第三章 二、不穏な状況(六)
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最近は、平和だ。
ファルミノは防御面を考えた上で造られた街だ。お屋敷もお城の防衛力を意識して造られているから、わたしを狙う暗殺もほとんどなくなった。あっても、わたしが直接対峙する事は無い。それだけ侵入も難しいという事だろう。
獣は王都に比べて多く、実際に騎士達は毎日のように討伐に出ているようだけど、街の近郊に出るほどでもない。
やる事はあるけど忙殺されるわけでもなく、程良い集中と疲労と、楽しい時間が流れている。
(そういえば、この間の騎士さんはどうなったんだろう?)
ガラディオに絡んでいた騎士がその後、本当にしごかれたのかなど、ほんのりと気になる事も今まではなかった。
(そうだ。街を散策してみたい!)
最初に来た頃は、お屋敷に匿われるように過ごした。王都では買い物が出来たけれど、ファルミノでは街中さえきちんと見た事がない。
(リリアナに聞いてみよう)
今はこの剣もある事だし、護衛も付けてもらえれば街に出してもらえるだろう。
「だーめ。だめよ。欲しい物があるなら業者を呼ぶから。何が欲しいの?」
真っすぐに下ろしたリリアナの金髪が、激しく揺れるほど首を横に振られた。
買い物といっても、ただ街を見て回りたいのが一番の理由なので、業者を呼んでもらう程に何かが欲しいわけではない。
「ちょっとお散歩がてらに出たいだけなんです。出店とか、食べ歩きしたいな……って」
「あぁ……そっか、そういうのも楽しいものね。でも、ダメよ」
「どうしてですか?」
「あなたに何かあったらどうするのよ。偏見や差別が無くなったわけではないし、むしろ根強く残り続けてる。平民は特に、不満のぶつけどころを探してしまうものだから」
「王都では大丈夫そうでしたよ?」
「貴族街だったでしょう? あなたが見て回りたいような街並みは、平民区だと思うの。本当に、お勧めしないわ」
「そう……ですか」
今なら外出できるのではと思っていたから、がっかりしてしまった。
「……もう! そんな顔しないでよ。どんな目に遭っても後悔しないって言うなら、護衛を沢山連れて……あぁ、でも……」
「一度だけ! だって、私はここでも王都でも、お屋敷から自由に出た事が無いんですから」
それに、実際に見てみない事には良いも悪いも分からない。そんなに酷い差別感情が、本当にあるのだろうか。それを知っても後悔しないと強く伝えると、リリアナは折れてくれた。
「はぁ……まあ、わかったわ。ほんと~に、酷い事を言われても悲しまないでよ? 私は言いましたからね」
リリアナは怒ったような、少し拗ねたような、複雑な顔をしている。
彼女がこれほど言うというのは、少し不安ではあるけれど。それでも、わたしはもう成人したのだから、多少の事は自分で対処したいし、お出かけくらいふらりと行ってみたい。
「きっと大丈夫ですから。それじゃあ、行ってきます!」
こんなにダダをこねたのは、初めてかもしれない。
たぶん、翼で上空から街を見たからだろうと思う。活気にあふれていて、出店で何かを買って食べている子供たちの姿が、目に焼き付いている。
城壁の外はまだまだ危険だけど、街はこんなにも楽しそうに生活しているんだと思うと、もっと近くで見てみたい。そう強く思ってしまった。
「ちょっと待って。護衛は三十から四十……いいえ、五十は連れていきなさい」
ぐい。と迫るリリアナの碧い瞳は、本気だった。
「きょ、きょうはそんなに騎士が居ないですよ……」
ふらりと出かけたいのに、そんなに連れ歩きたくない。ないけれど……。
「だったら、居るだけ連れていきなさい」
了解しないと、またダメだと言われそうだから「ハイ」と言った。
訓練場に行って、出られる人に追加の護衛をお願いした。でも、すでに三十人の護衛が後ろに居る。
「いいっすよ! エラ様、お出かけ初めてじゃないっすか? 我々が華麗にエスコートいたしましょう!」
