第三章 三、悪夢の続き(六)
「エラ! 見えたぞ!」
王都から街道を西に、緩やかな大きい丘がある。そこから見下ろすように、王都近郊の様子がうかがえた。丘は平らではないので死角もあるけれど、王都自体は比較的安全に見渡せる。
そこには、想像していたよりも、はるかに多い獣の群れが居た。
王都から東の、森林街道にかけて広がる平野には、今立ち入れば、まず助からないだろう。
「正直言うと、わたしはここまでの数だと思ってなかった……」
怖いと言うよりは、その数の多さに気持ち悪くなっていた。
「怖気づいたか?」
「すぐそうやって、人を煽るようなことを言うのね。気持ちが悪いだけよ」
でも、どうすれば城門までたどり着けるだろう。
「ねえ、たとえばここから攻撃したとして、あいつらってどの程度の数でこっちに来ると思う?」
一斉に来られれば、わたしは空へ逃げられるけど、皆はどこにも逃げ場がない。
「読めないな。だが、百が来たとしても、同時に来れる数はたかが知れている。あまり開けた場所で戦わなければ、どうにかなるだろう」
「……どうにか出来るのは、ガラディオだけのように思うけど」
「それより、何度か戦闘があったみたいだな。城壁の周りに、結構な数の死骸がある」
ガラディオも、見る所は同じだった。
「ええ。オオカミばっかり。様子見なのか攻める術がないのか、どっちなんでしょうね」
「あまり積み上がると、あれを土台にして登られてしまうな」
「かすかに油の匂いがするから、あれも作戦に組み込んでいるのかも」
二人で、思ったことを口にしていく。
「そんなところか。他に何かないか?」
彼との意見は、おおむね一致していた。
「城門に入る時だけど……クマに来られると自信がないわ。ガラディオは、クマを二体同時に倒せたりする?」
光線の効かないクマが、嫌な位置に二体居る。それは間違いなく同時に来るだろうから、下手に動けないなと思っていた。
「私が護る! って、息巻いてたじゃないか」
「あ、あれは……オオカミばかりだと思ってたの! クマも沢山居るなんて知らなかったもの」
「まあいい。いつも通りだ。いいな? 前衛は俺達に任せて、お前はお前の仕事をしろ。余計な事はするなよ?」
「な……何よ。そんな言い方しなくたって、もう勝手な事はしないわ」
それでも……誰かが窮地に陥ってしまったら、約束を守る自信は……ない。今日は出発してから、ウソばかりついていて自己嫌悪してしまう。
「エ~ラ~? どうしてあなたが、ここに居るのかしらぁ?」
隊列の後方に居たから、あえて無視していたリリアナに後ろから声を掛けられた。
「リリアナ……」
恐る恐る振り返ると、冷たい笑顔に青筋を浮かべている。馬車ではなく馬に跨り、革鎧に身を包んでいる姿は凛々しくて、そしてやっぱり綺麗だ。
「ご、ごめんなさい! 起きたら何か、大変だっていうから居ても立ってもいられなくて、つい……」
「へぇ~え? それで、喋ったのはシロエかしら? フィナかしら? それともアメリア?」
わたしではなく、周りから叱ってやるという、一番つらい仕打ちをしてやるぞと、強くお怒りになっている状態だ。
「わ……わたしがね? 無理に言わせたの。だから、誰も悪くなくて……」
「ううん。主人の言いつけを守れないのは、従者が悪いのよ? 帰ったら、沢山叱らなくてはいけないわね?」
「ごめんなさいリリアナ。本当に許して。もし教えてもらえなかったら、私はきっと、皆を恨んだかもしれない。だから……」
「――病み上がりなのに、どうして来たの? 急に倒れたあなたを、どれほど心配して、どれほど身を切る想いで屋敷を出たと思ってるの?」
リリアナは、怒ったまま泣いていた。
「……返す言葉もありません。本当に、ごめんなさい。けど……私も心配で――」
