第四章 一、白い獣(ニ)
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――霊獣や神獣とは、こういうモノを言うのだろう。
人や動物が持つような、利己的な面が見えない。
野生の無感情。というよりは、神聖な何かに見える。
真っ白な長毛。真っ赤な瞳。青銀に淡く輝く虎柄。尾は長く美しい。
愛嬌のある美猫の容貌。だけど横顔には、すでに威厳が見え隠れしている。
寝そべる様な姿さえも、目の前の獣からは、気品や神性を思わせる。
――燃える様な紅い瞳。青銀のまつ毛が、その紅さを余計に引き立てている。
(自分以外の紅い瞳って、初めて見る。確かに、何か特別なものを感じちゃうのね)
しかも、大きな白いトラ……というよりは、美猫。
「ねえエラ。あの子、飼えないかしら」
わたしも騎士達も、最大の警戒でピリつく中……リリアナはそう言った。
最初、その言葉の意味が分からないくらいに緊張していたので、「えっ?」と聞き返した。
「とっても可愛いじゃない。あんな猫、飼いたかったの」
「……何言ってるんですか。こっちは次の瞬間に、死んでいてもおかしくないんですよ」
早くガラディオに戻ってきてほしい。
それほどひっ迫した状態だというのに、リリアナはあの大きな猫? を見て、恐ろしくないのだろうか。
「とてもじゃないけど、飼えるとは思えません」
わたしの言葉に、騎士達も「そうですよお嬢様。もっとお下がりください」と同意している。
――ガラディオが来るまで、持つだろうか。
わたしが注意を引いている間に、皆だけでも逃がせられないだろうか。
運良く、わたしのワガママで通りやすく作った即席の道は、走りやすく逃げやすい。もちろん、ガラディオ達が追い付くのにも役立つ。
(たまには、ワガママも言ってみるものね)
こんな事になるとは、想像していなかったけれど。
「……リリアナ、皆さんと一緒に逃げてください。ガラディオが来るまで、わたしが殿を務めます」
撤退戦だ。
ただ……アレが執拗に追いかけてくるなら、どこかで迎え撃たなくてはいけない。
「エラ。あなたを置いて逃げるなんて、出来るわけないでしょう。それに、あの子に敵意はなさそうじゃない? エサか何かで、懐いてくれないかしら」
リリアナは、まだそんな事を言う。
「ねえ、お願いよ。あの子が懐くかどうか、少しだけ様子を見ましょう。皆もほら、そう思うでしょ?」
騎士達に同意を求めても、アレと対峙すれば分かる。懐くかどうかじゃなくて、人類の脅威と向き合ってなお、飼うだの何だのとは、とても思えないはずだから。
「ダメです」
きつい言い方になってしまったけれど、アレは危険過ぎる。
「し……しかし、襲ってくる気配はなさそうですね。もしも戦わずに済むのであれば、その方が賢明かと進言します」
すぐ後ろの騎士が、緊張に声を震わせながら言った。
「……わ、私も同じく、あれに敵意を感じません。戦う以外の手段がないか、検討する意義はあるかと!」
もう一人も、そんな事を言う。
「あなた達……状況はそんな――」
「我々も、同じ意見です。エラ様」
後ろからも、リリアナに同意する騎士達の声が上がった。
――何を悠長な。
命を失っても、彼らは同じ事が言えるのだろうか。それも、リリアナの護衛騎士ともあろう者達が。
(……どうかしてる)
わたしが、何とかしなければいけない。
――まるで、瞬間的に皆が洗脳されたみたいな……。
(……みたい。ではなくて、もしかして――)
――アレは、獣の古代種?
自分自身の可愛がられ方に、違和感を覚えていたけれど……なるほど、今ここで、全てが繋がった気がする。そういう事なら、辻褄が合う!
――そしてアレは……アルビノではなくて、古代種なのだ。
(人を魅了するなんて、厄介な事この上ないわね)
「ね、エラ。皆もこう言ってるんだし、あの子は保護しましょう。あんなに可愛いんだもの。きっと賢くて、言う事を聞いてくれるはずよ」
黒いトラの言った事を信じるなら、アレはまだ子どもだ。
三メートルはある巨体なのに、まだ成獣ではない。
今でさえ脅威だと感じているのに、成長すれば……人の手に余る。
「聞いてる? ねえエラ、あの子を連れて帰りましょう!」
――ガラディオが来たとしても、同じような事になっては本末転倒だ。
「……だめです。アレは……ここで殺します」
「え?」
――反対される前に、有無を言わさず斬る。
殺気を出せば、アレは絶対に感付く。
(横座りでくつろいでいる今が、好機だ)
アレは視線だけをこちらに向けて、まだわたしの意図に気付いていない。
わたしは木の葉が揺らめき落ちるように、そよ風が吹き抜けるように、心も気配も無くして無造作に近づいた。
微動だにしない白い獣。
(――斬った!)
……はずだったのに、すでに刃の間合いにソレは居なかった。
剣の間合いから少しの距離を取って、白い獣は悠然と立っている。
(いかに野生の獣と言えど、動体視力と反射神経だけで躱せるものではないのに)
ともかく、ばれてしまっては殺気を隠す意味はない。
「エラ、やめて!」
その言葉を聞くわけにはいかない。
リリアナの声に反応したのか、わたしが出した殺気に反応したのか。ソレは耳をピクリとさせた。
――全力で斬る。
縦の軌道を隠して、横薙ぎの形でフェイントを入れた。
(弧月の裏!)
打ち下ろしと打ち上げを、同時に近い速度で振る。
その刃先の描く軌跡が、月の弧のような突進の斬撃。
初太刀を逃げても、追従する切り上げが喉下から斬り上がる。
だが、それは初動から分かっていたかのように、すぐ横に避けられてしまった。
(次も用意している!)
岩切流、角落としの裏。
首を狙った横薙ぎの突進二閃。裏は、首と胴を狙う。こいつは四つ足だから、目とその奥の首を斬る。
でも、これも躱されてしまった。
こいつは、ほんの少し下がるだけで、わたしの踏み込みの数歩分を移動できる。
(森が燃えてはいけないと思ってたけど、無理かな……最後に、捨て身の斬り込みをして、それでもダメなら翼の光で撃とう)
翼を使った突進での、捨て身の乱れ切り。わたしの歩幅を刷り込んだ今、翼の突進力には面食らうだろう。
――思惑通り。
完全に懐に、頭の下にもぐり込んだ。
「これで終わりよ」
チチッ。という、刃先が獲物を捕らえた音がした。
(くそっ。これでも浅い!)
斬ったのは、あれの毛先を少し。
(これも躱すの? だめね。申し訳ないけど、翼を使う)
「撃――」
撃てと、わたしは念じたはずだった。その瞬間にあの白い獣は、光に撃ち抜かれて絶命する。
そのはずだったのに。
――念じるその、ほんの一瞬前に、わたしはあれに組み敷かれていた。
完全に地面に倒され、翼の唯一の射程外である密接状態だ。剣も、太い前足でわたしの腕ごと、柄を抑えられている。
(……うそよ)
翼を動かして弾き飛ばしたいのに、焦り過ぎているのか上手くコントロール出来ない。羽剣も出てくれない。
(やだ。いやだ、しにたくない)
さすがに自分が噛み砕かれるのを見ていられない。わたしは諦めて、両目を固く閉じた。
こんな時に限って、ガラディオは側に居ない。
いや、来る前に何とかしないとって、思ったんだった。
……火災なんて気にせずに、最初から撃っていればよかった。成獣でもないのに、まさかここまで強いなんて。
「エラ! やだ……」
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