第三章 四、儚い現実 青い光(六)
**
起きたのは、お昼を過ぎた頃だった。
少し曇っているけれど、日が高いのは薄い影の長さで分かった。
隣に寝ていたはずのリリアナは、もう起きているらしい。わたしをお布団でモコモコにくるんでくれたものだから、どこからも手を出せなくて、苦戦しているうちにベッドから落ちてしまった。
そこまでされても起きなかったから、リリアナはきっと楽しかった事だろう。起き上がれなくて大変だったと伝えれば、綺麗な碧い目を細めて、クスクスと笑うに違いない。
そんな事を思いながら、彼女を探しに廊下を歩いていると、庭に飛ばされた屋敷の一部を皆で片付けているのが窓から見えた。二十メートルは離れているから、声までは聞こえない。でも、悲観した様子ではなくて、楽しげに作業しているように見える。
気のせいではないだろうかと、窓ガラスにおでこが付くくらいに覗き込んだ。
(たくましいんだ……落ち込んだ感じなのは、わたしだけ?)
自分がなぜ沈み込んでいるのか、そして、どんな顔をすればいいのかが分からなくて、リリアナ以外に会うのは嫌だなと思った。
「あら。ねぼすけさんはやっと起きたのね。おはよう、エラ」
リリアナも庭に居るのだと思い込んでいたから、びくっと跳ねてしまった。
「ッフフ。そんなに驚かなくてもいいじゃない。皆でお昼にするから、起こしに来たの。おなか、すいてるでしょ?」
「リリアナ……はい、あの。て、手伝います。片付けるの」
じっと見上げるように、様子をうかがうようにしていると、リリアナは少し困った顔をした。
「またそんな顔をして……私に怒られる夢でも見たの? それとも、辛い事を思い出しちゃったのかしら」
思い当たる事がなくて、ただ首を横に振った。
「もう。また小さな子どもみたいにして。ちゃんとお口が付いてるのだから、お話してくれないと分からないわ。言わないと……その可愛いお顔を、シロエみたいに胸にうずめちゃうわよ~?」
えいっ。と言いながら、リリアナはわたしをぎゅっと抱きしめた。そして、上から頭に頬をすりすりとして、どうやら甘やかしてくれているらしい。
それが心地良くて、そっと抱きしめ返した。
「あらあら。甘えたさんは、まだおちゅかれでちゅか? おなかはちゅいていまちぇんか?」
ついに、赤ちゃんことばまで使われてしまった。
「もうっ。そんなに幼くなってませんから……。少しだけ、きっと色々とショックで落ち込んじゃっただけです。もう大人なんですから……!」
それを聞いたリリアナは、わたしを軽く引き剥がしてニヤリと笑った。
「ふぅん? そう? それじゃ、皆でごはん食べるわよね。今日はちょっと寒いかもだけど、作業があるから炊き出し風に外で食べるの。来なきゃごはん無しだからね」
「う……」
「ほら~。なんでまた人見知りに戻ってるのよ。いつもお世話してくれてる人ばかりでしょうに。知らない人なんて居ないでしょ? ほらほら、ついてらっしゃい」
引き剥がされた代わりに手を握られて、ぐいっと引かれるようにして連れられて行く。
「あっ。ちょ、ちょっと待ってください。わたしまだ着替えてません」
ネグリジェに、部屋に掛けてあった防寒マントを羽織っただけなのだ。
「え。やだ、なんでそんなやらしいかっこで歩いてるのよ。剣は着けてるくせに……」
前をはだけて見せると、リリアナはそんな事を言った。
「だって、着替えが見当たらなかったんです。しょうがないから、これを羽織ったら寒くないかなって……」
「もう。困った子ねぇ……」
寝ていた部屋に戻ると、クローゼットにしまわれたわたしの服をリリアナが出してくれた。
「あなた、いつもフィナとアメリアにぜーんぶ用意してもらってるんでしょ」
「……はい。着替えも、されるがままに……」
「呆れた。ヘンなとこだけお嬢様になっちゃって。困った子ね……」
自分でさせてくれないんです。と言っても、ハイハイと聞き流されてしまった。
