第二章 五、二日月の夜(三)
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早朝のお風呂と食事を終えてから、お義父様と三人の騎士、わたしとアメリアを交えて会議をする事になった。
お義父様の執務室で、お義父様は執務机に、騎士達はそれと直角に接した長テーブル、わたしとアメリアはその向かいにソファを用意してもらった。騎士達とわたし達がお互いに正面で、コの字に向かい合う形だ。アメリアにはプレッシャーかと思い、お義父様との間にわたしが入るようにして扉寄りに座らせた。
これなら不意に右を向いても、わたしの顔が見えてお義父様の圧が緩和されるだろう。アメリアとわたしはこの後に寝直すつもりで、寝間着の白い布服ドレスなのをお義父様は着替えてこいという圧を向けている。それがアメリアには、怒られていると感じて恐ろしいのだ。でも、その圧には素知らぬ顔をして、わたしは「会議を早く始めましょう」と言った。正直な所、ほっと出来たお陰で眠いのだ。
先ずは、お義父様とわたし、そして部屋を守っていた護衛騎士長、指揮代理と今回の作戦立案者それぞれの、戦闘中の事を伝え合った。
「――さて、何から話そうか……いや、エラは何か聞きたい事はあるか?」
お義父様は神妙な面持ちで言った。
「わたしが質問しても良いのですか?」
そう聞くとお義父様は、「お前のための会議だからな」と、短く答えた。
ならば、今日の愚痴も含めて、思い切って聞く事にした。なぜ襲われたのか。なぜ護衛が来てくれなかったのか。
「敵に、部屋への侵入を許した原因。それと、どこの誰が私をこれほどまでしつこく狙うのかを」
正面の護衛騎士長から、護衛の騎士達は廊下で眠らされていたとの説明を受けた。でも、どのようにしてかは本人達も分からないまま眠りに落ちたらしい。
「それから……侵入経路だが、前回のアメリアとは別の壁から登られてしまったようだ。庭からも屋上からも見張っていたのだが……すまなかった。どのような隙があったのかは、これから検証する。護衛どもが眠らされたのは、亡国となった北の帝国に生える薬草があるのだが……それを調合した強力な眠り粉だった。これの配合を知る者も滅んだと思っていたのだが、まだ伝わっている可能性が出てきた。エラが倒した二人は、その暗部だった者達だ。人相に相違なかった」
思っていたよりも情報が多い。これは、一筋縄ではいかない問題のような、悪い予感がする。
「つまり……その帝国を滅ぼしたのは……おとう様という事ですか?」
正面の騎士達は、わたしの言葉を聞いてビクリと姿勢を正した。お義父様は、わたしからスッと視線を外した。
「直接ではないのだが……結果的にそうなるきっかけにはなった」
「ぅはぁ……」
わたしは、声になる程のため息をついてしまった。しょうがない事だと思う。その恨みを晴らすために、お義父様よりも殺し易いわたしをターゲットにしたという事なのだから。
「……すまぬ。だが、何があってもお前を守り抜くための準備は、しているつもりだった。まさか今回、このような結果になるとは予想出来なかったが……」
確かに、配置した兵も装備も、普通では考えられないくらいに大げさな規模だった。それに匹敵するくらいの規模で襲撃されたようだけれど。
「予想出来なかったのは、敵のよじ登る技術ですか? それとも、想像していた相手とは違ったという事ですか?」
わたしが発言する度に、騎士達がビクリとする。
「……想定とは外れていた。滅んだ国の最後は、冬を越せずに全員が死んだのだ。脱出できぬほどの強い雪嵐に、冬の間中包まれていたのだ。誰も逃げられたはずが無い。だから除外していた」
(かなり凄惨な最後だ……)
「でも、生き残りで間違いなかったのですね? あの二人に見覚えがあると……」
「そうだ。暗部で最も残忍な、そして手練れの二人だ。並みの騎士では何人おっても歯が立たん。隊長クラスでも難しいだろう。特に、闇夜で奇襲されて生きていた者はおらんかった」
(そんなやつが相手だったの?)
