第三章 二、不穏な状況(五)
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王都を離れた。ガラディオに師事しろと言われて、ファルミノに帰ってきたのだ。
そのお義父様は寂しそうな顔を隠しながら、わたしを見送った。
自分ではどうしても決められなかったし、これはこれで良かったのだと思った。
(本当はもっと、お義父様と一緒に居たかったけど……)
それから一カ月程を、ガラディオとの訓練と、古代兵器である剣と翼の自修などに費やした。考える事も増えた。
ただ、周りが甘やかしてくれる問題については、あまり考えないようにした。
なぜなら、考えが核心に近付きそうになると、記憶が曖昧になるからだ。きっと、もう何度も繰り返している。その感覚はあるし、甘やかされる事の違和感を忘れなくなった。
だから、そのように繰り返す方が良いのでは、とも思った。けれど、一旦保留にした方が無難かもしれないと迷った結果、決めた事だった。
わたしが地球に居た頃の記憶が、もうほとんど無くなっているからというのが原因だ。うろ覚えでしかないけれど、あちらでは男として生きていたような気がする。という程度のものしかない。本当は夢の出来事だったのではないのか……現実だったのかも分からない程度の、曖昧な記憶。
翼を手にしてから、それは顕著だった。きっと、あちらの文明よりも遥かに優れた物に触れた事で、覚えておく必要性を感じなくなったからだ。それが、心のきっかけとして大きかったのではないかと思っている。
だから今、最優先にしているのは、翼と剣の使い方を覚える事だ。
何が出来て、どこまでが限界なのか。
それが分からない事には、実戦で使う事を許さないとガラディオに怒られたからだ。
……本当なら、ガラディオさえ敵わないくらいの力を持っているはずらしい。いや、実際にそうだろうと自分でも思っていた。けれど、彼の強さは異次元レベルだった。人の領域を遥かに超えている。
まず、光線に当たらない。何が足りないのか、五十門あるという光線を斉射出来るわけではないけれど。羽の剣にも。「何度か見たから」という理由で、全て弾かれたり回避されたり、これもとにかく当たらない。いや、彼なら当たっても巨大熊のように効かない可能性まである。
それから剣技。長物を含めて、翼で防御しても衝撃で飛ばされる。剣でなど受けようものなら、きっと腕が千切れ飛ぶだろう。わたしの特別な剣は折れなくても、この腕はもたないのだ。
古代の科学兵器も、彼の純粋な力、歴戦の強者の技量には敵わなかった。可能な事と言えば唯一、翼で逃げる事だけだ。さすがに最高速度や高度だけはどうしようもない。ただ、適当に浮かんでいるだけだと、剣や槍を投げてくる。えげつない速度で。本気で逃げなければ、彼には撃墜されかねない。
(古代兵器もこんな程度。なのか、あの人が化け物なのか……)
正直に言えばショックを受けている。それに、強さの基準が未だに整理できないのは、あの人のせいだ。
……有益だったのは、獣の倒し方を教わった事だろうか。
「生きて動く獣の首は、向かってくればこうして迎えるように斬る。逃げる時はこうして逃げ道を塞ぐように追う」
簡単そうに見せるのに、いざやってみると難しくて敵わない。小ぶりのオオカミから試してみたけれど、それでも上手くいかない。
「まあ、百も狩れば覚えるさ」
と言われた。
(彼のような剛力が無くても、果たして可能なのかしら……)
この疑問にだけは、答えてはくれない。「さぁな」と言うだけだ。
「納得いかない。鋼の鎧は容易く斬れたのに……」
一か月経っても出来ないわたしに見かねたのか、ガラディオはこう言った。
「人の重心は追えるくせに、なぜ獣になると当てずっぽうのままなんだ?」と。
言われてようやく、はっとなった。閃いたと言ってもいい。
(……教えてもらったから、閃いたのとは違うかもだけど)
四つ足が基本姿勢の獣は、その重心を散らすのが上手い。そして、一つにまとめるのも上手い。だから、斬りたい部位の重心を上手く捉えられなかったのだ。
特に首ともなると、全身のバネだけでなく、四つの足を巧妙に使う。それのどこに重心を逃がすかによって、追うにしても迎えるにしても、方向がかなり変わる。ガラディオは、それを瞬時に見抜いて最善の角度と方向に力を掛けるから、一瞬で落とせるのだ。
(……分かったけど、分かるのと出来るのとは違う……大きいのは、そもそも斬れる気がしないし)
でも……翼を上手く使えれば、もっと上手く、そして安全に斬れるのではと思った。
とにかく、この一カ月は過ぎるのが早かった。獣の討伐も何度か加わった。最後列で。
指示の通りに光線を撃ち、それで倒れない獣をガラディオと精鋭達が討つ。当然の事だけど、それは安全で、そして効率の良い討伐だった。
