第三章 二、不穏な状況(八)
「こんな風に、色んなところに繋がっているのね……」
平民区の商店街を抜けた事で、気丈に振舞っている事が急に疲れてしまった。もう、お屋敷に帰りたい。
----------------------------------------------------
「ここって、有名なスイーツとかあるのかな」
大通りにあるお店はどこも少しお高いらしい。その中でも、一番人気のお店を知りたかった。
フィナに聞くと、すぐ近くに見える可愛い佇まいのお店がそうだと言う。
「じゃ、あそこで皆のお土産を買って帰りましょうか」
そして、新人騎士さんに言付けをした。お店に入っている間に、馬車を回しておいて欲しいと。「なるべく早くお願いね?」と付け足して。
(あと少し。お土産を買って、馬車に乗るまで……もう少し、頑張れ)
自分に言い聞かせて、姿勢もいつも以上に気に掛けた。微笑みも忘れない。
お店では焼き菓子を中心に、フィナとアメリアにも欲しいものや喜ばれるものを聞きながら、結構な量を買った。騎士達、侍女達、この二人の分と、リリアナとシロエにも。とにかく、皆に普段の感謝も込めてふんだんに買った。他のお客さんには申し訳ないけれど。
そしてようやく、お店を出ると、ちゃんと馬車が到着していた。
「エラ様、さ、お早くどうぞ」
新人騎士さんは、まるで中堅の騎士のように、スマートにエスコートしてくれた。疲れている事も、きちんと理解してくれている動きだった。
「ありがとう。とても助かりました」
本心からそう思う。
彼は小さく頷くと、フィナとアメリアもスムーズに馬車に乗せ入れた。
「すぐに出します」
そう言うと彼は、御者に合図をして馬車を出した。
速度が乗ってきたところで、わたしはようやく大きなため息をついた。壁にもたれ掛かって、硬く目を閉じる。
(あんな言葉を投げつけられるなんて、予想しなかった……)
言われてすぐは、あまり頭に入って来なかった。けれど、あの言葉の数々は、じわじわと胸をえぐり続けた。
(苦しい。本当かどうか分からないけど、あれはわたしの、本当の母親なの……?)
この体の、記憶によぎる事さえないものだから、ただの戯言かもしれない。それでも、かつて自分が、同じように虐げられてきた事を追体験してしまったように、心が軋んでいる。
(なんで、あんなに酷い事が言えるんだろう)
腹が立つからと、暴力を振るうのも間違っている気がする。けれど、ならばこの傷ついた心は、どう責任を取ってもらえばいいのだろう。
忘れかけていた遠い記憶が、今になってはっきりと蘇る。両親から言われ続けた心無い言葉の数々。尊厳を踏みにじられる憤りと虚しさ。目に付けば馬騰され、居なければ居ないで怒鳴られる。
(ああ、嫌だ、思い出したくない。ここでは、皆に愛されていたいのに……)
「エラ様……。やっぱりさっきの女……始末してきます」
アメリアが、硬く閉じていた目を見開いてしまうような事を言った。
「なっ、何を言うの? そんな事、考えなくていいの。私のために、そんなに辛い顔をしないで。お願い」
見ると、フィナも同じように怒りを再燃させていた。
「フィナもよ? 二人とも、もう忘れましょう。あれに乗せられて、命を刈り取ればいつかアドレー家の信用を失う事になるわ」
そう。安い挑発だ。どれだけ心を抉られようと、わたしはただの個人ではない。アドレーの名を継ぐ者として、もっと別の所を見ていなくてはいけない。
「でも! がまんできません! 許せません! 私の恩人のエラ様を、あんな……!」
アメリアは特に、わたしを護りたいとずっと想い続けてくれているから、余計に怒ってくれるのだろう。
「ありがとう、アメリア。そんな風に私の代わりに怒ってくれているだけで、私は十分幸せだわ。ほんとうに」
怒りのぶつけどころが無くて、アメリアとフィナは、二人して歯がゆい思いをしている。
「じゃあ、物騒な事をする代わりに、私の側に来て。抱きしめて慰めてくれたら、それが一番嬉しいから」
すると即座に、フィナは隣に、アメリアはわざわざ跪いて、わたしの膝元に来てくれた。ちょうど、アメリアのふわふわの髪を撫でやすい位置に。フィナはわたしを包み込むように、優しく抱きしめて頭を撫でてくれている。
