第二章 三、得たもの(五)
王城に行くと聞かされたのは、先日の事だった。
その日の朝食後、執務室に呼ばれると、お義父様から突然申しつけられた。「色々と片付いたから、王への謁見と、時間が余れば買い物も楽しむと良い」との事だ。初めてお小遣いも貰った。どうやら、親子になった時から毎月支給されていたようで、それなりの金額があるらしい。特に必要ないだろうからと話さなかったのもあるが、純粋に伝え忘れていたのだという。
お小遣いは、慣れないうちはフィナに管理してもらう事にして、後々に金銭感覚を得る事にした。どうせ、自分で所持したり支払ったりする事など、無いだろうというのも大きい。「支払っておいて」の一言で終わるのがご令嬢様なのだ。
貨幣が流通していて、高額の物は金貨や金のインゴットを用いるらしい。貨幣と金貨は見せてもらったが、割と精巧でいくつか持っていたいなと思った。収集癖というのは、案外抜けないようだ。わたしが集めたのは、物ではなくて武術の技だったけれど。
王への謁見というのが問題なのだが、一体何をすれば良いのかを聞くと、「顔を見せるだけだ」と言う。要は、大公爵家は特別で、成人の儀の前に嫡子を見せよという命令が来ていたのだそうだ。心細い気がして、フィナやアメリアも一緒に行けるのかと聞くと、アメリアは作法が出来ないからお留守番。フィナも城門前までの同行で、馬車で待機してもらう事になるそうだ。
(ますます心細いじゃないか……)
そんな気持ちを察してくれたのか、フィナはドレスを着せてくれながらなだめてくれた。
「お召しになっているこのドレス。私が想いを込めてお手伝いしたのですから、私を連れていかれるのと同じ事です。少しくらい離れても、私もご一緒していますからね」
まるで、子供をあやしているようだ。でも、何だか最近は、本当に子供になってしまったかのように錯覚する事もある。二年もの間、毎日こんなに可愛らしい姿を見ていると、元よりこうだったのではと思い違いをしてしまうのだ。特に実害がないので、尚更タチが悪い。
「さぁ、完成ですよ。髪はお好きな、三つ編みを編み込んだアップにしています。片方だけ垂らした、前髪の後れ毛がポイントですよ」
鏡に映るその姿は、何度見ても妖精か、少女の女神のようだ。銀髪は装飾が無くてもキラキラと輝いているし、大きな紅い瞳は自分さえ魅了しそうな、魔力でも持っているようだ。
「あぁ、エラ様。ドレスと相まって、最高という言葉では足りないくらいに最高です……」
その装いは、いつもより少しフォーマルな装いの、二重スカートの黒のロングワンピースドレスだ。黒のレースで胸元や袖口が飾られ、デコルテを見せてブラックダイヤのネックレス――豪華でありながら洗練されて落ち着きのある、初めてお義父様に頂いた国宝のようなネックレスを着けている。
腰には赤の大きなリボンが付いているけども、黒い縁が絶妙に大人っぽさを表している。リボンは、くびれと腰元のラインを強調していると同時に、外側の、深紅のビロードスカートを上手く調和させている。それは真ん中で別れており、下の黒いスカートをしっかりと見せる事で、うるさくならずに色のバランスも良い。
「……お洒落するって、楽しいのが分かるようになってきました」
自分に見惚れながら、お洒落を本気で楽しむ自分が居る事に、驚いていた。
そんな豪華な装いをして、今は馬車で王城へと向かっている。正面に座るフィナは、常に着飾ったわたしを見る事が出来てご満悦のようだ。目が合うたびに、ニコニコと微笑みを返してくれている。照れ臭くなって、景色でも見ようと窓を覗き込んだ。
「王城って、こんなに大きいものなんですね……」
戦馬車の小さな窓から見えたのは、窓いっぱいに見える小高い丘の全てがお城で町だった。その町が収まる大きさの城壁と、城壁の向こうに街並のような屋根が並び、そして中央に、イメージ通りの壮大なお城の姿が見えた。
(大きすぎ……)
ヨーロッパのいくつかのお城のように、そこにどんと建っているのを想像していたが、実際は町とお城だった。王城の町の周りに、さらに城下町である王都が広がっている事になる。
「兵舎がいくつかと、城に従事する人間とその家族の住居。そして彼らが生活するための、一通りのお店。それらをひとまとめにしたのが、あの王城だ」
お義父様の説明を聞いている間に、道を曲がったので見えなくなった。
地図は一通り覚えていたのだが、実際に見るとそのスケール感を全くイメージ出来ていなかった事がよく分かる。そんな事を思いながら小窓を見ていると、流れる街並が途切れて壁の中に入った。城壁を通ったのだろう。そしてすぐに、城内の町が見え始めた。どこか無骨な感じで、王都ならではのお洒落さが全くない。道も入り組んだ感じで、曲がり角は必ずしも直角ではなく、予想した進路には素直に行けない作りになっている。これは事前に教わっていたので、こういう感じなのかと実感しながら感心していた。町そのものが要塞なのだ。
