第二章 六、成人の儀(一)
あれから、事件も暗殺も無く平穏無事に過ごしていた。
さすがにあの規模のアドレー家襲撃事件は噂が広がったようで、事件の翌日にはお茶会の三人からお見舞いの花束と、手紙が送られてきた。本当ならこちらも同じタイミングで出しておくべきだったのに、滅入ってしまって、彼女達に貰ってからの手紙になってしまった。無事である事とお礼を伝える内容に、懲りずにまた会いたいと最後に綴った。わたしが元気な事は、それで伝わっただろう。
そういえばと思い立って、襲撃の事を伏せてリリアナとシロエにも手紙を書いた。驚くほど速い返信が来て、なぜ事件の事を隠すのか、次に会った時には覚悟なさい。と怒っていた。それと、『無事で良かった』と、少し震えた文字で書かれていた。シロエも似たような内容だったが、『お詫びとして一緒にお風呂に入って頂きますね』と、変わらない様子なのが懐かしくて、嬉しかった。
それらの手紙を何度読み返しただろう。読むと満たされるようで、それでいて物寂しい。明日には成人の儀だというのに、事件以来少し陰鬱になっているのかもしれない。胸の奥が、何だかぽっかりと寒々しいのだ。
「エラ様、また窓をご覧になって。あと、アメリア。あなたはペットじゃないのですから、エラ様をあまり甘やかさないで」
フィナの口調は、半分諦めている。けれども、言うべきことは言っておこう、という疲れた様子だ。
改修された自室のソファで、わたしはアメリアを膝枕して、ふわふわの金髪を撫でている。頑強な鉄格子で補強された、開かない窓を見ながら。絨毯も調度品も、全て新調された。天蓋のベッドにも敵の血が飛んでいたので、寝室にあったものも全て。お陰で、あまり気にせず居られるのだけど、窓に重なる鉄の圧迫感にはまだ慣れない。
「アメリアは必要だと思って、私を甘やかしてくれてるのよ。それに嫌がってないもの。ね?」
何か、温かくて柔らかいものを撫でていないと、落ち着かなくなったのは何故だろう。ずっとこうでは良くない。というのは理解している。
「エラ様、それは諦めているのです。アメリアの目をご覧ください。喜んではいませんよ」
ぐっと体を丸くして覗き込むと、アメリアはふいと視線を外す。
「見せてくれないけど、きっと照れ隠しよ」
成人の儀を目前にして、実は緊張している。同い年だった辺境伯家のミリアも、きっと今頃、同じような気持ちに違いない。貴族派連中に絡まれるだろう場所に、喜んで行く王族派など居ないだろう。完全な敵というわけでもないが、同じ国王に仕えているのに、敵視するというのは一体どういう心理だろうか。
「アメリアも、嫌なら嫌とお伝えしなさい。最近のエラ様は少し変なのだから、ちゃんとご忠告するのも侍女の務めなのよ?」
アメリアに注意しつつも、わたしにもチクリと刺さるように言うのは割とダメージが来る。
明日は心理戦、舌戦に臨むのだから、模擬練習は嫌という程行った。それに疲れているのかもしれない。苦手分野というのは、練習してもなかなか自信には繋がらない。剣や拳を使った実戦ならまだしも、言葉の応酬というのは苦手だ。明日が嫌だ。憂鬱だ。けど、この日のために、二年という長い時間を心身の限界まで費やして、準備してきたのだ。逃げるわけにはいかない。
「も~。明日の事でこんなに心を痛めてるのに、フィナは冷たいな」
そういえば、わたしが落ち込んでいるのに、フィナは頭を撫でてくれない。
「フィナ。あなたも頭を撫でてよ」
「アメリアのですか?」
ありえない即答だった。
「そんなわけないじゃない。私の頭を撫でて。これは命令。命令ですからね」
こんな事を言わなくても、撫でてくれればいいのに。きっとフィナも、明日の事で緊張しているに違いない。ドレスと装飾に不備は無いか、さっきまで十回は確認していた。
「……そんな事で命令しては、公爵家の威厳が損なわれますから。外ではだめですからね?」
