第三章 一、恋愛事情(二)
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その朝の食事では、シロエは給仕をしていた。
「今日は一緒に食べないんですか?」
素朴な疑問を何も考えずに口にすると、シロエはばつが悪そうな顔をした。
「エラに悪い事をしたお仕置きを受けている所よ。今日は特別待遇はナシ。一日ずっと、他の侍女達と同じ仕事をしてもらうの」
(あぁ、そう言う事か)
確かにあれは、やり過ぎだったと思う。まだ少しだけ怒っていたけれど、きちんと反省しているようだしこれで許してあげよう。
「ところで、リリアナにきちんと紹介していませんよね。私の専属になったアメリアなんですけど……」
アメリアを探しながら話していると、ちょうど焼き立てのパンを持って来てくれた。
「アメリア、少しだけいい?」
呼び止めて、リリアナにアメリアを紹介した。リリアナよりも明るい色の金髪で、蒼い瞳の少女。子猫のようで可愛くて仕方がないのだと話していると、リリアナは「本当にお気に入りなのね」と、笑っていた。
昨夜入れ替わる時に、二人は簡単に挨拶をしたようだけど、改めて自己紹介をさせた。アメリアの作法もしっかりとしてきたし、仕事もほとんど覚えたように見える。本人も、次に何をすればいいのか理解しているので動きに無駄がない。
「皆で大事に育てているのね。とても聡明そうだし、良い働きをしてくれそうね」
アメリアは仕事に戻っていったけれど、彼女を褒められると嬉しくなってしまった。年が近い事や、年下なのにきっとわたしよりしっかりしている事などを、その後も話した。
この日は、リリアナと積もる話をして、午後からはフィナとアメリアも交えてゆったりと過ごした。シロエが居ないのは彼女の自業自得だったけど、少し可哀そうに思えた。
そういえば、フィナが「今日から大変な事になる」と言っていたけども、特に何も無かった。正直な所、少しゆっくりしたいと思っていたから良かったけれど。一体何の事を言っていたのだろうかと、本人に聞いてみた。
「ああ、それはもう、大変な事になっていますよ。すでに公爵様は大忙しです。エラ様は明日からご対応をお願いしますね」
隠した言い方に対して、教えてくれれば良いのにと思っていると、リリアナが「せっかく一日何もしなくて良いのだから、今日は忘れておきなさい。これは貴族令嬢の誰もが通る道だけど、エラはひと際大変だと思うわね」と笑った。
「もう。結局はぐらかすんじゃないですか。教えてください」
「どうせ明日になれば分かるのだから、今から悩む必要は無いわよ」
そう言われると、余計に気になるのに。
それでも結局は教えてくれなかった。でもたぶん、交際の申し込みだとか、そういう事だろう。お義父様からは『適当にあしらっておけ』と言われたし、わたしがそんなに悩む事はなさそうなのに。お義父様が、お相手を誰にしようか悩むのなら分かるけれど。
それに、そんなに忙しく、大変な事になるようなものだろうか。でも、お茶会の誘いは増えるかもしれないなと思った。それなら、忙しくなるのもうなずける。
そのうちに、だんだんどうでもよくなって、他愛のない会話を楽しんで一日が終わった。
――こんな日が毎日続けば、少し退屈かもしれないけれど、とても幸せだなと思う。
時々、ミリア達とお茶会をして、少しの刺激を楽しんで、また日常に戻る。わたしは、そういう普通の生活を送りたい。リリアナに恩を返せる日が来て、いつかわたしが自由に暮らしても良い日が来るならば……それが、一番の願いなのだろうなと感じた。
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その翌日。
今日は早くに起こされ、朝食もいつもより大分と早い。まだ起きていない体は、少しの水とスープ以外を、あまり受け付けてくれない。
こんなに早いというのに、お義父様とリリアナ、フィナとシロエ、アメリアもきちんと揃っていて、今朝は皆で食卓を囲んでいる。アメリアも一緒に食事出来るのが、とても嬉しい。作法も上手だ。二年前のわたしと比べるなら、アメリアの方が断然綺麗に出来ている。
でも、ふと急に、地球での事を思い出した。幼少の頃から、度々食事を抜かれて、いびられていた事を。それを想うと、こんなに美味しくて、料理人達の愛情と技術の詰まったお料理が食べられるなんて、とても贅沢な暮らしをさせてもらっている。誰にも怒鳴られずに、落ち着いて食事が出来る事も、わたしには特別な事だったのだから。
(残すなんて、勿体ない。ゆっくりでもいいから、盛られたものは全部頂きたい……)
