第三章 二、不穏な状況(四)
そんな事を思いながら付いて行くと、普段来た事のない通路の、奥の部屋へ案内された。
-------------------------------------------------------
そこは、このお屋敷にしては珍しい小さな部屋で、彼と一緒に入ると非常に狭く感じる。一対の向かい合った簡素なソファは、普段ここで座るものよりも格段に硬い。他に調度品もほとんどなく、ただただ向かい合って会話をするためだけの部屋。例えるなら、取調室みたいな雰囲気を持っている。
「さてと、少しお説教をさせてもらう。察しはついていただろう?」
彼の、クセのある短い金髪は短髪のライオンのようで、時折金色に見える瞳は、綺麗を通り越して今は威圧感しかない。精悍な顔つきは、かっこいいというよりは険しくて怖く見える。
狭い部屋で向かい合って座ると、そんな彼の圧はすさまじいの一言に尽きる。もう、言われた事には全て頷いて、なるべく早く許して貰いたい。すでにそんな気持ちだ。
「そうだな……エラ、お前は無意識に持っている自己犠牲の精神を無くす所からだな」
手始めの言葉は、少し理解し難い内容だった。
「あれ……そういえばガラディオ、私の事、名前で……?」
今思えば、戦闘の時も名前で呼ばれていたような気がした。
「ああ。なんとなくだが、まぁ。成人した子を嬢ちゃんと呼ぶのもな」
「フフッ。そういう所には気が回るんですね」
わりとぶっきらぼうな言い方をする人なのに、なんだか少し可笑しかった。
「そんな事より! 聞いていたか? 自己犠牲をやめるんだ。いずれ指揮を執るべきお前がそんな事じゃ、お前の部隊は死人ばかりになるぞ」
「う……。でも、自分では自己犠牲なんて思ってませんよ?」
「それがいけないんだ。ではなぜ、あの時クマに突っ込んだ?」
「それは……馬車の人が生きているなら、早く助けてあげないと、と思って」
座っても大きな彼を見上げて話すから、余計に責められているように感じる。
「お前に勝機はあったのか?」
「行けるかな……って、なんとなく」
「獣と戦った事は?」
「……ありません」
「では、なぜ勝てると思った。お前の光線が効かなかった巨大な獣だぞ」
「剣でなら、斬れるかと思って……」
「生きた獣を斬った事も無いのにか」
「……なんだか、ガラディオって理詰めで追い込むのね」
一方的に責められて、一言でも言い返したくなってしまった。でも、ここからさらに、延々とガラディオは私を責めた。
「感覚だけで指揮をしては、部下を死なせる事になるからな」
「……ごめんなさい」
「で。一度目で斬れなかったが、二度目も斬ろうとしたのはなぜだ」
「あれは……斬れなかったのが悔しくて、次こそは。って」
「失敗は考えなかったのか?」
「そういえば……なぜか考えていませんでした」
「普通は、自分の命を惜しむものだ。一度目で全く通じなかったなら、尚更だ。だがお前は、そんな事など頭に無かったのだろう?」
「……今でも、なぜかは分かりません」
苦しい。息が、しているはずなのに、苦しい。
「それは、お前の自尊心が低く、自分の命を大切だと思えていないからだ。抑圧された幼少期を送った者に多い。そういうやつらは、『とりあえず』で他者を優先したり、悔しいからと無謀になる」
「ガラディオの方が、私の事に詳しいのですね」
決めつけないでと、言おうと思ったけれどやめた。なんだかいつもよりも、さらに面倒臭そうに、そしてきつい言い方をされて気が滅入ってきたから。
「お前ではなく、お前のようなやつら、だ。その中で、今でも生きている者は……」
「……者は?」
「――居ない」
「誰も?」
「ああ。誰も、だ。皆、先に死んで行った。……当然だろう。俺が踏み込んではいけないと見切っているラインを、無策で突っ込んでいくんだ。一対一であれ、多数対多数であれ、間合いはある。その間合いを無視しては、死ぬしかないからな」
「あの……」
「なんだ?」
「あの、大切な事を教えてくれているのは分かるんですけど、めんどくさそうに、しかもきつく言われると、ちょっと傷付きます」
「……普段は、こんな事は言わないんだ。以前は言っていたが、そういう相手に限って聞かないからな。それから言うのをやめた。今回は将軍からの指令だったからな。だが、あの人の娘だろうと、戦場で勝手をするやつは許せない」