しばらくすると、また壁をくぐり抜けた。
「城に着いたな。城門の前までもう少しだ」
お義父様の言葉通り、連続する城壁を抜けると、ほどなくしてお城の入り口前に到着した。
もう少し窓が大きければ、もっと観光出来たのに。そう思っていたが、馬車を降りるとそんな感想は消し飛んだ。
見上げても先が見えないほどにそそり立つ巨大なお城は、圧巻の一言だった。いきなりこんなに間近で見たからこその感動だ。
「うわぁ……ここに、入れるんですか?」
首を反らして見上げたまま、間の抜けた事を言うとお義父様は笑った。
「入りに来たのだ。ほれ、呆けておらんと行くぞ」
フィナを馬車に残し、お義父様と二人で城門へと進む。二人居る門番のうちの、一人が「開門!」と大きな声を上げると、ギイイと重い音を立てながら巨大な鉄の扉が開いていく。
「ご苦労」
お義父様は一言を掛けて、中へと進んで行った。遅れまいと慌てて後を追う。
なぜか置いて行かれると思ってしまい、お義父様の手を、はっと掴んだ。
「お? そうか、すまん。初めてだったな」
途端に歩く速度を緩めて、歩幅をわたしに合わせてくれた。扉を完全に抜けると、そこにも衛兵が四人立っている。彼らは、サッと同時に敬礼をすると、そのうちの一人が「ご案内します」と、前に出て歩き始めた。彼は、ちらりとわたしを見ると、わたしの歩幅に近い足取りに変えてくれた。
「わぁ……おとう様より紳士ですよ」
小さな声で言うと、お義父様は珍しく、言い訳じみた事を言った。
「あれは今さっきのワシらを見てそうしたのだろう。それに、ちょっと今は浮かれておってな。また粗相をするかもしれん」
ニヤリと笑うと、いつものウィンクをしてやけにご機嫌な様子だ。
「何か隠しているんですか? もう脅かすのは無しですよ」
この人の事は、全て信用してはいけないと学んでしまったのだ。こんな時は何かある。そうでなくても欺くのが上手いのだから、これは逆に、サービスのようなものだ。「何があるのか考えてみろ」と。
「本当に隠したいなら、もっと上手くやるさ」
そう言うお義父様を、本当にタチが悪いと思った。
「そんなイジワルして、あとで私が泣く事があっても許してあげませんから」
少女である自分を人質に取るくらいしか、今の所は対抗手段がない。悲しい事に。でも、弱さを武器に出来るようになった自分を褒めてやりたい。
「ハッハッハ。その手法では、ある種の人間にはご褒美になりそうだな」
歪んだ性癖の人とは、関わり合いたくないものだ。
「い、今は、おとう様に効けばいいんですから、問題ありません」
「おお、そうだったそうだった。ハッハッハ」
終始ご機嫌なお義父様が、何を企んでいるのか全く見当がつかなかった。
(王子と見合いをさせるとかなら、ちょっと嫌だなぁ)
国王への謁見の緊張と、何が起きるのかという不安は、少し胃に来るなと感じた。そろそろおなかが減る頃なのに、ぎゅうっと重い……。
「あっ! 国王といえばリリアナのお父様ですから、もしかしてリリアナが来ているんですか?」
そうなら嬉しいなと思ったが、現実的ではないような気はした。
「そんなわけなかろう」
お義父様の、やや呆れた冷たい言い方に、「分かってはいましたけど」と頬を膨らませる。
(素を出したやり取りは気心が知れていないと出来ないから、こういうのも嬉しいなぁ)
「なんだ、ふくれたと思ったらニコニコしおって。そんなにワシと手を繋いでいるのが嬉しいか」
「そういう事にしてもいいですよ?」
こうして素直に甘えられるというのは、相手から甘えられても良いと思えるから出来る。そこに気が付くまで、とてもそんな態度は取れなかった。感極まったついでに、お義父様の腕に頬を寄せて、親愛の気持ちを表現した。まさか王城に来てそんな行動をするとは思わなかったのだろう。お義父様は小声で、「さすがにここではまずかろう」と困惑している。
「まだ成人していませんから」
そう言って最後まで困らせてやりたいと思ったが、引き際は肝心だ。そっと身を離して背すじを整え、淑女然とした歩き方に戻した。
「でも、良い娘なのでちゃんとしますね」
なんだか一勝した感じがして、これ見よがしに顔を見上げて微笑んで、お義父様にウィンクをお返しした。少し照れたように見えたが、「外でそれをしてはならんと言ったぞ」と、ポーカーフェイスを作って前を見ている。
「フフフ」
とても楽しい気持ちになって、緊張は残っているが、いくらか気が楽になった。
そんなやり取りを後ろでごちゃごちゃとしていると、さすがに少し前を先導する衛兵もチラチラと振り返っていた。素知らぬフリをしてくれているようだが、さっきよりも歩調が崩れている。そろそろ大人しくしていよう。
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