第三章 三、悪夢の続き(二)
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獣に、人を食わせているやつがいる。
そんな噂が、まことしやかに流れていた。
森林街道を脇に逸れて奥地に行くと、流れ者が集まる集落がどこかにあるという。
その森の中で、獣に差し出す様に生きた人間を食わせていた。
獣は他の人間を襲う事はせず、差し出されるのを待っていたようだと。
まるで供物を捧げられ、祀られているような雰囲気であったという。
実証されたわけではないけれど、人を食った獣は、知能が高い傾向にあると言われている。
それは皆が共有している感覚だった。
獣じみた本能的な攻撃ではなく、多彩なフェイントを用いるのだとか、群れの数が異様に多くて言語を持つようだとか、明らかにこれまでとは一線を画す差がある。
そして実際、それを目の当たりにするような状況に直面していた。
これまで何度も、他国の侵略を防いできた王都で、守護する騎士達は、苦戦していた。
討って出た騎士達は軒並み敗走し、城壁を頼った防衛戦を強いられている。
最初は、オオカミの小さな群れが王都近郊に出現したというので、その数に見合った数を出して討伐に向かった。油断さえしなければ、すぐに対処できるだろう。誰もがそう思っていたし、担当していた貴族も、これでまた功績が稼げるなと内心思っていた。
目視では見えない小さな丘の陰。そこに、オオカミ達の伏兵が居るなど誰も予想せず、騎士達に恐れをなしたように引いていく小さな群れを、彼らは果敢に追い立てた。
小さな丘を迂回するように逃げる群れが速度を落とし、さあここでケリをつけてやろうと、騎士達が武器を構え直した時だった。追っていた数の三倍は居たと言う。
命からがら逃げ延びた騎士の一人は、王都でその惨状を報告した。
その彼も、左腕を失っていた。
初日はそれで終わった。
次は、その三倍に勝てる数を出すのだと、担当していた貴族は息を巻いていた。王にも、国を護る剣であるアドレー将軍にも、その報は伝えた上で、次こそはと。
だが、結果は凄惨なものだった。
百五十騎という、その貴族の持つ兵力の全てを失った。
なぜならば、同じ手を食らったのだ。
小さな丘に向けて差し向けた兵は、そのオオカミの群れに森林街道まで誘われた。
見事に釣られた結果、街道を追い進んだところで左右の森林から、さらなる伏兵に襲われて瞬く間に全滅した。
推測でしかないが、その数は兵と同数か、それ以上は居たのではないかと。
王都全体にこれが知らされる事となったが、対応は後手に回っていた。
対策を講じる前に、オオカミの大部隊に進攻されたのだ。
その上、先日罠に嵌められた小さな丘の上には、巨大なトラとクマが陣取っている。
「あれが、何頭いる?」
指揮を任されたアドレー将軍は、特に巨大な獣のひと群れを眺めて、側近に問うた。
「見えているだけで五十。他にも隠れているかもしれません。正確な数は……」
「そうか」
獣たちは王都の外周全てに散っているわけではなく、目的を持って正面に陣取っている。距離が取れて、死角の多い正面だけに。
「出るわけにはいかんな。かといって、防戦だけでは負けるか……」
淡々と述べるアドレー将軍からは、その感情は読めなかった。
「この城壁が、獣に破られますか?」
城壁は、古来より獣用に造られたものだ。人よりも断然高い身体能力を持つ獣に対抗するために、高さも厚みも随分とある。
「あのトラの大きさを見ろ。あれならこの城壁、跳ね登れるような気がせんか」
それに、隣にぬっと立つ巨大なクマの力は計り知れない。分厚い城壁さえ、いつか破壊されるのではないだろうか。
「一匹ずつなら、対処も出来たのでしょうが」
「……そうだな」
見えているだけで五十。そのどれもが、普通の大きさではない。
以前にガラディオが首を刎ねたクマが、三階建ての家ほどの図体だった。もしかすると、あれらはその時のクマと同等か、それ以上だ。
陣取った巨大な姿は、遠くからでも不気味な存在感を醸し出している。
「あれらを指揮するヤツが居るはずだ。それを討たねば、仮に今を凌いでもまた来るだろうな」
アドレー将軍は、この戦いの後まで考えていた。
「勝つ……という事ですよね」
ただ目の前の事だけを見ていては、その次、もしくはさらにその先に敗れるかもしれない。それを考えるという事は、勝てるつもりで話されているはずだと、側近の騎士は思った。
