第三章 二、不穏な状況(一)
「獣化人じゃないか! 感染したまま放置したな? これをどうする気だ!」
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「ど、どうもしません! こいつは……こいつは弟なんだ! だから、森で一緒に暮らそうと」
敵意は無さそうな男だが、何かを隠そうとしている。そんな疑いを持ってしまう何かがあると感じる。
「っざけるな! こいつ一つで、町が滅びるほどの代物だ! ガキでも知っている事だろうが!」
ガラディオの怒りは相当なもので、今にも彼らを斬り伏せるのではという殺気を放っている。さっきのクマの殺気なんて、子猫がシャーと怒っている程度に思えるほどの。
「ひっ。し、しってます。しってるけど、見逃してくれ! こいつとはずっと二人で支え合ってきたんだ。殺さないでくれ。おれが、おれが面倒を看るから」
……言っている事は本当のようだ。でも、まだ何か隠している。
(何だろう……? 命乞いの内容は嘘には聞こえないのに)
「こいつを取り押さえろ」
ガラディオは冷淡な声で、一緒に先駆けてきた重騎士達に命令した。そのうちの二人が慣れた手つきで、命乞いを続ける男をぺたりと地面に押さえつけた。倒した巨大なオオカミが、その傍で絶命している。優に二メートル以上はありそうだ。
「傷を探せ。……あるはずだ」
怒っている。静かに。ガラディオは怒りを抑えて、淡々と命令している。今から辛い事をするのだと、彼の片腕に抱かれているからか、それが伝わった。彼の目の光も、怒りより悲しみの方が強い。
「ありました! 末期傷です!」
「うっ……」
部下たちが服を剥いだ男の背中は、一面どす黒い色に腐っていた。腐敗臭を甘くしたような臭いは、この男の体から出ていたのだ。生きたまま血が腐ったのか、とても気持ちの悪い、どろりと腐敗した甘くさい臭い。一度嗅げば、二度と忘れる事はないだろう。
「やはりな」
ガラディオは小さく呟くと、一度だけため息をついた。
「おい! 最後に祈らせてやる。目を閉じて祈れ」
男に向かって、ガラディオは冷淡に告げた。感情はどこかに隠してしまった。そのような顔つきになっている。
「い、いやだ! 死にたくない! ちょっと風呂が嫌いなだけの、やさしい弟だったんだ! 見逃してやってくれ! 見逃してくれ! 森でひっそりといきていくから!」
かすり傷でも注意しなさい。清潔にしなさい。これは、この星の人なら誰でも知っている絶対の掟だ。
「そんな事、不可能に決まってるだろうが。人を襲う、ただのけだものになる。お前も襲われてそのざまだろう」
「ほうっといてくれ! 殺さないでくれ! 人殺し! この人殺しがあああ!」
その言葉を聞いて、わたしはカっと頭に血が上った。どんな理由があっても、この人は、こいつが言うような人殺しなんかじゃない。こんなに苦しみながら役目を果たしているだけなのに。
「ガラディオは悪くなんかない! お前の落ち度を人のせいにするな! お前に何が分かる!」
恥も外聞もなく、わたしは取り押さえられたままの男に、口汚く罵った。
「いいんだ、嬢ちゃん。落ち着け。……祈りの時間は終わりだ」
さらば――。と、ガラディオは言った。その言葉には、彼の祈りが込められていた。
(前に、お義父様がアメリアを斬ろうとした時と同じだ……)
――一突き。ハルバードという長物を馬上からだというのに、ガラディオは音も無いような、あまりに自然な動きで喚き散らす男を刺した。なるべく血が吹き出ない頸椎を、そっと小さく切断した。猫が獲物の首をひと噛みするように。
「次はこいつだ。全員離れろ。血肉に触れるなよ?」
唸り声は出さなくなったが、檻から手を出して伸ばしている。めくれた袖から見えた腕は、黄色を黒くしたような……とにかく何かに汚染された色をしていた。顔は、興奮した人間のような赤黒い色だから、その気味悪さはそれを見るまで分からなかった。
