第二章 三、得たもの(六)
王城内の一階フロアは、三階くらいまでの吹き抜けのホールになっている。見上げると、二階から上は全面が、一メートル程せり出した通路のようになっていて、見張りの兵が数名ずつ立っている。それは大きな劇場の二階席、三階席のようで、上から見下ろすためのものだとはっきりと分かる。
入った時には壮大な雰囲気に圧倒されるかと思ったが、全体的に装飾と呼べるものは見当たらず、その代わりに大きな旗が垂らされている。入り口は狭く、奥に行くほど広くなるように造られたホールだ。左右に並ぶ巨大な円柱。その柱に、黒地を金で縁取った豪華で大きな旗。その模様は幾何学的な図形と、剣と盾を混ぜたような複雑なものだった。国旗にするにはイメージしにくいはずなのに、何故か頭から離れない。
床には何か細工が施されているのだろう。足音を消そうとしても、かなりの音が響く。お義父様でさえ足音を消せないので、わたしも普通に歩いている。ここを通過して忍び込むのは容易ではない。そう思うと、中程まで進んだ今はそら恐ろしいと感じる。四方八方から攻撃される恐怖感が湧きだして止まらない。
壁をよく見ると、入り口からは壁と柱しか見えないが、柱と壁の陰になるように扉が配置されている。攻め入られた時のためだ。攻め方の入り口は狭くなっているから、一気に大勢でなだれ込めない。一方、城側からは奥の方が広いので多くの兵を配置できる上に、柱の陰から奇襲もできる。もちろん、二階と三階からは、弓矢で射られる事だろう。
(ここまでする必要が、あったという事だよね)
お飾りの城ではなく、最後の最後まで守り抜くための要塞造りだ。
謁見の間は、二階にあった。ホールを奥までいくと横手に階段があり、その壁には穴が空いている。これも、攻められた時に槍などで攻撃するための狭間というものだろう。外観をほとんど見ていないが、外にも沢山、こういう造りがあると想像できる。町全体も迷路のようだったから、いわずもがなだ。
上った階段は謁見の間に通じるためのものだったようで、下から見えた通路を通る事も見る事もなかった。何度か角を曲がると少し開けた直線通路になり、鉄の扉がある。その扉を挟むように、衛兵が立っていた。前まで来ると衛兵の二人は敬礼をし、サッと横に向き直った。
「アドレー大公爵様、エラ様、どうぞお入りください」
そう言ってくれた扉の衛兵はそのまま動かずに、先導してくれている衛兵が扉を開いてくれた。
「さぁ、こちらです。玉座の正面までお進みください」
そう言うと、彼もその場で立ち止まってしまった。お義父様はまた「ご苦労」と言うと、ずかずかと進んで行くので遅れないように付いていく。
謁見の間は、思っていたよりは広くない、縦に長い造りだった。柱や装飾の無い、殺風景な印象がある。扉から部屋の真ん中くらいまでは明るいのに、玉座のある奥の方は薄暗い。劇場の緞帳のような、深い赤色の幕が玉座の後ろに掛かっているのと、石床にレッドカーペットが敷かれていて、それらだけが色味を持っている。
「相変わらず、こちらが来てから顔を出しよる」
玉座に誰も居ないのを見るなり、お義父様はそれがじれったいのか、小声で文句を言った。
他にも誰も居ないのかなと後ろを振り向くと、入り口の方の角に衛兵が二人ずつ立っていた。居ないと思って振り返ったので、ビクッと体が跳ねてしまい、それを見た衛兵の一人がニコリと微笑んだ。わたしは照れながら口元を押さえて、軽く会釈をして前を向いたけれど、まだ少しドキドキしている。
玉座の手前で、国王が来るのを待つ。それは一段高い台座の上にどっしりと置かれている。さすがに立派で、大きな金の装飾椅子に、分厚い赤色のクッション材が座面と背もたれにぴったりと敷かれている。でも、せっかく豪華なのに、薄暗くて入り口からは目立たなかった。
そこでおそらく数秒。体感的には十数秒も待った気がした。
「国王様、王妃様がお出でになります」
緞帳の裏からか声が響くと、幕が少し開いて国王と王妃が悠然と出て来た。幕の中は暗くてよく見えなかった。
国王の姿が見えたくらいで、お義父様は深々と頭を下げた。お義父様が礼をしたのを初めて見た。
そして、慌てて自分も頭を下げる礼をした。
「アドレー、そしてエラ。よく来てくれた」
思いのほか若く、そしてよく響くかっこいい声だ。低すぎず、けれど男性の力強さのある心地良い響きの声。
(普通にイケボだ……何か、ゾクゾクする。なんだろう?)