いつからか、甘えっぱなしになっていたのは本当の事だけれど。
「おう。嬢ちゃんはようやくお目覚めか」
ガラディオも来ていたのか。と思った。なぜか気まずいというか、自分の勝手な行動を反省しているからこそ、顔を合わせたくなかった。
「ガラディオ……昨日は、というか、いつも、ごめんなさい」
最初の数秒は目を見ていた。けど、彼は目つきが鋭い。それはわたしにきつく当たっているわけではないと思っても、見続けるのは苦痛だったから、下を向いて話してしまった。
「エラ、そんなに謝る事ないのよ。あの時は本当に、あなたが行ってくれなければ私達、皆殺しにされていたと思うもの」
『そうです。エラ様は私達を護ってくださったんです!』
リリアナに続いて、侍女達が口々に声をあげ、ガラディオに詰め寄った。
「おいおい、待ってくれ。別にずっと怒ってるわけじゃない。なんでこうなった」
「あなたが難しい顔をしているからじゃないの? どっちにしても、女性に対してあなたは言葉が少なすぎるのよ」
ガラディオは、やれやれ。といった態度でわたしに向き直った。
「あれを倒せたのは、お前のお陰でもあるって言っただろう? それに俺はいつもこんな感じだ。怒った時も知ってるだろう。今は怒ってない。分かるよな?」
訓練を共にしているからか、最初の頃よりもキツイ言い方になっている。彼にとっては距離が縮まった証なのかもしれないけれど、わたしは正直なところ、怖いのだ。彼の圧が。
「ちょっとぉ! エラが怯えてるじゃない。なんでそんな言い方しか出来ないのよ! エラをその辺の騎士達と一緒にしないで。もっと優しく丁寧に扱いなさい!」
(そうだそうだ。もっと優しく言ってほしいのに)
リリアナが言ってくれたので、少し強気になれた。勇気を出して彼を見上げると、今度はあからさまに不機嫌に舌打ちされてしまった。
(……怖っ)
光の加減で金色に見える彼の瞳は、ギラリとわたしを威嚇しているように思えた。
「が~ら~でぃ~お~! そういうの、しないでって言ってるのよ!」
「甘やかし過ぎですよ、お嬢様。こいつはもうちょっとこう、しっかり教えてやらないと」
いや、やっぱり今日の彼は、機嫌が悪い。普段はもう少し、態度だけでも気遣いが見られるのに……やたらと気が立っている。
「ガラディオ……どこか痛いの?」
なんとなく、というよりは、無意識に出た言葉だった。
「なんだと?」
「もう! エラを威嚇しないでって言ってるでしょう! 気に入らないなら他に行きなさいよ!」
リリアナはついに、本気で怒ってしまった。
……誰もが皆、あんな戦闘の後だから、気が立っているのかもしれない。
「ま、まってください。落ち着きましょう。わたしは平気です。ちょっと、怖かったけど。でも平気ですから。それより、ガラディオは少し変です。やっぱりどこか具合が悪いんじゃ……」
誰にも言わなかっただけで、昨夜の戦闘で怪我をしたのかもしれない。
「……すまん。確かに、少し傷めている。だからイライラしていたかもしれん。すまなかった」
「どこですか! 私のせいで痛めたんじゃ……!」
「あぁ、だから城壁の外回りじゃなくて、ここに来たのね」
わたしとほとんど同時に、リリアナも納得した様子で言った。
「……そうです。獣が出ても対処しきれないのと、死骸の処理もままならんのでこっちに来ました。エラは心配するな。たまには傷める事もあるさ」
バツが悪そうに、ガラディオは謝ってくれた。
「たまにって……どこを痛めたんですか? 教えてください」
彼が怪我をするなんて、およそ考えられない。巨大クマさえ一撃で沈める男が、トラに囲まれても単騎で撃破する男が、並み大抵の事で傷つくわけがない。彼の右手を掴んで、言うまで離しません。と言ってやった。
「いっ。……はぁ。わかったよ。でも、聞いてもその、自分のせいだとか思うんじゃねぇぞ」
「大丈夫です。教えてください」
