第二章 六、成人の儀(六)
わたしとミリアは、別室に通された。
お料理もいくつか、給仕をしていた従者にお勧めを分けて運んでもらった。
「ふ~……。こんな事になるなんて……。とにかくおなかが減りました。お食事をいただきましょう」
左腕に絡みついて離れてくれないミリアをそのままに、目に止まったお洒落な肉団子をお皿に取り分け、フォークでさらに小さくしてミリアの口に宛てがった。
ようやく涙の止まった彼女は、口を塞がれてむぅむう、と非難らしき声を出した割には大人しく食べている。
「美味しい? わたしも頂きますね」
別に、毒見をさせたわけではなく。ミリアも混乱しているだろうから、脳への養分を入れてあげたのだ。
「あら美味しい。お勧めされただけありますね。こっちはどうかしら。ミリアにも食べさせてあげましょう」
目に止まるもの全てが美味しそうで、取り分けし易そうなものからお皿に入れた。
小さく切って、ミリアの口に宛てがう。
「ミリア、後はご自分で食べてくださいね。本当にもう、おなかペコペコで……」
見ると彼女は、少し拗ねたような、もしくは心配そうな表情でじっとわたしを見ていた。
「な、なぜそんな目で見るんですか」
「エラ様、掴まれていた左手、見せてください」
そう言うなり、ミリアは絡めていたわたしの左腕から離れたと思うと、黒レースの長手袋を外し始めた。
上腕まであるそれは、着脱が本当に面倒なのに。
「力を抜いていてくださいね」
彼女はどうやったのか、言われた通りにだらんとした瞬間に、スルリと長手袋を脱がしてしまった。
「え~っ! すごい。ミリアは脱がせる天才ですね」
そんな言葉を無視して、ミリアは私の左腕を優しく手に取り、じっと見たかと思うとまた涙を零した。
「ほら……やっぱり、こんなにアザになって……」
ぽろぽろと大粒の涙を、惜しげもなく零している。
あの男の手の形に、くっきりと紫に変色した腕はグロテスクだった。それをミリアは、柔らかな濡れた頬にそっと当てた。
「や……、おやめください。ミリアの可愛いお顔に、そんなものを当てないでください」
混乱していたのはわたしの方だったのか、そうされると途端に、腕がズキズキと疼く様に痛み出した。
「痛むでしょう? エラ様は、お怪我なさっているんです。他に痛むところはありませんか」
淡々と、だけど慈しむ様な声で問う彼女に、少し間を置いてから答えた。
「……たぶん、そこだけです。……あ、でもほら、あいつの腕にはきつい峰打ちでお返ししてやりましたから。首にも数ミリ、切っ先を差し込んでやりましたしね」
負傷箇所の数も、骨にヒビくらいは入ったであろう傷の深さも、このアザとは比べるべくもない。
申し分なくわたしが勝っている。状況も収めたのだし、勝者はわたしなのだ。
「エラ様がお強いのは、分かりました。でも、あの男や周りに何を言われようと、衛兵も公爵様のお力も、何でもお使いになってください。あのように鍛え上げた男と、私達では全く別物なのですから」
少し、怒っているようだった。心を砕く様な気持ちで心配してくれているのが、その手の震えから伝わる。
「ごめんなさい……。ありがとう、ミリア」
それ以上は何も言えなかった。
暗殺騒動で、あのおぞましい二人に勝てないと思った時に、強さに縋るのはやめようと思ったのに。
腕を吊り上げられた時の悔しさで、頭に血が昇ったのだろう。
自力で何とかしてやろうと、思い込んでしまったのだ。
「はぁ。エラ様が、こんなにおてんばなご令嬢だとは思いませんでした。医者を呼びますから、お食事をしながら待っていてください」
そっと手を離した彼女は、優しく微笑んでそう言った。
そして、赤いドレスが翻ったかと思うと、扉を開いて行ってしまった。
その後、金髪美人のお医者様に治療してもらっている間、ずっとミリアのお小言が続いた。
(あれで許してくれたわけじゃ、なかったんだ……)
「ええと、治療は終わりました。数日の間は、この軟膏を塗って、夜には洗い落としてくださいませ。翌日の朝からまたお塗り頂いて、夜には落とす。というようにご使用ください。……それでは、お大事になさってくださいませ。失礼いたします」