入り口の近くに居た若い騎士が、ものすごく気さくな返事をくれた。
「てめぇ! 訓練サボりたいだけだろうが!」
ああ。ガラディオから逃げたいのだろう。
「いや、違うっす! 街なら俺の庭っすから! ちゃんと穴場とか美味い露店とか知ってますから!」
「貴族街だったらお前は不要だな?」
「あ~……そっすね……」
ガラディオは、わたしが貴族街に出かけると思ったのだろう。平民区だと告げると、苦い顔をして上を向いた。そして若い騎士は、曇った表情から一気に期待の笑顔になった。
「チッ。まあいい。たまにはお前も役に立ちたいだろう。だが、道案内以外は出しゃばるな。お前はまだ半人前なんだからな」
「やっっったぁ! 分かってるっス了解っス!」
「言葉遣いも、いい加減覚えていかないとリリアナ様に報告されるぞ? お前の屋敷勤務は遠のくだろうなぁ」
なるほど。新人の教育にも、色々な飴が必要なのか。ガラディオも苦労しているらしい。
「フフ。面白い言葉遣いですね。でも、リリアナは好きではないかも……。先輩を見習わないとね? 新人さん?」
ニッコリと微笑みながら、久しぶりのウィンクをした。小首を傾げて、パチンと片目を閉じる。
「お、おおおおお。了解しまっ、しました!」
若い騎士は顔を真っ赤にして、最敬礼をしてくれた。ちょっと背すじの伸ばし方が大げさ過ぎるけれど、こんな事でそこまでしてくれるのが可愛らしかった。
「嬢ちゃん、あんまり可愛い仕草は控えてくれ。こいつらには刺激が強すぎる」
見渡すと、ウィンクを見たであろう他の騎士達も、なぜか最敬礼をしていた。そして、少し鼻の下が伸びている。
「こ、こんなに刺激になってしまうなら、控えますね」
普段からずっと、訓練漬けの女人禁制みたいな生活をしていると、こうなるのかもしれない。気を付けようと思った反面、なんだか面白いな、とも思ってしまった。
(ちょろ~い。なんて考えていたら、いつか逆に襲われてしまうだろうか)
でも、面白半分で楽しんでしまうなんて、わたしは悪女の才能があるかもしれない。
「よし、それじゃあそこからそこまで、エラ様の護衛任務に就け!」
ガラディオは横に指を切り、十人ほどを割り振った。
「はっ!」という気持ちよく揃った返事と共に、即座に着替えに走っていった。
「た、隊長! 俺は? 俺も行ける流れだったじゃないっすか!」
アピールがすごいけれど、何だか憎めない彼は忘れられていた。
「あぁ……そうだったな。お前も行け。早く着替えてこい」
「ありゃあっっす!」
「ちゃんと返事をしろっ!」
「ありがとうございます!」
言えるんだ。と思った。
「急な事なのに、皆さんお付き合い頂いてありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
そう言って、馬車に乗り込んだ。もちろん、フィナとアメリアも一緒だ。
フィナが居ないと金銭感覚が分からないままだし、アメリアにも、お出かけをさせてあげたかったからだ。
すがすがしい程に大名行列になってしまったけれど、もしかすると王族や公爵令嬢というのは、こういうのが本当に当然の事なのかもしれない。わたしが貴族の常識を理解しきれていないだけで。
そういえば、暗殺未遂は起きているのだった。どこかで気が緩んでいる。
皆のお陰で、あの恐怖を味合わなくて済んでいるのならば……。
(やっぱりお出かけなんて、しない方がいいのかな)
「エラ様、どうかされましたか?」
いち早くわたしの表情に気付いたのはフィナだった。
「あ、ううん。わがまま、し過ぎちゃったかなって」
「そんな事ですか。たまにくらい全然大丈夫ですよ。他のご令嬢なんて、エラ様と比べたらとんでもなく我儘ですから」
本当に遠い目をして言う姿から察するに、フィナも苦労があったのだろう。慰めてくれているのと、苦労した本心が見えてちょっと複雑な気持ちだけど。