「そのー、あれだ。黒いトラにハルバードを投げた時にな。本気で投げたもんだから、肩と肘をやっちまったんだ」
怪我が恥ずかしいのか、顔を赤くしながら教えてくれた。
「そんな……それじゃあ、やっぱり――」
言いかけた所で、彼がわたしの頭をチョップした。
「――いっ、たあい!」
彼は指を一本立てて、しーっと言っている。
「何するんですかぁ!」
「だから、言うなって言っただろ」
「くぅ~…………。もうちょっと加減してくれてもいいでしょ?」
「はっはっは。やっといつもみたいに反抗的になったな」
「ひっど……。頭が割れるかと思った!」
「ハハハハハ。そこは加減してるさ」
「しんじらんない」
あまりの痛さに、反省がどうだとか、彼の怪我の責任だとか、そんな事は全部吹き飛んでしまった。
「なによ……仲、良いんじゃないの。まるでカップルみたいね」
リリアナは心底から呆れた声でそう言った。
「この人とカップルなんて、ぜったいイヤです」
ガラディオはまだ笑っている。
「はぁ……まあいいわ。私は炊き出しの準備を手伝ってくるから、二人は皆と少し休んでなさい。後で目いっぱい、働いてもらうから」
そう言うと、彼女は屋敷の中に入っていった。時折吹く冷たい風に、リリアナの金髪が揺れる様はモデルのように見える。ガラディオのせいで疲れた心には、美しいものを見て癒さなければならない。
「寂しそうに見送らなくても、すぐ戻ってくるさ」
「……そんなんじゃありません。それより! 痛めたところ、治しますから」
そう言って、その辺の瓦礫に座るように促した。
「治すったって……二週間はかかるし、触られたくない。さっき掴まれた右腕、痛かったんだからな」
それを聞くと、痛い所を掴んだのはわたしが先だったけれど、ざまあみなさいと思った。
「触らないから、じっとしてて」
それとは別に、またあの辛さを味わうのだと思うと、少し気が引けた。
(眩暈と吐き気は、嫌だけど……)
「もし私が倒れそうになったら、ちゃんと支えてよね」
それだけを告げると、私は剣を抜いた。
**
「腹いせに斬られるのかと思ったぜ」
……反論する元気が、もうない。
「おっと、眩暈がきついんだったな。すまない。でも、こんなになるなら食事の後で良かったんだぞ」
そう言われると、そうなのだけど。
(でも、それはそれで、吐いてたかも……)
「はぁ。向こう見ずなところが、すぐに治るわけがないか」
「……うるさい」
こちらは口もきけない程だというのに、ガラディオは言いたい事を言ってくれる。
部屋まで運んでくれたのはいいけど、からかうのならもう、向こうに行ってほしい。
「ま、良くなるまで休んでろ。治してくれてありがとうな。でも、あんま無理すんじゃねぇ。どうしてもの時は、また頼んでしまうかもしれないが……お前が倒れると、俺も心配になる」
「どう、いたしまして」
返事として合っているか分からないけど、ご機嫌なのもうるさくて敵わない。はやく出ていってほしかった。
「また様子を見にくる。侍女も付けているから、何かあったらベルを鳴らせよ」
この反動さえなければ、怪我人を片っ端から見て回るのに……。
――そう思っているうちに、眩暈を無理矢理忘れるかのように眠ってしまったらしい。気が付くと、もう夜になっていた。
(……まるで、病弱な人みたい。すぐに倒れちゃうんだもんなぁ)
窓にはカーテンが引かれているけど、部屋が暗いから夜だと分かる。
まだ眠ったままなのか? という声が、扉の外から聞こえた。
「入るぞ」
火を灯したランタンを持って、ガラディオが入ってきた。
目は開いていたので、彼と目が合う。
「うおっ。起きていたのか。すまん」
「……ノックも無しに……夜這いにでも来たのかと思った」
「妙な事を言うんじゃない。体調はどうだ? 少しは良くなったか?」
