオの生存率が上がる。
「にゃ!」
短く鳴いた白い獣は、わたしが飛ぶよりも早く木々を蹴って、目で追えない速度で彼の方へと駆けていった。
「うお!」
という、ガラディオの慌てた声が聞こえた。一息分遅れたものの、わたしも彼の元へと飛んだ。
(あいつが行ったら、逆効果なんじゃないの!)
低空といえど、枝がガリガリと当たって木々を削っていく。そのため速度が出し切れていない。
「もどかしい!」
そして彼の元に辿り着くと――。
「エラ! 何だこいつは!」
おそらく、新手だと思って足を止めてしまったのだろう。その場で獣達に応戦していた。
オオカミばかりだけど、森の中だと不利だ。すでに囲まれている。
「無視してオオカミに専念してください! たぶん大丈夫です!」
「たぶんで無視できるか!」
ごもっともだけど、呑んでもらうしかない。
「わたしが対応しますから!」
その言葉で、彼は判断を切り替えたらしかった。オオカミに専念して囲みを破っていく。
「白いの! ガラディオの側には行くな! 邪魔になる!」
わたしは、今はどこに居るのか分からない白い獣に叫んだ。言葉が分かるとは思っていないけれど、何か思念が伝わるような気がしたから。
「にゃあ」
という、少し気の抜けた返事? が聞こえた。
(何なの、あいつは)
いつもと違うモノが混じると、戦い方が、連携が崩れてしまいそうになる。
でも、ガラディオは自分の間合いを確実にして、木々を盾にしているオオカミ達を倒している。白い獣のように木々を蹴って移動する様は、人の形をした何か、だ。
わたしも負けていられない。獣達の分かり易い殺気を目印に羽剣を飛ばし、自身でも剣で薙いだ。
わたしだけでも、十は狩っただろうか。
「あらかた片付いたな」
ズザ。と、ガラディオが頭上から降りて来た。
「ひゃっ!」
もう少し人間らしい位置から出て来られないのだろうか。見落とした獣の残りが出たのかと思って、飛び上がってしまった。
「ハハハ。悪い悪い」
「もう! 絶対わざとよね!」
戦闘中よりも、心臓がドキドキとしている。
「それより、あれは何だ。懐いたのか?」
彼の指差す方向……騎士達が切り開いてくれた道から、アレがのしのしと歩いてくる。
「あぁ……。今のところは、そうらしいです」
「らしいって……あれはまずいだろう」
ガラディオには、分かるらしい。
「そう思いますよね?」
(あ、素になって敬語使っちゃった)
「フ。……それで、誰が最終的な責任とるんだ? 俺か?」
彼は、こういう事に関してはものすごく察しがいい。
「女性にもそのくらいの器量を見せればいいのに」
「はあ?」
こういう事を言うと、面倒くさそうな顔をする。
「……最後は私が持ちますよ。詳しくはリリアナに聞いてください。私は何だか、疲れちゃいました」
「お嬢様の方だったか……りょーかい」
「ちょっと、私かリリアナで迷ったんですか?」
この件に関しては、心外だった。
「まあ、どっちでもハズレではないだろうが」
「しんじらんない」
そんな会話をしていると白いのが側に来て、そしてわたしに頬ずりをした。
図体に似合わず、心地よい加減を分かっている。
普通なら、体格差で押されて転んでいるだろう。
「へぇ……こんな事があるのか」
ガラディオは心底から感心した様子だった。
「これ、演技だと私は思ってるんです」
「ん~? あ~……。どうだろうな。お前、疲れてんじゃないか?」
「はあ~?」
今回の件に関しては、皆が敵だ。敵と言うか……分かってくれない。
(ガラディオは分かってくれたと思ったのに!)
「もういい。早く帰還命令出してきて。帰りたい」
「チッ。最近はよくスネるなあ。反抗期か?」
「余計なお世話よ!」
イライラする。
(……そんなのと一緒にしないでほしい)
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