「顔を上げてくれ」
イケボでそう言われて、国王の顔を見るとまた驚いた。
(やっぱり、若い。それに……彫りが深くて、少しタレ目の甘い顔)
正面の玉座に国王が座っていて、その左手に王妃が立っている。
国王は、お義父様のように威厳の塊りのような人かと思いきや、かなりフランクな印象だ。
クセッ毛の金髪を短く刈り上げていて、髭も無い。見た目は三十にも満たないような若々しさと、光の加減で金色にも見える薄茶色の瞳をしている。筋肉のハリが衣服の上からでも分かるその体は、細身に見えるのにとても逞しい。
王冠は頭ではなく、手に持って玉座に足を組んで座していた。先程はちゃんと見れなかったが、その足の長さから推定すると、かなりの高身長だろう。落ち着いた佇まいのためか、軽薄さではなく「取っ付きやすさ」だけを感じさせる。よくよく見れば、マントこそ赤地に金の刺繍で豪奢だが、白いシャツに黒のズボンとブーツという、王にしてはとても簡素な装いだった。布地が一級品である事を除けば、デザインとしては市民の物に近い。
しかし、それなのに絶妙なバランスで「国王」というイメージを崩さない雰囲気を持っていた。
そんな国王に、不覚にも魅力を感じてしまった。ほんの数秒、国王に見惚れてしまったが、女としてではなく、人の魅力としてだと信じたい。
王妃は、リリアナにそっくりだと思った。リリアナは笑うと少しだけあどけなさが出るが、余裕を含んだ王妃の微笑みは、その美しさに見惚れてしまう。『見る事までは、許します』と言われているようで、つい、見入ってしまいそうになる。
エメラルド色の碧い瞳はうるんでいるのか、まさしく宝石のような輝きを持っている。見事なまでの長いブロンドは、後ろで束ねているだけに見えるのに上手くうねらせてあり、光を受けてキラキラと煌めいて見える。
デコルテの大きく開いた空色のドレスは、無駄な装飾が無くて、体にビロードを纏わせただけのようなラインを作っている。大きな胸から細いウエストの曲線は、女性でさえ見惚れるだろう。腰回りのラインはピッタリと鼠径部までの影を作り、足の長さを際立たせる。
羽織ったレースのショールが、銀糸と金糸をふんだんに織り交ぜているのか、王妃のブロンドがその御身を包んでいるようだ。シンプルな装いは国王と変わらないが、その魅力だけで言うならば格段に上に見える。
しかし、その王妃を侍らせている気取らない国王が、悔しい程に引き立つ。二人の魅力は対極のものなのかもしれない。
(――いけない。謁見中だというのに)
王妃はずっと見られている事に気付いて、話し掛けずにいられなくなったのだろう。
「フフ。リリアナを思い出させましたか?」
最初はそうだったが、途中からは普通に見惚れていた。
「は、はい。いえ。王妃様があまりに美しいので、つい……失礼いたしました」
国王も王妃も、装いがシンプルなので威圧される事がなかったせいか、普通に思った事を言ってしまった。これが、何かわたしを試すものだとしたら、二人は人が悪い。
「嬉しい事を言ってくれるのね。美の極致と謳われる古代種の方に、そう言って頂けるなんて光栄だわ。ありがとう。本当よ?」
クスクスと無邪気に笑う様を見る限り、本当に本心なのだと受け取っておこう。物腰の柔らかい、優しく甘い王妃の声は、まるで小鳥のさえずりのようで、何を言われても「はい」と頷きたくなってしまう。
「何だ、王妃にだけズルいじゃないか。オレにも何か感想を言ってくれ。何でもいい」
爽やかな笑みをわたしに向け、国王は何か話せという。お義父様が言っていた「顔を見せるだけ」というのは、国王と王妃との日常会話を嗜む事まで入っていたのだろうか。
「えぇっと……その、もっと仰々しいお姿かと思っていたのですが、とても魅力的なので驚きました……」
何を言えば正解なのか分からないまま、もはや見たまま思ったままを答えた……答えるしかなかった。
「それだけか? 最初にオレを見て、顔を赤くしていただろう。見逃してはいないぞ?」
突然心を読まれたような事を言われて、変な声が出てしまった。
「ひぇ、ひぃえ? ……おほん。いえ、そのような事は……ひと、人として魅力的だと感じた次第です」
(顔に出るほどだった? そんなに見惚れていた?)