それを聞いて、アメリアが思い出して泣き出してしまった。ぽろぽろと涙を流して、手が震えている。
「大丈夫よ。昨日、倒せたでしょ? もう襲ってくる人は居ないわ」
ハンカチで涙を拭いながら、肩を抱き寄せた。アメリアはされるがままで、恐怖で固まってしまっている。わたしは堪らなくなって、彼女の顔を左の胸に埋めた。柔らかいもので体温が伝われば、少しでも安心してくれるのではと思ったからだ。
「お義父様。もう、あんなのに襲われる心配は無いんですよね?」
とは言ったものの、ガラディオみたいなのも居る事だし、この世界は常軌を逸した猛者がいくらでも居そうだ。
「……そうなら良いのだが。正直、先が思いやられる気持ちだ」
(一番聞きたくない言葉だ……)
「あれが、首謀者ではない……と?」
「未だ結論は出せぬが、あれらは作戦立案や指揮が出来るような人間ではないからな。残虐さに思考が寄り過ぎて、まともな行動が出来ん。だから専ら単独行動。単独任務で活動させられておった」
(最悪……)
「ちなみに、あんな強い人間は、どのくらい居るのですか?」
そう問いながら、アメリアの耳を塞いだ。
「ふむ……ざらにはおらんが、ガラディオのような傑物が百万人に一人おったとするなら、あいつらレベルは一万人に二十はおる。という所だ」
「……結構いるんですね、千人に二人くらい……?」
「考えるな。気が萎えるぞ。ただ、あんなに残虐なやつらは他に見た事が無い。まともな矜持を持たぬ馬鹿が強くなれる可能性は、かなり低いからな。」
「それは、自浄作用があるという事ですか?」
「当然だ。兵も暗部も、所属は曲がりなりにも国家だからな。人をバラして楽しむようなやつが上に立つ国など、すぐに反乱が起こるわ」
なるほど……。
「それなら、最大の危機は去ったのでは」
あんなにおぞましい経験は、もうしなくても済みそうだ。
「だがなぁ、あれらが従う、その上が居るという事だからな」
「わかりました。それじゃあ、それに負けないくらいの騎士を護衛に就けてください。眠り粉にも気付いて防げるような方を」
嫌味で言ったわけではなく、本心から守って欲しいと思っただけなのだが、正面の騎士達はがっくりと首を垂れた。
「そうだな。こやつらに慢心が無かったとは言えん。本来ならば半数は防いでおらねばならんかった。ワシの指導不足だ。本当にすまなかった。そして、無事でいてくれて、本当にありがとう。エラ」
『申し訳ございませんでした! 言い訳のしようもございません! どんな処罰も受ける所存です!』
三人の騎士達は起立して、声を揃えて言った。叫んだと言ってもいいくらいの大声で、実は少し苛立った。でも、誠心誠意なのが伝わる表情だったからそれは許す事にした。
「処罰……と言われても」
別に罰したい訳では無い。あんなに怖い思いを、もう二度としたくないだけなのだ。アメリアにも、味合わせてしまった事が本当に悔やまれる。
「何でも良い。ワシを叱責しても構わん」
「おとう様を? うーん……。分かりました」
今回の事で、思った事がある。戦場に、本人によほどの覚悟がない限りは、女子供を立たせるべきではないと。
何を言われるだろうと、騎士達もお義父様も、どこか緊張した面持ちでこちらを見ていた。
「あ、そうだ。アメリアも聞いておいて」
耳を塞いでいた手を放し、アメリアの頭をもう一度撫でた。彼女はきょとんとして不思議そうな、そして嬉しそうな複雑な顔をした。涙目なのが、母性をくすぐられるような気持ちになる。
「おとう様」
「う。ワシか」
「ええ。……以前、アメリアに与えたという命令を、全て解除してください。きっと、私を守れとか身代わりになれとか、そういう命令でしょう」
「……確かに、似たようなものだ」
お義父様は片眉を上げて、何を言い出すのだと訝し気に、そして困った顔をわたしに向けた。
「こんな年端のいかない子に、何て命令をするんですか? 確かに最初は、素性が疑わしかったのかもしれません。でも、もう良いでしょう? 素直で可愛い、普通の女の子なんです。多少腕が立つと言っても、心はまだ子供なんですよ? あんな残忍な敵を相手に、私の身代わりになるなんて言葉、もう二度と聞きたくありません。どれほど恐ろしいと思いながらそれを言ったのか、おとう様に、騎士の皆様に、分かりますか? この子は女です。女が、出陣で血のたぎった男達に捕まったら、何をされるかくらい理解出来ますよね? 今後いっさい、この子がそんな目に遭うような命令をしないでください。それだけです」
昨日の事を思い出して、わたしは心底腹が立っていた。煮えくり返るかと思う位に。そんな状況に女子供を送り込むなんて、人のする所業ではない。あそこまで残忍なやつはそう居ないと信じたいが、地球ではそれが繰り返されている。人は、おぞましいものを持っているのだ。この世界の人達はどうなのか分からないが。
(残忍なやつばかりが地球に来たのか、誰も彼も同じようなものなのか、それこそ分からないけど……)
よほどの剣幕だったのか、一同がシン……と静まり返ってしまった。
「あの……お答えは、どうなのでしょう」
早く会議を終えて、この嫌な気持ちを忘れたい。私も、もう思い出したくない。あの時、もはや確実に手足を落とされ、犯されるのだと覚悟した。誰も助けに来ない場所に幽閉されて、あいつらに残虐な殺され方をするのだろうと。
(気持ち悪い。耐え難い疲労だ。もう一度、安心して眠れるだろうか)
「……すまん。いや、申し訳なかった。エラの言う通りだ。ワシも血が昇っていたのだと思う。アメリア、すまなかった。お前に伝えた命令は撤回する。エラの侍女として、身の回りの世話をしてやってくれ。それで十分だ」
冷静な思考の方で良かった。そうでなければ、言わなかっただろうけども。
「ふぅ……。ありがとうございます。よかったね、アメリア。もう無茶しなくていいんだって。私も安心した」
アメリアは口元が緩んで、ぽかんと開いてしまった。呆気に取られた顔をしながら、お義父様とわたしを交互に見比べ続けている。瞳にはまだ、少し陰があるけれども、最初よりは断然に光も宿るようになった。
「あ……ありがとうございます」
アメリアは最後にお義父様を見て、それから、わたしの胸に顔を埋めた。
(気に入ったのかしら?)