「さて……どうするか」
ガラディオは、この獣化人を斬る事を躊躇っている。
「……何か、危険なのですか?」
「そうだ。こいつは急所を刺してもすぐに絶命しない。血をまき散らしながら暴れ狂う。分かるだろう? こいつの血は、とてつもなく危険なんだ」
「神経を切断しても?」
「どういうわけか、獣化したやつは体だけでも一分以上暴れ続ける」
「心臓も?」
「血を噴出させながら迫ってくるぞ」
(きもちわるい……)
もはや、本当に人ではなくなるらしい。
「あ、燃やすのはどうですか?」
「こいつら、人の声で断末魔を上げ続けるんだ。殺してからでないと、しばらく夢に出るぞ? それに、ここは森だ」
万事休す……だ。
がちゃん、ガチャンと、檻から出ようとしている音が響く。
「……そうだ。ガラディオ」
この剣、この翼の光線なら、貫いても焼けて血が出ないのではないだろうか。
それを伝え、試す事を許してもらった。
「まずは脇腹を狙え。そこなら振り回したり出来ないから、もし出血させてもマシだ」
確かに、腹部の外側には大血管が無いから、出血しても少なくて済む。逆に真ん中は大動脈が通っているから、まき散らされる事になるかもしれない。
(理にかなってる)
「では、やってみます」
剣を抜き、切っ先で獣化人の脇腹を狙う。きっと、わたしの意思通りに剣それ自体も狙ってくれているだろう。
(――撃て)
一閃した光は、その脇腹に見事な焼き穴を作った。
「ヴあああああああああああああああああああ!」
獣化人になっても痛いようで、うずくまって叫び続けている。暴れなくて、良かった。
「血は、出ていませんね」
「よし。いいぞ、終わらせてやろう。頭を狙ってやれ」
はい。と短く答え、すぐさま次を撃った。細い光線だと生きているかもしれないから、太くなるといいなと思っているとそのようになっていた。頭にぽっかりと空洞を作り、叫び声が止まってその体もだらんと力が抜けた。
二回ほどびくんと痙攣してわたしは驚いたけれど、ガラディオも重騎士達も驚かなかった。
「おわ……り?」
「ああ。終わりだ。エラ、よくやったな」
彼の大きな手が、わたしの頭を優しく撫でた。そう、彼もお義父様も、みんな優しい。こんなに、優しい人達なんだ。
「……疲れちゃった。だけどこれ……どうしたらいいんでしょう」
本来なら、火葬する。だけどここでは燃やせないから、彼らを移動させなくてはならない。
「ああ、そういうのは慣れてるさ。こいつの馬車を使って開けた所まで運ぶ。……それよりもエラ。もうひと踏ん張りしないとだぜ」
うん? と、首を傾げた所だった。倒したはずのオオカミが、一匹動いたような気がした。
(こいつらも、獣化人みたいになるの?)
「気を引き締めろ! さっきよりも多い上に囲まれているぞ!」
ガラディオは、一瞬で場を戦場に引き戻した。五人の重騎兵達はすぐさま馬に乗り、各々の武器を構える。
「そんな……後ろの五十騎は? おとう様は?」
森林街道の遠くを見ると、何かバタバタと動いている。
「あっちも襲撃されている。こんな統制の取れた動き……人を食ったリーダーが居るな。エラ、落ちるなよ?」
そう言うと、抱えてくれていた腕が外された。咄嗟にしがみつこうとするけれど、彼の大きな体と鎧は、掴める所が見当たらない。
「小さくなってタテガミを掴んでいろ! てめぇら! 将軍に向かって縦列突進! 囲いを突破する!」
辺り一面に響き渡る号令と共に、一気に加速して馬車の方へと駆け出した。
お読みいただき、ありがとうございます。
戦闘シーンは書くのが楽しいです。他のも楽しいですが、書きやすい気がします。
分かりにくい表現などが無いように、気を付けたいところです。