「上出来だ。エラ。逆にお前が狙われると、隊列が崩れる。だからお前を護るための布陣になる」
「はい」
「戦争では、これが基本となる。お前は前に出てはいけないんだ。分かるな?」
「はい。それに……私の剣術など、ガラディオの足元にも及ばないのは分かりましたから。もう勇んで前に出るようなマネはしませんよ」
「なんだ、拗ねているのか! ハッハハハ! 可愛いやつめ。いつかお前も、お前なりの剣術が身に付くさ。その不思議な剣と翼を使った、お前だけの戦い方がな」
使ってもあなたには勝てないのに。そう思ったけど、未来の話をしたのだと分かっているから、愚痴を言うのはやめた。
「わははは! エラ様! 隊長の二つ名を知らんのですか! ハハハハ!」
獣の討伐に森に入った帰り道。並走していた騎兵の一人が、よく通る大きな声で会話に突然参加してきた。最近は彼らとも打ち解けつつあって、気さくに話しかけてくれる。今は兜のせいで目元しか見えないけれど。仲間に入れてもらえたような気がして、実は嬉しい。
「おい、言うなよ? 俺はあんな二つ名、認めていないからな!」
「まぁまあ! いいじゃないですか! 聞いてくださいエラ様! 隊長の二つ名は――」
「お前コラ! あんなダサいものを口にするな!」
「――血戦斧神ですよ! けっせんぶしん! かっこいいでしょう!」
「お前は帰ったら覚えておけよ!」
ガラディオは、隊の部下達には少し口が悪い。皆も仲間同士だとそんな感じだから、そういうものなのだろう。
「ははははは! 隊長が敵陣を駆け抜けて、血のりでドロドロになったハルバードを振るう姿に付けられた名です! 何せ、人が布切れのように赤く飛び散るのですから、戦神と畏れられてもしょうがない事ですよね!」
「せんぷじゃなくて、せんぶ……。ああ! 血の戦斧と、武神をかけているのですか?」
「どうやら、そのようです!」
三メートルを超えるオオカミを簡単に吹き飛ばすのだから、人なんて数人一緒に薙いでいるのだろう。
「こんな子供に聞かせるんじゃねぇ! お前はしばらく昼メシ抜きにしてやるからな!」
「わはははは! それは困ります隊長!」
「わははじゃねぇよ、まったく……エラもつまらん話は忘れろ。いいな?」
最近のガラディオは、お嬢様扱いはいつの頃にか無くなっていて、部下か妹に接するように話す。だから、わたしも負けてばかりではいけないと思って、口ごたえを隊員達から覚えようと思うようになった。でも、彼らとは何か違う。
「私は子供じゃありません」
「ちっ、女も子供もおんなじだ」
「だからモテないんですよ、ガラディオは」
「なにぃ?」
わたしの口ごたえは、どうしても女が前に出てしまう。彼らはもっと、爽快だったりぶっきらぼうだったり、少し乱暴な感じだったりがカッコイイと思うのに。
「アハハハ! 人にこんな冗談を言ったのは初めてです! ごめんなさい、アハハハ」
せめて、笑い方だけでも真似をしようと、手も当てずに大きな口を開けて笑う。
「何が冗談だ。笑いながら言ってんじゃねぇ。ったく……」
でも、ダメージがあるのはわたしの言葉らしい。
「エラ様! もっと言ってやってください! 隊長に物申せるのはエラ様とリリアナ様くらいですから! ハハハハハ」
なんだかんだで、ガラディオは人気者だ。隊長としても、人としても。だから皆、討伐終わりの帰りの、警戒も緩めて大丈夫そうな街道では軽口を叩きに寄ってくる。
「そうだエラ様! 隊長を婿候補にいかがですか! 候補は何人居てもよいでしょう!」
「なっ! なんでそうなるんですか! わた、わたしはまだ、社交的に行動してるだけで、そういうのわっ……」
「ハッハハハ! 隊長、フラれてしまいましたね。何連敗ですか!」
わたしをダシに使ってまで、ガラディオに絡みにいくなんて……。
「いい度胸だ! 戻ったらその元気が枯れるまで対錬して鍛えてやろう!」
絡みに来た彼は「ぎゃー!」と、わざとらしく絶叫している。ガラディオの目は、ちょっと本気だけど。
モテないというのは、本当なんだろうか。デリカシーが足りないから、そうなのかもしれない。
(晴れた日の帰り道は、気持ちがいいなぁ)
一人でも乗れるようになった馬に揺られながら、お風呂と夕食の事を考えている今の時間が、一番好きだなと思う。
お読み頂きありがとうございます。
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「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
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