第二章 三、得たもの(四)
――月に居る何かは、見守っていた。
永い時の流れを辛抱強く待ち続けた何かは、二年程を待つ事など、容易い事だと思いながら。
しかし、永い時の中で待ちわびた『奇跡の種』だからこそ、短いはずの二年は、これまでよりも長く感じるものだった。
「あぁ、もどかしい。この手で全て与えられるなら、どれだけ気が楽なのでしょうか」
期待する方が馬鹿げているという確率の発現を気長に待つ事と、その奇跡の結晶とも言える存在が思い通りに成長してくれるのを待つ事は、例えようも無い密度の違いがあった。
その緊張感からして尋常ではなかった。もしもこれを失う事があれば、もはや次を待つ事などできようかと言う程に。
「何度ため息をついて、何度胸をなで下ろした事でしょう。もう体など無いというのに、このゴーストが緊張のあまりどこかを損失してしまうのではと思う程です」
幾度となくひとりごち、数えきれない程プランを復唱した。その必要など全くなく、プラン自体は完璧であるというのに。その土台となるものが生ものだけに、失ったら終わりなのだというストレスは、完璧に管理されたゴーストでさえすり減るのではというプレッシャーを、この二年程の間中ずっと感じ続けていた。
「今は無いこの手を、ずっと振るわせてしまう程の緊張感。それもそのはず。何千という条件を全て満たした完璧な素体。本当に、全てを投げ打ってでも失いたくないのです。最重要である項目を、億分の一も漏らさずにきっちり、満たした存在など居なかったのですから」
何度となく繰り返した独り言を、また続けている。
「そのゴーストが持つべき重要な要素である『冷静さ』『本質を見抜く力』『公私の天秤』『深い優しさ』『統率力に武力』『勘の良さに頑固さ』『集中力に察知力』その他いくつもの才を含んだゴースト。中でも極めつけは、『好かれる力を一人で持てる全てを持ってして、その半分のもの』です。本来、人が持てる最大の好かれる力を持てば、世界的に有名な俳優などになれますが……最大の容量を持ってして、それでも半分でしかないその力を持つ者は、今まで一人も居なかった。
要は、スケールが大きすぎてその器に半分入らなかった者だという事ですが、これを持つ者は不思議と嫌われる。親にさえ、兄弟にさえ、親族にさえ。可哀そうに、しかしそれを持つゴーストを二つ、用意して混ぜ合わせる事が出来れば? そう、計算上は通常理論値の数十倍の効力も持つはずです。ただ、現地にも同じものが現れるなんて、本当に奇跡としか言えません。古代種はその性質上、これを持ちやすいとはいえ……こんなチャンスはもう二度と起こらないかもしれない。全てがこの機を待ち望んでくれたかのように、何もかもの都合が良い。
現に! 今こうして、不遇を厚遇に変えてみせている。そして彼は……今はもはや、入れ物にかなり馴染んで来ていますねぇ。彼女、と言った方が良いかもしれません。今はまだこだわりが強いですが、もう何年もすれば、完全に同化するでしょう。最初は反発して、ゴーストが剥がれてしまいそうで叫んでしまいましたね。なんとか順応してくれて良かった。順応性も必須の力でしたが、あれにはさすがに焦りましたね。まぁ、完全体になれば苦悶する事も無くなりますから。もうしばらくは悩ませてしまいますが、辛抱も覚えてくれたようですし」
彼には、もはや倫理観などは無くなっているようだった。大きな目的のためには、犠牲など付き物なのだからと。そもそもが、そんなものを持ったままで遂行出来るような、簡単な事象ではないのだからと見向きするつもりも無くなっていた。
「彼女は、危機を全て無事に乗り越えてきました。素晴らしい。あぁ、しかしなんともどかしいのか。緊張で一秒も目を離せません。こうして見守るだけというのは、何と辛い立場なのでしょう」
彼はまるで呪詛のように、数時間置きに、もしくは数分置きに繰り返している。壊れてしまったのかもしれない。もしも彼を見ている存在が居たならば、そう思う事だろう。
「いやぁしかし、現地の体のタイミングに合わせるために、車を当てたのは我ながらスマートではなかった……彼は殺気に反応してしまいますからね。殺戮者では無理でしたし。乗用車では最悪回避されかねない反応速度をお持ちでしたし、ワゴン車が近くに居てくれて良かった。あの時は気が動転していたとしか思えませんね。ただ……あのタイミングで、死んだことを悟らせずにこちらに連れてくるには、あの方法しか今でも思いつかないのですから、私も『焼きが回った』かもしれませんね」
ユヅキが死んだのは彼の仕業だと、誰が知るだろうか。ユズキ本人もまさか、自分を殺した真犯人に、あまつさえ異星に飛ばされたとは思ってもみないだろう。
「あぁ、そうだそうだ。忘れる所でした。彼の……彼女の大好きな剣を、彼女にしか扱えない剣を作る技術だけではいけない。でも、これを起動して、今の現地人で操れるように書き換えるのは骨が折れましたよ。いやしかし、後は守るものと、治癒するものが必要だった。浮かれ過ぎていたかもしれませんねぇ」
上の空の戯言のようで、しかし、彼はそのゴーストで繋がった物に指令を出した。
「何度やっても、近くのものは反応しませんね。困りました……導くには、少し遠い。あぁ、守るための玩具は、近くの貴族が保管していますね。用途も分からぬまま保管するとは、玩具の形が幸いしましたか。ハハハハハ」
『物』とは実用性が本格的なもの。『玩具』とは、子供のための玩具に、少しばかりの実用性を持たせたものだった。
「この翼の形をした玩具は大ヒットしましたっけ。懐かしい……今でも機能するでしょうか。あぁ、大丈夫、さすが私の作ったものです。ハハハハ、これが対艦ミサイル級まで防ぐのだから、大人まで買ってくれていましたね。高い玩具なのですが。あ、どうでしたかね。対艦ミサイルは防げないのでしたか。まあ、今の現地の技術力なら全て防いでくれるでしょう」
奇跡の種を現地に飛ばすまでの数千年は、彼は寡黙だった。それが、飛ばしてからというもの、ずっと独り言を唱えては満足げに、そして不安そうに口上を垂れる。次のステップが待ち遠しい。次のステップまで生きているだろうか。いつも同じ期待と、不安を交互に述べずにはいられなくなったようだった。
「彼だったゴーストは、死を望むなら叶えると言えば、必ずや死の選択は除外すると知っていました。だからこそ、傷が付く事を許容してでも、記憶に刻んだのです。これも完璧でしたね。ああ、私が手を加える事さえ、奇跡は受け入れてくれたのですから、必ず上手くいくと信じていますよ。本当に、これが失われるとしたら、恐らく私の星はもう、持たないでしょう」
彼の祈りなど、この数千年ずっと無下にされてきたのだから、そうした所で何の意味もない事を知っているはずなのに、彼は祈らずにはいられなかった。奇跡に対して、こうなのだから上手くいかせてくれと、脅しのような事を言ってまでも、叶って欲しかった。
「じれったい。はやく玩具にだけでも接触してもらわなくては……焦れて私のゴーストが焼けてしまいそうです」
だが、月から現地に、人への影響を与える事など出来ない彼は、またゴーストを焦がす想いをしながら、何かを独りで述べていた。
『彼』は、最初の頃に登場して以来でしたね。全ての発端の『彼』ですが、基本的に見守るしかないのでずっと焦れていて、そしてまた焦れ続けるようです。
お読みいただき、ありがとうございました。