包帯の巻かれた腕を見て、何だか大げさになったなと思った。
アザくらいなら、放っておいても治りそうなものなのに。
でも、お医者様が去った後は、ミリアが先生かのように、怪我の予後は本当に大事なのだと叱られた。
「わか、わかりましたから、もう許してください。反省もしていますから……」
傷を放置していて、万が一悪い菌が入り込むと、人を襲う気狂いになる。
そう言われて、あの黒い装丁の本の事を思い出した。
(地球とは違うんだ……かすり傷でも、油断しないようにしよう)
そんなやり取りをしていると、ノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と答えると、同じ新成人の八人が挨拶をしたいという事だった。
そういえば、今日はこうした人脈作りも欠かせない事だったのに、すっかり忘れていた。
気の合うミリアと居ると、すでにそれを終えた後のような気持になっていたのだ。
女子はわたしとミリアだけで、八人とも男子だった。
入場で近くに来た時は、いけ好かなそうな人も居るなと思っていたけれど。
どうやら大捕り物は、彼らを素直にさせたらしい。
皆、とても良い印象だったし、貴族派の家も半数居たのに、全員が「これから仲良くしてほしい」と言って帰っていった。
包帯に巻かれた腕を見て、本当に挨拶だけで済ませるように気を遣ってくれたのだった。
同い年の男の子と話すのは新鮮で、ミリアは「エラ様をずっと見ている人が居ましたよ」などと、先程までとは一転して、女子トークに花を咲かせていた。
そろそろ退城の時間だと告げられ、色々あった成人の儀が終わった。
途中からはただの雑談会だったけれども、楽しく締めくくれて幸せな気持ちで部屋を出た。
外ではミリアの従者が待っていて、その場でお別れした。
わたしはというと、衛兵に案内され、会場に居るお義父様の所まで連れられた。
ちょうど、テザミンの下辺りで難しい顔をして立っていた。
「おとう様!」
衛兵にお礼を告げて、お義父様の側に歩み寄った。
危うく駆け出す所だったのを、未だ会場に留まっている貴族達の視線に気づいたのだ。
「おお、エラ。そろそろ帰ろうか。楽しめたようだな」
「ええ。お友達も増えました」
少し気取ったつもりで短く答え、側に居たフィナには微笑んだ。
「エラ様、お怪我は痛みますか?」
「ありがとう。大丈夫よ」
フィナの心配にも短く答えた。どうにも緊張が切れてしまって、気取ろうとしてもぎこちなくなってしまう。
「あの、おとう様。早く帰りましょう。人目が気になります」
小声で伝えると、お義父様は左腕を出してくれた。
来た時と同じように、右腕を絡めてエスコートしてもらう。
今度は後ろにフィナも付くので、本当に貴族ご一行のようだ。
いや、その通りなのだけど。
入口に向かって、まだ百人以上は居るだろう会場の中。
レッドカーペットをエスコートされて歩いて行くと、またもや拍手で見送られた。
入場も退場も、予想とは真逆の、成人の儀だった。
皆、いがみ合わずに暮らせればいいのに。
そう思わずにはいられなかった。
利権が絡むせいか人の競争心は、嫉妬や逆恨みを生み出してしまう。
けれど、お互いに認め合う事が出来るなら、切磋琢磨すればいいじゃないかと思う。
そんな綺麗ごとが通るなら、どんなに良いだろうか。
お義父様は、そんな事をこれまで何百回も思って来たのだろうか。
今はいつもよりご機嫌そうに、時折こちらを見ては頷いて、わたしの一歩前を進む。
「おとう様」
「うん?」
「……おとう様は、いつも素敵ですね」
「ハッハッハ。そうだろう。ワシはこれでもモテるんだ。エラもそう思うだろう?」
「ッフフ。そう……かもしれませんね」
後ろに続くフィナは、口元に手を当てて、クスクスと小さく笑っている。
壮大で、繊細で豪華な王宮を眺めながら、これで自他共に、アドレー家の娘になったのだなと感慨にふけった。
リリアナに拾われて、それに報いようとして二年。
その努力が、結実した証の日――。




