第三章 三、悪夢の続き(八)
**
「おとう様!」
お義父様を見るなり、わたしは走った。
王都の中、南の城壁を見渡せる非常時用の砦が、今の司令部になっていた。砦の屋上で、隣の側近と城壁からの手旗を読んでいる姿を見て、邪魔になる事も顧みずに飛びついた。
「おうおう。なんだ、随分と甘えん坊になって帰ってきたな、エラ。少し痩せたか? クマもあるじゃないか。不調なら休まんと、大事になってからでは遅いぞ?」
ぐっと屈んで、わたしの顔を覗き込むお義父様に、今の顔は見せたくないと、その体に隠れるようにして顔をうずめた。それでもわたしの顔を見ようと体をよじるので、お義父様の体に纏わりつきながら、くるりと逃げる。するとお義父様は「やれやれ」と諦めて、背筋を伸ばした。お疲れになっているだろうに、つまらない労をかけてしまった。
「元気です。心配だっただけで。おとう様はご無事でしたか?」
頬をその体に押し付けながら、やはり目を見たくて上向きに答えた。
「ワシに何かあるなら、もう王城まで攻められとるわ。ハッハッハ」
と、軽口を言っていても、少し疲れているように見える。連日のにらみ合いのせいだ。
「そんなこと、冗談でも言わないでください」
「なんだ、えらくご機嫌ナナメだな。何かあったのか?」
ガラディオに意地悪されたと言えば、この人は彼を叱ってくれるだろうか。ふと、そんなつまらない事を考えてしまった。
ふるふると頭を左右に振って、何もないという返事に代えた。
「ふっ。どうせガラディオと反りが合わんのだろう。あやつの苦々しい顔を見てみろ。お前に不満があるようだぞ。何か言い返してやったか?」
まるで見ていたかのような口ぶりに、わたしはお義父様のズボンの裾をぎゅっと握った。
「仲間とはしっかり話し合うんだ。エラ。ガラディオは、今は上官だぞ? もっと腹を割ってぶつかってやれ。あやつは不器用なところがあるからな。いや、お前もそうだったなぁ……。まあ、甘えられる相手が増えたとでも思っておれ」
「ガラディオが? ですか?」
受け入れがたい言葉に、つい素になって反応してしまった。しかも、非難の表情を向けてしまった。
「ハッハッハ! すでに面白い事になっているようだな。なら、ほどほどにしてやれよ? あやつにストレスで倒れられても困るからな! ハッハハハ」
お義父様はそうやって、わたしを宥めながらも諭しているのだと分かった。そのくらいは、察する事が出来る。
(でも……あの人と仲良くなんて、出来るのかしら)
「ガラディオ、報告を聞こう。エラは下で休んできなさい。食事も満足に摂っておらんだろう。後で屋敷に送らせるから、侍女達の言う通りにして体を休めなさい。よいな?」
お義父様は何もかもお見通しのような気がして、少し恥ずかしくなった。
側に居たい気持ちを抑えて素直に頷くと、頭を撫でてくれた。ほんの少しだけ。
後ろ髪を引かれる思いで屋上を降りるその最後に、じっとお義父様を見た。降りきる最後まで見ていたけど、こちらを向いてはくれなかった。
「さ、あちらの奥の部屋でお休みください」
付き添いの騎士は、忙しいだろうに優しい口調で、焦れずに案内してくれた。
砦の部屋とはいえ、貴賓室なのだろう。上品で落ち着ける内装に驚いた。暖炉に火もたかれていて暖かい。もっと殺風景で、冷たい部屋だと思っていたから。
「すみません。ありがとう」
そう言って、閉められた扉をしばらく見つめたあと、何とも言えない気持ちのまま備えのベッドに横になった。剣も翼も、無造作に側に転がしてしまった。とはいえ、何かあればすぐに対応出来るような状態で。
そういえば、リリアナは城壁の様子を見に行くと言って、この砦には来ていない。もし襲撃がまたあったら、どうするんだろう。
(はやく戻ってきて。お義父様のお屋敷で、一緒に眠りたい……)
わたしは、こんなにワガママばかり言っていただろうか。
「……甘えたいなんて。こどもみたい」
病み上がりの体には、今日は少々酷だったのかもしれない。横になったばかりなのに、耐え難い睡魔に瞼を委ねてしまった。
――戦うために、ここに来たのに。
「あら、ちょうど良かったわ」
ベッドが沈んだ気がして目が覚めた。リリアナがベッドに腰かけた所だった。
「エラ。まだ眠いだろうけど、一度お爺様のお屋敷に戻りましょう。ここでは満足に休めないから」
どぉん。どおん、と、例の音がする。街道で聞こえた時よりも、おなかに響く音だった。
「戦闘中ですか? 私も出ます」
ふらふらとしながら起き上がったわたしを、リリアナが支えて立たせてくれた。
「何言ってるの? あなたは休む事が今の仕事よ? それが分からないから、ガラディオに叱られたんでしょう。私だって怒るわよ」
それも運ばせるから。と言われたけれど、剣と翼だけは自分で身に付けた。多少の集中力は必要だけど、浮いていられるのと姿勢制御があるので、歩くよりも楽だ。
「いつまで休めばいいですか? 私は……役に立ちたいんです」
今は素直に休みたいとは思っている。けれど、早く何かしたいという焦りは膨らむ一方で、とにかくもどかしくて聞いた。
「目のクマが取れて、お医者様が戦っても良いと言うまでよ」
「そんな……」
「つべこべ言わないの」
また怒られる前に……悲しませる前に、素直に従った。
(でも……本当にもしもの時は、ごめんなさい)
**
「さあさあリリアナ様、エラ様、先にお風呂になさいましょう。お食事も、沢山召し上がって頂けるように、シェフには腕をふるってもらっていますから」