「市街戦になるかもしれん。市民の避難を開始しろ。だが、城壁は死守してくれよ? これが壊れれば、ヤツらが雪崩れ込んで来るだろう。そうなったら終いだ」
クマの持つ破壊力と、トラの機動力。とりわけ恐ろしいのはトラの方だ。城壁を容易く跳ね登るだろう。そうなると、市街戦となって戦況は混乱する。
クマの破壊力は、城壁があるうちは時間が稼げる。ただ、破壊されるまでどれほど持つか分からない。その後は、王都の壊滅が待っている。
それゆえに、城壁の死守は絶対だった。
「はっ。我々の命に代えましても」
なぜ、こんな事になっているのだろう。側近の騎士は、この緊迫感の中にありながらも頭の片隅で考えていた。
ヤツらは、多くで群れる事がなかったからだった。
ここまでの数で統制を持って押し寄せるのは、もはや軍隊だ。以前まで見られたのは、異種の数匹が手を組む程度だった。それ以上はあり得なかった。
言語の無い獣に、統率も指揮も、出来るわけがなかった。
今は、そのあり得ない事が起こっている。
獣の軍隊は、およそ千は下らない。
九割以上はオオカミ。これは城壁を越えられないだろう。
だが、残りの一割を、トラとクマが占めているのは大問題だ。
悠然とこちらを観察しているトラ達は、まだ出る幕ではないのだとばかりに、くつろいでいる。その姿だけを見れば、どでかいネコでしかないのに。
クマは好戦的で、オオカミに紛れてあちらこちらに散っていて、その巨体を城壁にぶつけたそうにしている。それよりも気になるのは、小さな丘に居るクマの群れだ。ゆらりと立ってはこちらをじっと見つめ、そしてまた四つ足に戻る。それらは、さらに大きい。
リーダーはどれだ。
群れの最奥の、どこかに居るはずだ。
軍隊を模した形で攻め入るほどの、統率する力と知能の、両方を備えた獣が。
見つけて、最優先で討つ必要がある。
それだけではなくて、眼前に映る全ての獣が、一定の言語を有している事は間違いない。
「一体……こいつらは何なんだ……」
側近の騎士はぞっとした。
「勝てる……よな」
「ファルミノに応援要請だ。緊急の狼煙を上げろ。やはり、四の五の言ってられん。それと、この手紙を飛ばすのだ。数日だけでも持ちこたえれば、活路が開けるかもしれん」
クマは弩弓に当たるかもしれないが、トラにはどうも、当たるように思えない。あれが動き出したら、乱戦は必至。そうなるとクマへの対応が遅れて、城壁を破壊されかねない。
アドレー将軍の予測はこうだった。
オオカミは数による威嚇。弓の的になるから射程外にしか居ないし、あれらが本格的に仕掛けてくるのは最後だろう。クマも弩弓の的になるから、最初にはおそらく動かない。
初手は、トラとオオカミによる夜襲。オオカミどもを盾代わりに、トラが城壁を越えようとするだろう。あんな大きさで俊敏なのだから、近接戦闘になれば勝てる部隊はほとんどない。
仲間の犠牲ありきの覚悟で、弩弓の斉射をするしかない。それだけは避けたいところだが、これは、最悪の事態ならばそうなるという予測だ。
敵の知能が低ければ、もしくは我が身可愛さで突撃をしてこなければ、何も危惧する必要なく、快勝出来るだろう。
「獣らしく、本能のままに来い。ワシらの真似事をしようなど、薄気味の悪い」
獣には見せた事のない弩弓。これを知らずに飛び込んでくるのが普通だ。
もしも、最初から弩弓の攻撃を読んでの行動パターンならば、一番危惧している事が事実だと証明されてしまう。
『人を食った獣には、その人間の知識と知能が多少なりとも、受け継がれる』
人の動きを見て、真似たのをそう感じただけの事であろう。という持論を、アドレー将軍はずっと崩さずにいる。
ただそれでも、軍の動きを真似出来るとまでは思っていなかった。
「本当に、薄気味の悪い……」
アドレー将軍は、狼煙が上がっている事を確認した。
ガラディオが間に合えば、勝率はかなり上がる。それに……エラの持つ、剣と翼。あれは、どんな軍隊にも負けはしないだろう。
気掛かりなのは、あれを使う事で、エラに何かしらの負担が掛かるのではという危惧だ。大切な娘を、戦争の道具として消耗させたくはない。
国と民を取るか、娘を取るか……。まさかそんな事で迷う日が来るなど、アドレーは夢にも思わなかった事だった。
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