第三章 四、儚い現実 青い光(一)
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百年以上も前。
黒いトラは人間に飼われていた。そこまで巨大な姿ではなく、成獣になる前だった。大きな黒猫のようだと可愛がられていた。
しかし、人間は純粋に可愛がっていたわけではない。獣を兵器に出来ないかと、手懐けられないかと考えていた。
途中までは上手くやっているように思っていた人間は、成長するにつれてどうにも食費がかさむ事と、トラが勝手に畜産動物を狩るようになってしまった事に業を煮やした。
割に合わないと思った人間は、懐かれている所を誰かに見られてはまずいと思い、トラを暗殺する事にした。
森林街道を外れて森の奥深く。鎖を木に繋ぎ、エサを与えて食べ始めた瞬間に剣を突き刺した。
が、トラは微塵の殺気さえ感じ取り、それを躱した。
人間は焦ったが、剣を突きたてる姿を見られた以上は、隠す必要もないと思って斬りかかった。
トラは、これまでの事を思い返して躊躇した。だが、人間は本気なのだと肌で感じ、返り討ちにした。
それ以降、王都近郊で人を襲い、食べるようになった。そのため討伐隊が結成され、トラと人間はさらに敵対関係を深めていく。
頻繁には王都近郊に向かえなくなったトラは、森の中で他のクマなどを狩りながら、人間に姿を見せなくなった。
ところがある日、森の奥に迷い込んだ古代種、銀髪赤目の剣士に出会う。
すでに深手を負っていた古代種の剣士は、「お前ほど立派なトラに喰われるなら良しとしよう」と言って、トラに自ら頭を差し出した。
わけも分からずに一飲みにしたトラは、その夜夢を見た。
「お前に俺のゴーストが少しでも宿るなら、人間を討ってくれ。獣どもを従えて、戦争をしかけるのだ。俺の知識、知恵、経験。そして、恨み憎しみの全てが、お前に宿る事を祈る」
それ以降、トラには様々な事が分かるようになった。出来るようになった。
百年後。
トラは、軍勢を育て上げた。意思疎通が出来る配下の獣達を育て、増やす事に成功した。
もう少し増やしたら、あの王都を襲ってやろうと考えていた。
ある日、王都から離れたもう一つの街の近くで、古代種の小娘を見つけた。なんとなく、エサ場を西に広げた矢先の事で、珍しい食材を見つけて幸運だとトラは思った。
また銀髪を食べれば、何か自分の力になるかもしれない。
だが、その小娘はあまりにも細かった。食べても旨味がないだろうと考えた。それに、もっと肉がついている方が、力になるのではないかと。
もしくは、宿った古代種のゴーストが、同士であるその娘を救いたいと感じたのかもしれない。
近くにオオカミの群れが居たので、それを追い払った。
ただ、あまりにも弱っている小娘は、明日にも死ぬかもしれない。
ならば、死ねば食べよう。人間に助けられれば、肉がついた頃に迎えに来よう。
そう考えて、古代種の小娘を、少し離れた所から見守った。しつこいオオカミ達が、諦めるまで。ちょうどそこに、人間の馬車が通り掛かった。
この人間どもが、小娘を助けなければ襲って、皆、食べてやろうと。
だが、人間たちは小娘を拾って去っていった。
ならば、肉がつくまで待つという事だ。
それから、二年ほどの間の事。
森の奥深くの縄張りに、人間が、人間を差し出しに来るようになった。
縄張りのギリギリ近くの所に、流れ者らしき人間たちが住むようになっていたが、そいつらだった。
時折、エサが手に入らない時に一人二人、攫って食ってやっていたのだ。どうやら、それをやめてほしいらしい。
これほど愚かな生き物は居ないと思った。
イケニエと言いながら、同族を差し出すなど獣でもやらない事だ。
食わせる人間は古代種が混じっている事が増えた。この珍しい人間を食べると、知恵や知識が脳にしみ込むような気がしていた。そして実際に、この二年で格段に賢くなった。
人間の言葉もほとんどが理解できる。生きている古代種には、念じれば話せる。
そして何よりも、この巨大な体を意のまま以上に、俊敏に扱えるようになった。宙に浮けそうなほど身軽で、全てを破壊できるほど力強い。
そこで思い出した。
あの小娘の事を。
あれは、もっと特別な古代種に違いないのだと本能が告げている。
そろそろ、十分に肉がついた頃だろう。
どこに居るだろうか。
戦争のついでに、いや、戦争は「あれ」を食べるために起こすのだ。
でなければ、トラが人間の国を亡ぼすメリットがない。
食料庫を滅ぼすのは愚か者のする事だ。
そう考えたら、トラは居ても立ってもいられなくなった。
あの小娘を食べたい。と。
だが、小娘は意外な力を手にしていた。
あれには、勝てないかもしれない。
それとは別に、何とも言えない苛立ちが湧き上がる。
『なぜ、古代種が人間と仲睦まじく暮らしているのだ?』
それは不思議な苛立ちだった。
同じ食料に過ぎない人間の、珍しいモノというだけだったはずなのに。
古代種のゴーストたちが、人間と仲良くする古代種を許せないのだと、そう騒いでいるかのようだった。
だがどちらにせよ、力を手にした小娘はトラの敵であるし、力を持ち過ぎた小娘を、生かしておくわけにはいかない。
トラは念じる事を試みた。念じれば、小娘に揺さぶりをかけられるのではないかと。
その試みは、トラに宿るゴーストの欠片達が上手くやったようだ。
トラには、己の意志と、食べた古代種達の怨念が籠っている。
それはまるで、人間に対する獣達の意志と、人間に迫害され裏切られ続けた古代種達の怒りが混じった集合体だった。
うまく一つにまとまっているのは、最初に食べた古代種の武人が、死してなおゴーストを強く残してトラに宿っているからだろう。
比類なき野生の強さと、武人の強さが、古代種という特殊な力を介した事で、一つの進化として昇華されている。
それは、小娘を食べる事で、より大きな力を手にするのかもしれない。
その小娘は、なるべく混乱させて、なるべく怒らせ過ぎない方が良いとトラは感じた。
小娘の念は、とても真っ直ぐなものに感じたからだ。純粋で、素直で、情に厚く、何より脆い。
ならば、筋を通してやったほうが、全力を出せずに自滅するかもしれない。
そこまでを計算に入れると、トラは微笑んだ。
あの小娘は、間違いなく術中にはまる。そして自ら、死地に踏み込むだろうと。
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