「……ありがとう。あんな挑発なんか、いつか何とも思わないような大物になってやるんだから」
**
――屋敷に到着した頃には、落ち着いていた。三人とも。
ただ、わたしは知恵熱を出してしまったようで、一人では歩けないくらいフラフラだった。
すぐに騎士に抱えられ、リリアナ達との、三人用の寝室まで運ばれた。
「少し眠りなさい。大変だったわね」
すぐに看病に来てくれたリリアナに言われるまま、目を閉じた。
(まだ……護ってもらってばっかりだなぁ……)
……少し眠れたみたいだ。気持ちもすっかり落ち着いた気がする。
けれど、思い出してしまうとやはり、悔しくて行き場のない憤りがふつふつと湧き上がってくる。一度そうなってしまうと、なかなか感情が収まらない。
(こんな事じゃ、リリアナを護るどころか、迷惑をかけてしまう)
心だけでは収まらずに、わなわなと、手指が震えている。
「リリアナ……」
未だに何も返せないという焦りか、それとも、単純に慰められたいからか、不意に声が漏れてしまった。
「起きたの?」
「わ。リリアナ?」
真っ暗な寝室では、横たわる目の前に誰かが居てもほとんど見えない。でも、この声の近さは、彼女もすぐ隣で寝ているのだ。
「寝息を立てていたと思ったのだけど……そっか、嫌な夢を見て、起きてしまったんでしょう」
夢ではないけれど、似たようなものかなと思った。
「……そうみたいです。ねぇ、リリアナは私を見て、嫌な気持ちになったりはしませんか?」
銀髪赤目の容姿は、顔立ちは別として、やはり異端なのだなと改めて思っていた。
「なぁにそれ。少しでも嫌なら、こんなに側に置いたりしないわ。あんまり腹が立つなら、明日にでも捕まえてくるわよ?」
「えっ?」
街での事は、しっかり報告を受けているらしい。
「護衛がそのまま帰すと思う? 一人は後をつけて、一人はそいつの事を調査して、もう身元は分かってるんだから」
「さすが……」
容赦がないというか、抜け目がない。
「あなたがもういいと言ったらしいから、その言葉を尊重しているけど……間違った伝承だと散々通達して教育までしているのに、未だに差別をする人間を、野放しには出来ないわ」
「……私は、甘すぎましたか?」
「ううん。優しいのよ。怒りに任せて切り伏せても、許される立場だったのにそうしなかったのだし。それに、傷ついた瞬間って、もう関わらずにいて、忘れてしまいたいと思うものだもの。エラは間違ってなんかない」
「リリアナ……」
「うん。我慢しなくていいのよ? ほら、おいで……」
そう言って、リリアナはわたしを、その胸に抱き寄せた。
「あったかい」
「エラはいい子ね、本当に。優しくて強い子だわ。もっと好きになっちゃう。私の大切なエラ。いい人が見つかるまで、ずっと側に居てね?」
「いい人……? もう。リリアナまで私を結婚させたがるんですか?」
「そうじゃないわ。あなたの事を放っておかない人が、きっとわんさかあふれて、いつか良い人が見つかってしまうんだろうなって、そう思うのよ」
「……男の人は、苦手です。おとう様みたいな人なら、抱きしめられても平気かもですけど」
「お爺様かぁ……それだとなかなか難しいわねぇ。結婚、出来なさそうね。ふふふ」
「フフ……いいんです。いつか、どうしてもの時は、王子の誰かにお願いすればいいかなって。リリアナお勧めのお兄様はいらっしゃいますか?」
「え~? お兄様の中でかぁ……みんな、クセが強いから……エラが大変かもね?」
「そっかぁ……それなら、優しい人が…………」
「……フフ。ねちゃった。おやすみなさい……次は良い夢を見るのよ?」
――交わした言葉は夢の出来事だったのか、それともひと時、起きていたのだろうか。
リリアナの優しい声に甘えながら、今の幸せを失いたくないと思って、それから……。
お読み頂き、ありがとうございます。
読んで「面白い」と思って頂けましたら、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。