渋々なのか、撫でたかったのを隠すためなのか、ようやくフィナは頭を撫でてくれた。
屋敷の中も、全体がピリピリとしているのが分かる。それもあって、部屋に閉じこもっているのだ。もしもの襲撃に備えて、護衛の全体数も増えた。それに当てられて、侍女達もどこかそわそわとしている。
「成人の儀って、こんなに屋敷中を緊張させちゃうのね」
自分一人で緊張していたいのに、皆が同じかそれ以上にピリつくと、いまいち集中しきれない。
「それはそうですよ。今まで誰一人として嫡子を、跡取りを取らなかった大公爵がですよ? それも女子を迎え入れたというのは噂になっているんですから。明日の儀は、むしろエラ様のお披露目が一番の関心事なんです。大注目を受けるエラ様に、何かあってはともう、アリ一匹見逃さないくらいに皆、目が血走ってますから」
そういう事だったのか。お義父様は軽い感じだったから、緊張する方がおかしいのかと思っていた。
「そんなに噂なの?」
理由が分かると、何だか楽しみになってきた。明日は意地悪をされに行くのだと心積もりをしていたが、この可憐な容姿を披露する日だというのならば、それはとても楽しそうだ。
「噂が広まり過ぎて、普段来ない貴族達も来るそうですよ。中立派というか、貴族派にも王族派にも関わりたくないという貴族達も沢山」
人がゴシップを好きなのは、こちらでも変わらないというか。それとも、こちらこそ元祖なのだろうか。
これまで噂なんて流れていなかったのに、最近になって広まっている。なら、誰かがわざと流したのだ。
(――お義父様かもしれない)
ゴシップで人を集めて、わたしの手腕を期待しているのか、お義父様が上手く利用するつもりなのか。何も聞かされていないから、きっと裏で何か工作をして、中立派の取り込みでもするのだろう。
「そうなんだ……じゃあ、一番とびきりな笑顔を見せないとね」
「そんな事をしたら……人気爆発で求婚の嵐ですよきっと。あぁ……王子達の誰かから求められたりして……もしそうなったら、どうされますか?」
フィナもこういう話は大好物のようだ。人の頭をぞんざいに撫でながら、興奮して色々と妄想しているらしい。
「それは……おとう様にお任せするわ。男の人って、何かよく分からないし」
元男としては、どういう人が良いかなんて考えた事もなかった。お義父様が選んだ人と政略婚をするのだろうという、漠然としたイメージしか持っていない。
(気の合う人……は、友達なんだろうし)
「もったいない……エラ様なら選び放題ですよ? 婿入りしてくれる方という注文は付きますが、それでも良いという方だけでも、沢山居るに決まってますよぉ」
ついにフィナは、人の頭で「〇」を書くようになった。長い銀髪がくしゃくしゃになって、その指に巻き付いていく。
「フィナ、それはやめて。フィナってば」
やっと気が付いて、すみませんを連呼している。
「まあ、でもそういう感じなら、明日が待ち遠しいわね」
打って変わってしょんぼりとしながら、フィナは銀髪を梳いてくれている。
「アメリアは、作法はどのくらい出来るようになったの?」
そろそろ、外に出る時にもアメリアを連れて出かけたい。
「そ、その……まだ、難しくて……」
膝の上で丸くなっていたアメリアは、さらに小さくなってそう答えた。
「さては、練習をさぼっているなぁ?」
いやいやと言うかのように、手で顔を覆って首を振っている。
「アメリア、何か言い訳があるなら聞くわよ?」
膝の上から、横目でちらりとこちらを伺う様子は、いたずらをして隠れたがっている子猫のようだ。アメリアはきっと、子猫の生まれ変わりに違いない。
「……その、空き時間はエラ様が離してくれないので……」
(あっ……)
「あぁ……!」
思い返してみれば、襲撃事件の後はずっと、アメリアの仕事が落ち着いた頃に呼びつけては撫でたり、夜は抱いて一緒に寝たりしていた。
「ご、ごめんね……」