「それから、騎士の皆様。さっきから私、いじわるを言っているんじゃありません。失敗を咎める気持ちは、事件直後はさすがに湧きました。湧きましたけども、いつも命懸けで守ってくださっていると、改めて実感しました。感謝致します。ありがとう」
公爵家の礼を忘れず、下げたい頭をぐぐぐ。と堪えながら、目を伏せて礼の代わりとした。それも、アメリアを抱いているので席も立たずにだ。偉そうになってしまった。
『い! いえ! 滅相もありません! これからも誠心誠意、お守り申し上げます!』
見事なまでにハモった騎士達は、直立不動かつ見事にビシっと敬礼を決めた。
何故か今は、この場ではわたしに主導権があるように感じる。
「おとう様も……。今まで、すっごく過保護なんだと思っていたのですが……。実際に危ないからだったんですね。あの戦馬車が無ければ、もしかすると馬車ごと射貫かれていたかもしれません。いつも心配してくださって、先手を取って下さってありがとうございます」
もちろん本音だ。お義父様の言った事、してくれた事の全てに意味があって、全てがわたしを護るための事だった。今になって、護ろうとし続けてくれているその苦労や、愛情が身に染みる。それとは別に、この現実にショックを受けてはいるが。
「はっはっは。そんな風に思っておったのか。ワシが意味のない事をするはずなかろう。とはいえ、これからもずっと、こんな事が一生続いていくのがワシの娘という立場だ。今更怖気づいた、などと言わんでくれよ?」
「……今は、正直な所を言うと、怖いと思っています」
思い出すだけで気分が悪くなっているし、手も震える。
「それで良い。恐怖を知らねば、勇み足でいつか死ぬ。此度のような事は二度とあってはならんが……結果的には生きて経験を得た。アドレー家は、戦陣が日常だ。お前にはまだ、世の日常を楽しませてやりたかったが……不甲斐ない父を許してくれ。だが、共に生きてくれるか? エラよ」
奇襲とはいえ戦場に立ってしまって、初陣を経験した後はその夜に酷い目にも遭って、「これを日常と思ってくれ」と言われたら、普通なら怒るか泣くかしても良いのかもしれない。
なのに、わたしはそんなお義父様を、やはり愛おしいと思ってしまった。
「……フフ。おとう様、それってプロポーズみたいですね。それでは良い夫が見つかるまで、ずっと護ってくださいね?」
わたしは、弱かった。護り手を必要としても、アドレー大公爵家の尊厳を維持出来るように、わたしならではのやり方を見つけなければならない。お義父様と同じようにと思い込んでいたけれど、そうではない方法を模索するのだと思うと気が楽になった。自分の弱さを受け入れるというのは、本当に辛い事だったけれど、あんなやつらに後れを取るのでは諦めざるを得ない――。
「任せておけ。だが! まだ婿など取らせんぞ」
どこかの父親みたいな事を言って、鼻息を荒くしている。
――でも、それでも良いのだと、さっきの言葉で受け入れてもらえたような気がした。
「フフフフ。なら、お義父様。私は本日、非常に疲れましたのでお暇を頂戴して休みたく思います。抱き上げて寝室まで運んでくださいませ」
(きっと今はご機嫌だろうから、このくらいを言っても許される)
「あぁ、それだがな……お前の部屋は今、清掃中で改装もする事にした。別室で構わんか?」
忘れていた。あんなグロいものが……掃除してくれた人には謝りたい気もするけど、あの部屋はしばらく使いたくない。
「ぜひそうしてください。それから……この子も、しばらく一緒に寝させてください。きっと一人では安心して眠れないでしょうから」
いつの間にか、わたしの胸の中でくったりと眠っているアメリアをきゅ。っと抱きしめ直した。
「そうだな。そうしてあげなさい」
優しく微笑むお義父様は、怖い時とは別人のようだ。彼は屈んでから、わたしとアメリアを一緒に抱え上げると、驚くほど安定した抱き加減で立ち上がった。ふわりと浮いた感触がクセになりそうだ。
「扉を開けてくれ。一人は二階のゲストルームに、支度が終わったか確認に行け。以上で解散だ」
赤子をあやすように、大きな体を左右にゆすりながら指示を出して、開かれた扉もお義父様は揺れながら歩いていく。
(アメリアには丁度いいかもしれないけど、わたしは頭が揺れてちょっと落ち着かない……)
見るとアメリアは、わたしに上手く抱き付いていた。安定して心地よさそうだと思って、わたしはお義父様にしがみついてみた。
(……なるほど、悪くない)
「良い子らだ」
お義父様は幸せそうに微笑んで、どうやら遠回りして部屋へと向かった。
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