「――何度目なの? あなたが倒れる度に、心臓が潰れそうになるくらい、胸が痛むのよ? 皆もそう! なのにエラ? あなたという人は…………。目が覚めたからといって、すぐに出てきたわけじゃないでしょうね? 一日くらいは安静にしてたんでしょうね?」
「そ、それは」
うそを、ついてしまおうか。ちゃんと安静にしてから来ましたって、そう言えば少しは、リリアナも安心してくれるのかもしれない。
けれど……そのうそは、かなり根深い裏切りになるような気がする。
「……呆れた。この期に及んで、うそをつこうとする気? 私の目は誤魔化せないわよ。それに……あなたのうそなんて誰でもすぐに分かるのに? 健気なうそなら、許されるとでも思って?」
「……ごめんなさい」
「私、今本当に怒っているから。あなたの力は心強いけれど、それは病人にまで強いるものではないの。どうせ今も、無理をして飛んできて、フラフラなんでしょう? そんな状態で、戦闘に参加なんてしてごらんなさい。また倒れるか、もしかしたら……もっと酷い事になるかもしれないわ」
……何も言い返せない。全部、リリアナにはお見通しだった。わたしはうつむいたまま、黙ってしまった。
「いい? 今エラが無理をしなくても、迂回すれば王都に入れるの。獣達に攻城なんて出来るわけがない。それがお爺様の基本的な判断よ。あの積まれた死骸を見たでしょう? 力の差は歴然。最初の知らせ以降、特に緊急の要請は無いわ。つまり、今は誰もが安全な行動を取るべき時なの。分かったら後ろの荷馬車の屋根にでも乗って、休んできなさい。もしくは、ガラディオがいいなら前で抱えてもらいなさい。一番安全な場所ではあるから」
「……はい」
わたしは心の底から、落ち込んでしまった。落ち込む権利など皆無だけれど。
「ガラディオ。あなたもよ? 何を血気に逸って、エラと意気投合しているの? 隊長はあなたなのよ? 私と同じように窘めなくてどうするの? エラを危険に晒したこと、本気で反省してもらうから」
「ぐ……。すみません」
こういう場合、状況的にはどちらが正しいかは、正直分からない。なぜなら、結果論にしかならないから。だから優先されるのは、上官の命令になる。
ここでの上官は、もちろんガラディオではなくリリアナだ。何せ、王女なのだから。今はファルミノの領主でもある彼女には、逆らってはいけない。ガラディオが素直に言葉を飲み込んだのは、立場をきちんと理解しているのと、リリアナの言う事にも一理あるからだ。
「さぁ、迂回して王城に向かいましょ――」
「――敵襲! 敵襲! 正面から獣の一群! 距離僅か! 気付かれました!」
偵察に出ていた騎士が、馬に全速力を出させて一目散に逃げ戻ってきた。
こちらは態勢を整える暇はなく、武器を構えて迎撃するしかないほどに、距離を詰められた。
「しまった! 匂いで気付かれたのか!」
察しの良いガラディオは、接近を許した原因を本能的に悟っていた。
わたしは、怒られるのを承知で剣を抜き、ガラディオに繋いでいた紐を斬った。そして数十メートル上昇した。
「エラ! 戦ってはだめよ! そのまま王都に向かいなさい! あなたは逃げるの!」
わたしの行動をすぐさま察したリリアナは、逃げろと叫んでいる。
(でも……わたしが迂回をやめさせて、足を止めてしまった原因だから)
「お嬢様も下がってください! はやく!」
ガラディオも臨戦態勢になり、リリアナを庇う位置取りをしている。
あと十秒もしないうちに、激突する。身の丈三メートルはある獣達は勢いに任せて、なし崩しに倒してやろうという算段なのだろう。あちらは全速力を緩めない。
「皆を傷つけるわけには、いかないの」
ごめんね。と、心で呟きながら、わたしは剣と翼に言った。
「――撃て」
何十という光が曲線を描いて、獣達の巨体を貫いていく。
(なんだか、今までよりも光が強いような……?)