「……そんなに、怒らないでよ。次は……気を付けるから。あなたの指示に従う」
「俺は、死にたい奴は部隊を分けている。次に同じ事をしたら、お前もその部隊に入れてやるからな。怒るなとかぬるい事を言うんじゃない。いいか? 俺の大切な部下を巻き込むな。絶対にだ」
「……っ」
ほんとに、こんなにきつく当たらなくても……そう思ってしまった。
(返す言葉も無いけれど、だからって……。やっぱり、苦手だ)
別に正式に入隊していたわけでもないし、あの時は襲われていた馬車を、早くなんとかしてあげなきゃって思っただけなのに。
「反抗的な目だ」
「そ……そんな事は……」
「俺はな、本気で怒っているんだ。勝手な事をするやつのせいで、部隊そのものが死地に追い込まれる事もある。特にお前は将軍の娘だ。お前が危険な目に遭えば、誰もがお前のために、犠牲になってでも救おうとする。それで誰かが死んだ時に、お前はそいつに何をしてやれるんだ?」
「それ、は……」
「俺はクマにも勝てるだけの力がある。だから無謀な突進をしたお前を助けに行った。だが、連れ立った五騎はかなり後から来たのを覚えているか? あいつらでは危険だから、俺が処理した後で来いと命令していたんだ。それが指揮だ。お前は単独で、場を振り回した挙句に死にかけた。迷惑で邪魔なだけだったんだ。馬車の窮地に間に合うかどうかは二の次だ。それが分からないお前だから、怒っているんだ」
「馬車が……二の次?」
「俺達は、まず自分達の命を優先する。それが国民を護るための鉄則だ。無謀に散って、数を減らせば減らしただけ、国民が危険になるからな。俺達よりも優先すべきは国王か、今であればリリアナお嬢様だ。その次に将軍。同列でお前だ、エラ。だがお前のようなやつは、その位置に居てもらっては困るんだ。俺が居なければ、あの時あの五騎は死んでいただろう。無謀なお前のせいでな」
とりあえず全てを言い終えたのか、彼はそのまま黙った。
そしてようやく、ガラディオの言っている事が、わたしにも理解出来てきたような気がする。
「あの……やっと少し、分かったように思います。……すみませんでした」
彼の冷たく見下す目が、胸に突き刺さる。
さっきまでは、「そこまで言わなくても」と、正直にいうと腹を立てていた。
だけど。
だけど、今は違う。わたしのせいで、色々な人を危険に晒して……その先まで考えるなら、もっと多くの人の不利益になっていた。それを、わたしの立場ならば理解していて然るべきで、素人みたいな事を言っていてはいけなかったのだ。
「すぐに分かるとは、思っちゃいない。だが、今俺が言った事は、忘れるな」
「……はい。ほんとうに、ごめんなさい」
つらい。でも、わたしが悪かったのは、本当に分かった。
部隊で動く以上は、もっと多くの事に意識を向けなくてはいけないんだと。それが出来ないなら、誰かに従う方がいい。きっと、基本中の基本なんだ。二年の間で戦い方を少し学んだだけで、何一つ大事な事が分かっていなかった。それが悔しいし、情けない。
「――少しは、理解できたかしら」
突然、どこからともなくリリアナに声を掛けられた。
「こっちよ。ここに扉があるの。目立たないけどね」
壁だと思っていた所が開いて、そこから――隣の部屋から、リリアナとシロエが出てきた。
「反省したかしら?」
「あ……は、はい。……私。本当に、分かっていないのに、飛び出しただけだったんですね」
シロエは、リリアナの後ろで心配そうにこちらを見ている。
「はあ。お嬢様、俺だけ嫌われ役ってのはきついですよ」
「あら、本気で怒っていたじゃない。言える立場の時に言っておけて良かったじゃないの」
「そりゃあ……そうですけど」
バツの悪そうな顔のガラディオは、こちらをちらりと見た。
「すまなかったな、嬢ちゃん。いや、エラ。本気で叱ってくれという、将軍とリリアナお嬢様の指示だったんだ。ほんとなら、ここまできつい言い方はしないつもりだった。けど……結果的にはこれで良かったとは思った。お前は本当に危険だ。エラ」
「え? ……えっ?」
状況がうまく掴めない。つまり、怒るつもりだった人が沢山居て、ガラディオに任せてきつく言われて、でも、それで良かった?