もはや本当に顔が真っ赤になっているに違いない。顔が熱いのだから。
「ハッハハハ。すまんすまん、いじめるつもりじゃあなかったんだ。これ以上は大公に後で怒られそうだ。ハハハハ、許してくれよ?」
無言でコクコクと頷き、時が過ぎるのを待った。早く謁見を終了してほしい。というか、何をすれば終わるのだろうか。
「王よ、エラに贈り物があるのだとか」
お義父様が、ようやく口を開いた。少しムッとしているようだけど、わたしは顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたのに、その前に言って欲しかった。
「ああ、分かっているさ。少しくらい話をさせてくれても良いじゃないか。過保護な所は変わらないのだな」
国王は肩をすくめて、そう言うなりパチンと指を鳴らして誰かに指示を出した。
「お父様の過保護は窮屈ではないですか? エラ。不満があればちゃんと言うのですよ? 今なら一番言い易いはずですから」
王妃はクスクスと、楽しそうに笑っている。手を口に当てる仕草も、無邪気な様子も、その声も、魅力が溢れている。こんな女性になりたい。女性なら誰もがそう思うだろう。
「とんでもございません。とても……とても良くして頂いています」
この間ケンカをしてしまったのも、全てわたしを想っての事だし、こちらの言う事も基本的に聞き入れてくれる。これ以上何かを求める事なんて、何も思いつかない。
「あら……そうなのね。お父様も変わられたのですね。エラが来てくれて良かった。私の……そう、私にとっても妹になるのよね。嬉しい、こんなに可憐な子が妹だなんて。後で少しお茶を飲みませんか? お父様も。もっとお話を聞きたいわ。良いでしょう?」
思いのほかグイグイと来るところは、さすがリリアナの母親なだけはある。それはそうと、位の高い人から言われると、そうは断れないと思うのは万国共通だろうか。「はい。か、分かりました。しか選択が無い」という心境だ。フィナやアメリアも、こんな気持ちでわたしと話しているのだろうか?
「はい。おとう様がよければ、わたしはお話したいです」
とはいえ、嫌々で言ったわけではなく、本心だった。リリアナが懐かしくて恋しかったし、最近は人と話すのが好きになったようなのだ。昔はただ億劫なだけだったのに、変わるものだ。
「嬉しい。決まりね、お父様。まさか娘二人の『お願い』を聞いてくださらないワケはないですよね?」
こういう時の父親というのは、娘の言う事を聞かざるを得ない空気なのが分かる。
「押しの強い所は変わらんな。まぁ、良いだろう。そう言うだろうと、時間は余分に作ってある」
お義父様が押し切られる所を見るのは初めてで、とても新鮮だ。こうやって娘の『力』を出していくのだと、覚えておかなくては。
「お父様。こういう時は、分かったと一言で済ませる方がかっこいいですわよ」
ぬう。という唸り声が隣から聞こえたが、王妃はかまう気など全くないようで、クスクスとまた笑っている。玉座の国王は、微妙な顔をして小さく首を振っている。どうやらこういう時は、国王も王妃には敵わない様子だ。
「お待たせ致しました」
と、会話が丁度ひと段落ついた時に、赤いサテン生地のクロスをかけた大きなワゴンが、二人の侍女にゴロゴロと押されて出て来た。
「あぁ、良い頃合いだった」
国王は満足げに侍女達を褒め、そして下がらせた。それとは入れ違いに、数名の官僚ぽい人達が入ってきた。緞帳の奥には、部屋でもあるのだろう。
官僚らしき人達は国王よりも下がったこちら側に並ぶと、国王王妃に礼をし、わたしとお義父様にも一礼した。お義父様が会釈程度に頷きを返したのを見て、わたしも軽くだけの礼を返した。
「エラよ、ワゴンが気になるだろうが、先ずは、アドレー家の嫡子認定の儀を済ませよう」
国王は、楽しそうにそう言った。
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