「エラ様、私、串焼きというのが食べたいです! お出かけ出来るって言ったら、皆が串焼きは食べさせてもらいなさい、って!」
アメリアの無邪気さが、少し落ち込んだ気持ちを吹き飛ばしてくれた。
「あら、そうなんだ? 私も食べてみたくなっちゃった。三人で一緒に食べましょうね」
「やった~!」
やっぱり、アメリアは可愛い。
フィナは、このままでというのでメイド服のままだけど、アメリアには少しお洒落をさせた。
わたしとお揃いに見える厚手のゴシック調で、黒いドレス姿に柔らかな金髪が映える。肌寒い冬に差し掛かってきたので、コートも掛けていたのだけど……はしゃぐ彼女には必要なさそうだった。暑がって脱いでいる。
「アメリア、はしゃぎ過ぎないの。馬車が揺れるじゃない」
フィナはどこに居ても、誰かのお目付け役で大変そうだ。
「フィナ、あなたもたまには気を抜いてよ。楽しんでもらいたくて連れてきたんだから」
「ありがとうございます。十分楽しみですよ? お小言はクセのようなものですから、エラ様もお気になさらずに。それより、エラ様こそもっと楽しんでくださいね?」
お互いに気遣いあいつつも、アメリアの食べたいもの候補を聞きながら、わちゃわちゃとしながら目的の平民区まで向かった。
――商店街の手前で馬車を降りた。
その見張りを置いて護衛達と練り歩く……かと思いきや、目的地を告げてあるせいか、ほとんどが雑踏の中に消えていった。近くに居る騎士は四人だけだ。
商店街の賑わいに、ぽつんと取り残されたような気がした。
「あれ? 皆さん居なくなっちゃった?」
「いえいえ、ああして先回りして、不穏な事が無いかを確認しているんですよ」
わたしの疑問に、すかさずフィナが教えてくれた。
そういえば王都でも、目に入らなかっただけで沢山の護衛が街に紛れていたのだった。
「隠密だね……」
「なんですか? オンミツって」
わたしの中の翻訳機は、たまに訳せないものがある。そのままの音で伝わると、この星の人には意味が分からないようだ。
「えぇと……すごく腕のいい護衛? みたいな」
「はぁ、そういう言葉があるのですね。オンミツ……」
(フィナ、そういうのはあまり覚えないでほしい……)
言うと余計にややこしくなるので、心で祈るだけにした。
「エラ様! 串焼き見つけました! あと、パイもありました! たくさんお店がある……」
「ッフフ。アメリアの欲しいもの、全部見ていきましょうね。食べられるだけ食べていいのよ? だから遠慮しないでね」
そう言うと、アメリアは蒼い目をキラキラと輝かせた。わたしの手を引いて、あっちもこっちもと、本当に楽しんでくれている。
「来てよかった……。わたしは楽しみ方って分からないけど、その分アメリアが全部してくれる。嬉しい……」
「エラ様、優しいッスね……俺、感動してるっス!」
横を静かに歩いていた護衛が、不意に話しかけてきた。あの若い騎士だ。騎士の隊服を着ていると見違えて、話してくれるまで彼だとは思わなかった。
「アハハ、新人さん。アメリアにもっと美味しい物とか教えてあげて」
「い、いやぁ……侍女達の情報網があるなら、俺の出番はないっす」
何をしに来たのだか。
そんな会話も楽しんでいると、一人の女が前から近付いてきた。身なりは悪く、この辺りでも誰も着ていないような、薄汚れた服。茶色の髪もぼさぼさとしていて、周りの人もあからさまに避けている。この星の人は皆一様に若く見えるのに、彼女は目元だろうか、老けている気がする。
それを警戒した騎士が二人、雑踏の中からさっと現れて、わたしの前で壁を作った。
お読み頂き、ありがとうございます。
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「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
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