淡く青白い光ではなく、はっきりと青く、少し眩しい。
それらは獣達を確実に撃ち抜き、肉と血を焼いた。高熱で炭化した匂いは、続いて迫る獣達を立ち止まらせた。
「止まっても、撃つから」
容赦なく降り注ぐ青い光は、瞬く間に獣達を貫く。それは、少し後から来ていた巨大な茶色の毛玉さえ、削り焼いていた。
「クマにも効いてる!」
ちょっとした感動だった。古代兵器でさえ勝てない獣が居るのは、何気にショックだったのだ。それが今回は、なぜか十分な傷を負わせている。
(光の色が濃い分、威力が上がってるのかな)
「止め……ごめんね」
命を絶つことに、躊躇はある。でも、相容れない同士なら、わたしは仲間を護るために力を振るう。
なるべく苦しまないように、急所を確実に射抜いた。
(倒せる喜びを感じているのに、命を絶つ時は心が痛むなんて。わたしって、自分勝手なものね)
以前は、こんな事を感じなかったように思うけれど。嫌な夢を、覚えたまま目が覚めたせいかもしれない。また、胸の辺りがもやもやとしている。
「エラ~! 終わったのなら、はやく降りてきなさい! 疲れて落ちちゃったらどうするの~!」
さっきまで、どうしようもない程に怒っていたリリアナが、今は心から心配そうな声でわたしを呼んでいる。
獣達には悪いけれど、お陰で助かったかもしれない。
「はぁ~い!」
大きな声で返事をして、リリアナの元まで降りた。おいでおいでをするので、浮いたまま近寄ると、おでこをコツンとされた。
「いたぃ。です」
「おしおきよ。無事だったから、これで許してあげる。でも、もうお願いだから、倒れたりしないで。ほんとに……あなたの目が覚めないうちに出発した私の気持ち、どんな想いだったか……」
わなわなと震えるリリアナの唇に、自然と手が伸びた。指先を少し触れたら、収まらないかなと思って。
「エラの手……まだ少し、冷たいわよ。上着も着ずに、そんな肌の見えるドレスで……」
「あの……でも、翼を使っていると、暑いくらいなんです。だから、大丈夫……です」
「そうなの? それじゃ、わかったから。ガラディオの馬に乗せてもらいなさい。馬車の中は荷でいっぱいで座れないから」
頷いて、隊列の前に居る彼の元に向かった。
王都は一定のまま落ち着いていて、その城壁は鉄壁であるように見える。
獣達は攻め疲れたのか、矢の射程から距離を置いたまま動く気配がない。やつらは、こちらにも視線を向けているけれど、わたしの光を警戒しているのだろう。見ているだけだった。
城壁の上では、向こうからも見ていたらしい。手旗が動いているのが分かった。
(北門、迂回、せよ。か……)
リリアナの言う通り、迂回するべきだったのだ。
街道を少し戻るので、ガラディオは殿になるためにまだ留まっている。
「エラ。誰を助けるか迷った時は、リリアナを護るんだ。いいな?」
「……なんですか? 突然」
「誰も彼も護れるような力は、人は持つ事が出来ないからだ。お前の力でもな」
「ふぅん……?」
ガラディオの言葉は、どこかぶっきらぼうだったり、突然だったりで、すぐに頭に入らない事がある。今もそうだ。
でも、後になって、そういえば言われていたなと思い出す事がある。そういう事に直面した時に。
「もっと優しく、分かり易く言ってくれれば、素直に聞けるかもしれないのに」
「……お前は元々、俺の言う事なんか聞く気がないだろう。それでも人生の先輩として言ってやってるんだ」
「ほら、すぐそういう事を言う。私に優しくしないのって、ガラディオくらいよ?」
「またタメ口……まあいい、公女様だもんな」
「……疲れてしまったから、私の事、落とさないようにしててよね」
(この人は……ニガテだけど、安心できる)
「っておい。寝るなよ? その翼はお前が寝ると重いんだ。絶対寝るなよ!」
「……あなたなら大丈夫でしょ? だから乗せてもらってるんだから。馬も特別大きいし」
憎まれ口を言ってしまうのも、ガラディオだけだ。
何か言ってやらないと気が済まない。そんな気持ちになってしまう。訓練でいつも、コテンパンにされるせいだと思う。
(だから、しょうがないのよ)
「なんて女だ。周りのやつらは甘やかし過ぎだろ? こら、笑ってんじゃねえ。ったく」
お読みいただき、ありがとうございます。
読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。