(……泣きたくない。わたしが悪かった事で、泣くなんてかっこ悪い)
「わ、わたしはつまり、皆からすごく怒られる事をしたのよね? それならそうと……」
酷く惨めな気持ちになって、みっともなくも、結局すぐに泣き出してしまった。
「そりゃあ、そうなるよな……」
ガラディオは居づらそうにしつつも、責任を感じているのか、立ち去らずに留まっている。
「慰める人間も必要でしょう? でも、今回は私も怒っているんだもの。聞かない子にね。だから、どうすれば本気で聞き入れてもらえるかを考えた結果なの。一番酷いやり方だとは思うけど、あなたに嫌われてでも、本当に理解してもらいたかったの」
「きら……嫌われたわけですよね。私が、馬鹿だから……」
(おとう様も、リリアナも、ガラディオも、わたしを嫌いになったんだ)
「はぁ。おバカさんだとは思っているけど、嫌ってしまったなら、こんなに酷い方法であなたを傷付けてでも分かってもらいたいだなんて、皆、思う訳ないでしょう?」
「じゃあ、どうして……」
「あなたの事が、皆大好きだからに決まってるでしょ。言ったわよね? あなたに嫌われてでも、分かって欲しかったって。嫌うのは私達が、じゃなくて。あなたが私達を嫌うのよ。それは辛いけれど、エラには無事で居てほしいんだもの」
「わたし……皆さんの事を嫌いになったりしません。ガラディオは……苦手ですけど。でも、嫌いとかじゃないんです。嫉妬してしまうというか。羨ましくて」
何を言っているのか分からないくらいには、混乱してしまっている。
(だって、心配と迷惑を掛けたのは、わたしなのに。わたしが嫌われたんだと、思ったのに)
「嬢ちゃんは……エラは災難だな。この人たちは、俺なんかよりもだいぶと面倒な性質だからな。一生付きまとってくれるだろうよ」
そう言うとガラディオは、お義父様に少し似た笑い方をした。
「エラ様。お可哀想なエラ様。私は反対したんですよ。こんなやり方。でも、お嬢様が絶対に譲らないって言って……悪いのは、全部お嬢様ですからね。これを機に、私の方をもっと好きになってくださいね」
シロエは相変わらずと言うか、抱き付くだけに留まっていてスキンシップは少し控えめになっている。けれど、言っている事はいつものだった。
「その……エラよ。悪く思わんでくれ。このままお前のような力の使い方をしていれば、いずれ真っ先にお前は死んでしまうだろう。それだけは……どうにかして欲しいと悩んだ結果なのだ」
「おとう様」
お義父様も、大きな体を小さくしながら、隠し扉のような所から顔を出していた。
「分かったでしょう? 皆、あなたの事が好きでたまらないの。傷つけてでも大事にしたいっていうのは、もしかしたらおかしいのかもしれないけど。でもね、エラ。今回の事は本当に、あなたの命に係わる事だったの」
「……はい。すみません、わたしが、何も分かっていなかったんですよね。……でも、やっぱりちょっと、傷付きました。嫌われたってしょうがない事をしてしまったけど、ほんとに怖かったです」
ああ……。やっぱり、甘やかされている。いつものように。
本当に、これでいいのだろうか。ガラディオの言った通り、わたしは部隊の皆さんを危険に晒してしまったのに。
たまたま、オオカミは倒せたというだけで。もしもそれさえ倒せずに、わたしが囲まれて窮地に陥ったら……そう、怒られた事は間違っていない。倒せるという確証も無しに、群れに攻撃するなんて。巨大熊に突撃するなんて。
「おバカな子にも、ちゃんと伝わったかしら。もう、甘やかしてもいい?」
そう言ってリリアナは、シロエと一緒に抱き付いて、頬を合わせてきた。
……リリアナも、シロエと同じだ。こんなに優しくしなくても、いいはずなのに。
「ダメ……です。ガラディオみたいに、きちんと叱ってください」
――甘やかされる事に、溺れてしまっては……だめだ。
お読み頂きありがとうございます。




