第三章 三、悪夢の続き(七)
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迂回路は、それなりに距離があった。もう、一時間は馬に揺られている。
まだ三分の一は距離がある。城壁の南、街道の方は見えなくなっていて、景色は北に広がる山々に目がいく。
「結構かかるのね……」
ガラディオに話しかけたわけではなく、ほとんどひとり言のつもりだった。
「お前、乗せてもらってるんだから文句言うなよ」
彼も本気ではなく、聞こえたから返しただけの、気のない言葉だった。だから、それには特に答えなかった。
――どん、どおん。どぉん。
遠くで、何か大きなものがぶつかっているような音が聞こえた。
「ねぇ、これって――」
ぼんやりとした思考だったのが、現実に引き戻された。この音は、城壁に何かあったに違いないのだと焦燥感が掻き立てられる。
「ここからだと、戻るも進むも差がない! 間の悪い!」
ガラディオはそう言ったけれど、わたしはこのタイミングを狙われたような気がした。
「ガラディオ……行かせて」
わたしなら、飛んで行ってすぐに戦える。
「……駄目だ。かなり疲れてるだろう? しかも病み上がりのくせに」
言うと思った。
「許可してくれるなんて、思ってないわ」
「駄目だ!」
しまった。言う前に飛んでおけばよかった。
がっちりと体を掴まれて、びくともしない。
「離して! バカ力! 私が行けばかなりの数を減らせるんだから!」
「慌てるんじゃない。早々に崩されるような城壁じゃないし、護っているのは熟練の騎士達だ。信じるんだ」
「でも! ここからじゃ何も見えないじゃない! もしもおとう様に何かあったら!」
彼の太い腕は、全力で剥がそうとしてもどうにもならなかった。
「イヤ! 変なところ触らないでよ! 変態!」
これで少しでも緩めてくれれば――。
「そんな手に引っ掛かるわけ無いだろう」
「やだっ! 痛いのよ、離して!」
怯んでくれそうな事は何でも言う。
「俺が加減を間違えるわけないだろ。諦めて大人しくするんだ」
がっちりと掴まれているのに、どこも痛いところがないのが憎々しい。
「……どうしてそんなに平気なのよ!」
「知っているからだ。城壁の頑丈さも、守護騎士達の守りの硬さも。獣の力量もな」
そう言われても、あれだけの獣の数だ。今もなお、どぉんという音が聞こえてくるのだから不安は膨れ上がっていく。
「おとう様に何かあったら、あなたの事を許さないから」
後ろから私を抱えて離さない彼に、のけぞるように上を向いて睨みつけた。
「……こえぇよ」
なぜこうも、大事にされるのだろう。
大公爵の娘だとしても、急行出来て戦力になるのに、今使わないでいつ使うのか。
わたしの体調を気遣う事で、手遅れになったらどうするつもりなのか。
「肉と油が焼ける臭い……」
城壁の前に重なっていた獣達の死骸。あれを踏み台にしようとする獣への罠として、油を撒いていた所に火を放ったのだろう。という事は、城壁に駆け上がろうとする獣と、城壁に体当たりをしているだろうクマの攻撃を受けている。
わたしの危惧を察したのか、ガラディオがなだめる様な事を言った。
「大丈夫だから。城壁を越えられたら警鐘が鳴る。それは聞こえないだろう?」
そうならないために、前もって出撃したいのに。
話す気にならなくて、答える代わりに首を振った。
「お前の力は頼りにしている。それとは別に、余裕のあるうちは訓練になるんだ。いつもお前のような特別な存在が居るとも限らないしな。王都とファルミノを同時に攻められたらどうする? お前は二人居ないし、翼もひとつだけだ」
「……言いたい事は分かったけど……おとう様が心配なの!」
「将軍が前線に居るわけないだろう? あの人は見るべきを見て、後はきちんと軍を動かす。自分で何かをしてやろうとはしないぞ。お前のやり方は、軍を弱くする。本当に必要な時は、必ず声が掛かるから今は大人しく休んでおけ。それは分かるか?」