眠っている間でさえ、目が回っていて最悪な気分だった。けれど、今はもう治まったらしい。あの不快な揺れは消えていて、幾分すっきりとしている。だから、彼をからかってやろうと思ったのだ。
「……胸が少し苦しい。胸元を緩めて頂戴」
「なら、侍女にさせよう。おい、こいつの服を緩めてやってくれ」
(割と動じないわね……)
つまらない事をした。と、思った。
何か気を紛らわしたいだけだったのだと、今はすぐに気がついた。
「エラ様、失礼します。このくらいでよろしいですか?」
この人も、優しい……わたしよりも年上で、綺麗な人だ。
この人だけじゃない。
皆、優しい。
だから……。そう。失いたくないんだ。誰も。
――でも、一人じゃ守り切れない。
それに、あれだけの兵が居ても、被害が出てしまった。
それがとても、とっても、ショックだった。
「何か、召し上がりますか? スープでも?」
わたしは小さく頷いて、お願い。と告げた。
「すぐにお持ちします。少しだけお待ちくださいね」
足早に行ってくれたのが、足音で分かった。
わたしのために、そんなにしてくれなくてもいいのに。
「元気がないな。……すまんな、リリアナ……お嬢様はまだ働いている。俺は、お前に頼み事があって来たんだ」
そう。やっぱり、この人も元は優しいし、思いやりもある。さっきは、そうとう痛かったのを無理していたのだろう。
「なぁに? ガラディオから頼み事なんて、珍しいのね」
わたしは掛布団から手を出して、ガラディオに差し出した。
その手を握ってくれないと、聞こえないような気がしたから。
それとも、お義父様がしてくれたように、ただ握って欲しかったのだろうか。
彼は、そっとわたしの手を握ると、話し出した。
「弱っているところに悪いんだが……死んだ騎士達のゴーストを、空へと送ってやりたい。いや……すでに弔ってはいるんだ。いるんだが、お前の翼の、青い光を空に向けて撃って欲しいんだ。そういう要望が、どこからともなくあがってな」
その声は、彼自身もそれを願っているように聞こえた。
ランタンの火を受けて、揺らめき光る彼の瞳が、金色に見えるのに切なそうだったからかもしれない。
「……いいよ。そんなこと、思いつきもしなかった。……敵を殺す事にしか、使えない力だと思ってたから…………そういうの、嬉しいな」
彼は、わたしの手を少しだけ強く握ると、感謝する。と言った。
――そうか。
弔砲とか、あるんだものね。
兵器の使い方が、全部こういう風になればいいのに。
誰も死なせたくないのに、わたしは……それを奪う力を持ってしまった。
わたしが奪うものは、誰かにとっての、死なせたくない命。
――でも。
奪わせたくないから、やっぱり、何かあればわたしは戦う。
どうせなら、この力がもっとあれば。
この国の人達だけでも、護れるかもしれないのにな……。
願うなら、誰もがわたしを恐れて、奪いに来なくなればいい。
そうしたら、誰も傷つかずに済むのだから。
お読み頂き、ありがとうございます。
なんと、なんとなんと! 久しぶりに★評価を頂きました!
ずっと同じ数字で覚えちゃってるので、星五つ! って分かっちゃいました。ありがとうございます!
それも、お二人も!
「んお? ……うお、うおおおおお!」この脳内の伝達時差。分かって頂けますでしょうか。
最初は驚きのあまり、喜びを理解できていませんでした。
さらに、ブックマークも付けてくださった方々もいらっしゃって、とにかく「感謝!」です。
やっぱり、ポイントが増えていくのは本当に嬉しいです。感謝です。
もともと、書きたい事が止まらなくて書いているんですが、やっぱりブクマや評価は嬉しいですね。
より一層、書きたい! と思う原動力になっています。ありがとうございます。
これからも応援いただけると幸いです。
という事で、いつものやつを。
読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。