相変わらず、胃は大きくならない。食べられる限界の量が本当に決まっているので、わたしの分はわたし仕様で、量もかなり控えてくれている。
そこまでもの心遣いを、してもらっている事が当たり前になってはいけない。
色んな感情が混じり合って、涙がこぼれそうになった。今こうして、愛情で満たされた日々を送れている事が、本当に嬉しくて。そして、なぜわたしは、地球ではあれ程家族に忌み嫌われていたのだろうかと。
(こんなに苦しい記憶なんて、忘れてしまいたいな……。今が当たり前にならないように、覚えてはいたいけど……)
憂いた瞳が、涙をたたえた。その様を見て、お義父様が心配そうに声をかけてくれた。
「朝が早過ぎて受け付けぬか? 無理に食さんでも良い。腹が減った時にまた作らせよう」
そんな気遣いを、毎日してもらえているのだ。愛情以外の何物でもない。父の……親の愛とは、こんなにも温かいものなのだ。それが傷んだ心に染みて、なおさら涙が溢れてしまった。もう、止める事が出来ない。
皆も心配して、食事を止めてわたしを見守ってくれている。
「ど、どうした。腹が傷むのか? どこか辛いなら教えてくれ」
(違うんです。そうではないんです)
声が詰まって言葉にならず、お義父様の言葉にただ首を振る。それが余計に心配させると分かっていても、胸にあふれるものが大き過ぎて、喉が締まって声にならないのだ。
「うぅ。うううぅ」
うめき声しか出ないなんて、この星に飛ばされた直後の時のようだ。
でも、今は状況が全く違う。
嬉しくて、感涙のせいで声が出ない。
「おとぅ、さま……」
居ても立っても居られなくなって、わたしは席を立った。お義父様の元へ行き、だっこをせびる子供のように手を広げた。何かを察したお義父様は、ただ黙って、わたしを抱き上げた。
「何も心配せずとも良い。時にはそういう気分の時もあろう」
何が伝わったのだろう。
なぜ分かるのだろう。
もしかすると、正確には伝わっていないのかもしれない。
けれど、漠然と抱いたわたしの感情を、それを優しく受け止めてくれている。それが全てだ。
それが、本当に嬉しくてうれしくて。それを与えてくれるお義父様がただただ、愛おしくて。
涙が止まらなかった。
「おぅおう。よし、よし。いくつになっても、大きな子供のままだ。あれほどの立ち振る舞いをした者と同一人物だろうかな。ハッハッハ!」
やっぱり、何かは伝わっているのだと、その言葉で確信した。
「おと……さま」
お義父様の胸にうずめた顔は、もはや涙でぐしょぐしょだ。いや、濡れたのはお義父様の服の方か。そう思うと、ほんの少しおかしくなった。
ぐすぐすと泣いていながら、ふふふと笑いが込み上げる。
「おいおい。今度は何がおかしい。疲れで壊れてしまったのではなかろうな」
心配そうに覗き込むお義父様の気配につられて、壊れたわけではないと顔を上げた。
「気は確かなようだな」
口角を片側だけ上げて、お義父様はニッと笑んだ。眉は、困ったなとへの字になってはいるけれど。
「そっ……それが。涙でお顔が濡れてしまうと、そう思ったのに……ふふっ。濡れたのは、おとう様のシャツなんです。フフフッ。それが、なんだか急におかしくて」
涙でいっぱいの瞳で、優しく微笑むお義父様を見つめた。
「そ、そうか。何でもおかしく思う年頃ではあろうが、あまり心配させてくれるなよ?」
急に泣き、笑う娘はさすがに少し怖いだろうなと、我ながら思った。
「おとう様……私、おとう様のお側を離れたくありません」
急に何を言い出すのかと、面食らったお義父様はさすがに目を丸くしていた。
「エラ……今から言おうとしていた事が、言い出しにくくなったではないか」
別にわたしは、今思った事、感じた事を言葉にしただけなのに、何を告げられるというのだろうか。
ここに来て、邪魔だったなどと言われるのだろうか。それだけは、そんな言葉だけは聞きたくない。お義父様の口からは、たとえどんな理由があろうとも。
「や、やめてください。怖い事は、聞きたくありません」
地球での事が思い出された今、どんな言葉も恐ろしく聞こえてしまう。離さないで欲しい。この手を、体を、いつまでも側で抱きしめて、包んでいて欲しいのに。
「べ、べつに恐ろしい事などではないが……」
口ごもるお義父様なんて、今まで見た事が無い。
(――お願いだから、今さら捨てるだなんて、絶対に言わないで……)
そんな言葉を聞いたら、もう生きていける自信がない。
気が遠くなるような感覚の中、次の言葉を聞きたくなくて、わたしは耳を塞いだ。
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