謝ったものの、一度この子の温もりを知ってしまうと、居ないと寂しいのだ。ふわふわの長い金髪、ぱっちりとした蒼い眼。ふわすべのほっぺ。顔つきもネコっぽい気がするし、とても可愛らしい。そんな子を膝の上で撫でる心地良さを知ったら……離れるのは本当に悲しい。
「ほ、ほら、アメリアがしっかりしないと、エラ様は離してくれないのよ? 言ったでしょう?」
フィナはアメリアを窘めるように言っている。けれどこれは、わたしに言っても聞かないから、しょうがなくアメリアに言ったのだ。
「うぅ……。二人とも、ごめんね……自立するように頑張るから、言ってね。困らせたいわけじゃないの。アメリアは特に、作法を覚えるまでは私に呼ばれても、自分を優先してね。怒ったりなんてしないから。ね?」
アメリアはこくりと頷いた。
「でも、撫でられるのは好きですから。たまには、またお膝元で撫でてください」
嬉しい事を言ってくれる。気遣いでも何でもいい。妹が居たら、こんなに可愛いものだろうか。
「ありがとうアメリア。早く一緒に出掛けたいと言いながら、邪魔をしていたわね。本当にごめん。それじゃあ、頑張ってきて」
彼女は「はいっ」という元気な返事をして、さっと立ち上がると綺麗な礼をした。立ち去る姿を見るのは、やはり寂しい。見送りの手を振ると、彼女はもう一度礼をして行った。
「はぁ。だめだなぁ。フィナ、もっと私の事、怒ってね。私に指摘出来るのはフィナくらいなんだから」
まさか、無意識にアメリアの邪魔をしていたとは。
「反省して頂けて良かったです。とはいえ、今回は特別に様子を見ようと、公爵様や侍女達とも相談した結果なので、あまりエラ様を責めるつもりは無かったんです」
「え? どういう事?」
フィナは出会った最初の頃のように、凛とした先生モードだった。ソファの前に回って、紫がかった青い瞳でまっすぐにこちらを見て、優しく話してくれた。
「襲撃のあった夜から、エラ様は目に見えて憔悴されていましたから。アメリアもでしたが、あの子はエラ様のお陰で回復が早かったです。いつも通りによく笑って、エラ様の心配もするようになったので安心していました。でも……エラ様はあの卑劣な敵と対峙なさって、その身と命まで、捨て去る覚悟をなさったのでしょう? 女が身を汚されるなんて、命を失うよりも耐え難い事です。それを、アメリアのために身を挺して……その精神にかかった極度の緊張状態は、未だにエラ様を蝕んでいたのです。アメリアを抱く事で少しでも気が紛れるのならと、あの子にはエラ様を最優先するように言い付けていたのです。本人もそのつもりでした」
(こんなにも、心配をかけていたんだ)
そのくらい、酷い顔をしていたという事なのだろう。鏡を見ていたはずなのに、自分では気付けなかったなんて。
「ただ……エラ様は本当にお強いのですね。少しずつ落ち着いてこられて、目に光が宿るようになりました。だから私も、ここ数日は極力普段通りに振舞っていたつもりです」
「そっか……心配かけてごめん。今は? もう自分では、大丈夫な気がするんだけど」
というよりも、あんなやつらに心まで負けていられない。そう思うと、今まで苛まされていた事が悔しい。
「ご無理はして欲しくないので何とも言えませんが、私は、以前のように戻られて来ていると、そう思います。ですが私よりも、アメリアの方が感じる子のようなので。先程あの子が意見したのを見ると、きっと大丈夫だと感じるものがあったのでしょう。エラ様から離れようとしなかったのに、あんなにあっさり仕事に戻るなんて」
「そうだったんだ。……うん。大丈夫だと思う。フィナも、皆も、本当にありがとう。心から感謝します」
そう言って立ち上がると、フィナをぎゅっと抱きしめた。
「明日、見ていてね。会場の皆を、虜にしてくる」
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