それまでに、兵は傷ついたり命を失ったりする。それを是としたくない。わたしが出れば、被害を最小に出来るだろうに。
「……納得できない」
「困ったやつだな。だが、後は自分で考えるんだな。お前が将軍や兵を気遣うのと同じように、お前も皆から心配されてるって事だけは忘れるなよ」
そう言われると……わたしは自分を、便利な武器だとしか、思っていないかもしれない。自分に価値があるとすれば、手に入れたこの兵器を唯一、扱えるという事以外に何かあるだろうか。可愛いのは分かるけど、それでちやほやされているよりは、力として頼られる方が安心できる。
「私に、武器として以外に価値なんてあるのかしら。そんなに心配してもらえるのが……いつも理解できない」
「お前なあ! 共に訓練した仲間を、ただの駒としてしか見れないのか? 剣を振れなくなったら、もう仲間じゃなくなるのか? お前が言っているのは、そういう事だぞ!」
頭の上から突然きつく怒られて、ビクッと身がすくんでしまった。
「き、急に怒らないでよ……ガラディオが怒ると、怖いのよ」
「チッ! 頭にくるぜ」
「……おこんないでってば…………」
ずるい。大きな声で威嚇されたら、体がすくんでしまう。それを心のどこかで分かっていて、やっているのだから。
彼には敵わないと知っているから、余計に何も言えなくなる。これ以上、彼が怒るような事は言えない。隙を見て飛び出してやろうと思っていたけど、そんな事をすれば、この先ずっと怖い態度をとられるかもしれない。
(ずっとこの人に怯えて過ごすなんて、嫌……)
ただでさえ、苦手なのに。
「エラ。お前は自分を犠牲にするような事しか出来ないのか? 力があるのは分かっている。でもな、体力が無い時に戦おうとするな。ずっと言ってきたはずだろ」
ガラディオは怒りを抑えて、窘めるように言ったようだった。そのせいか、少し聞き取れなかった。
「えっ?」
「聞いていないのか。皆、お前を心配しているんだ。無理をし過ぎるから」
「……無理なんて……」
「しているさ。その無理に、皆が合わせようとしてしまう。俺もさっき、釣られてリリアナ……お嬢様に怒られただろう。お前の頑張る姿は嫌いじゃない。だがそのせいで、お前も皆も無理をしてしまう。それが続けば、いつか取り返しのつかない事になる」
いつも言われている事なのに、頭に残ってくれない。
「……わかりました。ごめんなさい」
「いつもそう言うけどな、ほんとに分かるのは何年先だろうな」
彼の声は、怒るよりも呆れていた。
「……もう、怒ってない?」
「あん? なんだお前。やっぱり調子が悪いんだろう。様子が違う。王都に着いたらお前は休め。必要な時は叩き起こしてやるから」
「何も違わないわ」
彼は気が済んだのか、相手をする事に疲れたのか、もう何を言っても答えてくれなかった。
(いじわるな人)
せめて、おとう様が無事かどうかだけでも確認に飛んで行きたい。けれど、それさえも怒られそうな気がして言えなかった。心配なのはリリアナも同じなのだろうか。ならば、彼女はなぜ我慢できるのだろう。
(わたしが、こどもだから理解できないのかな……)
今回のような時は、多少の無理はしてしまうのではないか。と思い悩んでいると、ようやく王都に到着した。
どおん、という音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。警鐘も鳴っていない。
(結局、おとう様や皆が無事ならそれでいいけど、結果論のような気がする。でも――ああ、そうか)
わたしが無理をしても倒れないだろうと思っている未来も、結果論なのか。
――倒れたり、疲労のせいで病気になったり?
頭のどこかでは理解しているつもりでも、自分を本当には大切に出来ていない。
(それを怒っているのね)
それは……一体どうすればいいのか……。
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