久しぶりに帰ったお屋敷では、侍女達からの歓待を受けていた。囲まれたきり、どこに行こうにも皆が付いてくるし、何もかもをしてくれる。
今はお風呂上りのバスローブ姿で、髪のタオルドライから体の保温に保湿などなど、常に至れり尽くせり状態だ。
最初はそっとしておいて欲しいと思ったけれど、ほっとしている自分がいる事に気が付いた。
普段はフィナとアメリアが専属だから、他の侍女は少し遠巻きにサポートしてくれていた。それは、わたしに対しての距離でもあると、なぜかそう思い込んでいた。そうした誤解や杞憂というのは、自分の心から生まれるのだと改めて知った瞬間だった。
「エラは毎日、こんなにされていたの? まるで取り合いね」
そう言いながら、リリアナも満更ではなさそうだった。
「フフ。お姫様気分です」
実際にそうなのだけど、皆が皆、こんなにわたしを大切にしてくれると思わなかった。侍女達も、わたしに何かあったら、悲しんでしまうのだろうか。
(そんな事を言ったりでもしたら、また怒られそうだ。「当たり前じゃないの!」って)
でも、どうすれば自分を大切にする事が出来るのだろう。
何をすれば、大切にしている事になるのだろう。
自分を甘やかすのとは、違う事だけは分かる。
「エラ」
「――はい」
リリアナは、なぜかとびきりの笑顔でこう言った。
「この人たちを悲しませないように生きる事が、自分を大切にするという事よ」
まるで、わたしが思っていた事を聞かれていたかのようなタイミングだった。
「……はい」
「なぁに? すでに悲しませるような事を考えていたの?」
「しょんな――」
リリアナは、何気なく口にしているのか、わざとそうしているのかが読めない。いつも、不意に核心を突いてくる。
「――そんなこと、ありません」
「しょんな、だって。絶対に悪い事考えてたでしょう。分かるのよ? 私だけじゃなくて、侍女の皆も。お爺様もガラディオも、みんなエラが何を考えてるのか、分かってるんだから」
そう言われて皆の顔を見渡すと、侍女達には優しくにっこりと微笑まれてしまった。
「……わたしは…………みなさんに、うそをついてでも、戦いに出ようと……思ってました」
なんだか皆の雰囲気に流されてしまって、うっかり本心を言ってしまった。
「ほら! やっぱり!」
周りの侍女達からも、はぁ~、と溜め息が漏れた。
「ご、ごめんなさい」
「謝っても、もう許してあげないわ。だって、こういう事があるたびに、あなたは前に出るって言うんでしょう? 残される方の気持ちも、知っているくせに」
リリアナの声は、怒っている風ではなかった。ただ、もどかしい思いで心配する事しか出来ない苦しみは今まさに味わっていて、それが彼女達と同じものなのだとしたら……。
「わたしは……この気持ちを味わいたくないから、逃げているのかも。……って、思いました」
「そうよ! エラはずるいの。力を手にしたからって、私達の気持ちをないがしろにしてるの。自分の身も護るし、皆も護る。そう言ってもらえればほんの少しは変わるのに、あなたはただ、皆を護る事しか考えてないんだもの。自分の身を挺してでもね」
「……そうです。そうでした」
「だけどそれって、護られた方は辛いだけなの。あなたも最後には、一緒に居てくれなきゃ。そうでしょう?」
実際には、そううまくいかない事が多い。だから、きれいごとなのはリリアナも分かっていて言っている。
「はい……。わたしも、死にたくありません。皆さんと、もっと一緒に笑って過ごしたいです。もっと……誰かに、甘えてみたいです」
初めて、そんな事を願った。
「そう! それよ! 死にたくないって、初めて思ったでしょう? ほんっとに、この子はも~。傷つきたくないとは思うくせに、死にたくないがすっぽ抜けてるんだもの。危なっかしくてしょうがないわよ」
「え、ええ?」
どうして、わたしよりもわたしの気持ちを知っているんだろう。
「それ、ガラディオがいっちばん怒ってる所だって分からなかったでしょ。傷つくくらいなら、命を懸けてやる。みたいな戦い方なのは、兵士じゃない私でも分かったわ。スイッチの入り方がおかしいもの。見てる方が卒倒しそうなくらいにね」
「そ、そんなに酷いですか?」
リリアナは、ファルミノでの獣討伐戦を何度か見ている。
「酷いなんてものじゃないわ。あんなの、死ぬために戦っているみたいなものよ。二度としないでほしいわね」
「……怒らないで」
だんだんと熱が入って、リリアナはすでに怒っている。
「怒るわよ! 当然でしょ?」
「ごめんなさい」
「許してあげないわよ。ちゃんと、自分の事を大切に出来るまでね」
難しい事を条件にされてしまった。
「まあ、少しは理解できたみたいだけど」
そう言うと、リリアナは近付いて、わたしの頬をぷにぷにとつついている。
「やっぱり、少し痩せちゃったわね。今日はいつもより沢山食べさせるから」
「あまり沢山食べられませ――」
「――無理にでも食べさせるわ。あと、食べたら休憩して、そして寝かしつけるから」
「うぅ」
リリアナはそう言ったあと、また笑ってくれた。
彼女の碧い瞳は、真っ直ぐにわたしを捉えて離さなかった。
お読み頂きありがとうございます。
派手さはありませんが、読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。




