第二章 二、環境と立場(十二)
――おとう様だ。
忙しいからと、時間を選ぶように言われてアメリアだけが戻ってくるかと思っていた。
でも、おとう様がこちらに歩いてくる。
冷たく睨んでいるのに、怯まずにオレの目を見ながら歩いてくるなんて、どんな肝をしているのだろう。
そう思っている間に、もう目の前に来てしまった。
「……泣きながら睨むんじゃない。対応に困るだろうが」
また怒鳴られるのではと身構えていたが、拍子抜けするほど優しい声で話しかけてくれた。
「……困ってください。私には困らせるくらいしか、できませんから。……その、私が何も分かっていなかったということは、分かったつもりでいます」
お互いに目を逸らさずに居ると、首を反らして見上げる背の低いオレのために、お義父様は片膝をついて目線を合わせてくれた。
「ワシも散々悩んだ結果なのだ。急に厳しくし過ぎたと反省しておる。すまなかった」
普段はこんなに優しいくせに、絶対に譲らない厳しい面を持つ。
それが余計に悔しい。
「……斬った事は、仕方がないと思っています。おとう様が正しかったと、あの時でさえ理解していました。でも、感情が追いつかなかったんです。すみません。そしてもう……こんな風にお話、出来ないのかと思っていました。ずっと口も聞いてくれないし、それに……アメリアを生かしてくれていたと、どうして黙っていたんですか」
「……裏取りを済ませるまで、アメリアはいつ処罰するか分からんかったからだ。冷たい決断を、二度もお前に見せる必要はなかろう。さすがのお前でも、心が持たぬやもしれんと思ってな」
その冷酷なまでの現実的な判断を聞いて、オレはまたゾッとした。
「……もう、アメリアは大丈夫なんですか?」
緊張で、心臓がどきどきと強く鼓動し始めた。
「ああ。裏切らん限りは大丈夫だ」
「…………ありがとうございます」
たまらなくなって、お義父様にしがみついた。
結局の所、すべてこの人の計らいで、オレの我儘を聞いてもらったのだ。
それが事実だから、情けない気持ちでいっぱいになった。
そんなオレを、お義父様は優しく抱きしめてくれた。
だからだろうか、思っている事を全て吐き出しても、大丈夫かもしれないと思った。
そうなるともう、言葉が溢れて止まらなくなってしまった。
「ならばなぜあの時、私があれほど泣いてお願いしたのに聞いてくださらなかったんですか?」
「だから、生かしておいたではないか。ワシとてあの瞬間、お前が命を懸けてまで助けたいと言い出すなど、思っておらんかったのだ。お陰で初めて、賊を見逃すなどという事をしてしまったのだからな」
「おとう様って、結局は私が泣いて頼もうがなさりたいようにしますものね。結局は、おとう様の匙加減ひとつ。あの時、私など塵に等しい存在だと思い知りました」
「それは! エラを、国の盾の、その後継を殺めようとした者を許すなど出来るはずなかろう! 公爵としてもそうだが、そもそも、ワシの大事な娘をだ」
「……例えばですけど、私と国、どちらかを選べと言われたら、おとう様はどちらを選ばれるのですか?」
「お前! ワシを脅す気か! まったく……誰に似たのだ」
「おとう様が使えるものは何でも使えと、教えてくださいました」
「親の愛情を天秤にかけさせるやつがあるか!」
「娘の気持ちは天秤にさえ乗せてもらえませんでしたね」
「こ、の……馬鹿娘が……」
「そんなに私が大切ですか」
「当たり前だろう」
「……すみません。あまりに、ショックが大きすぎたので……八つ当たりしてしまいました」
「……わかっておる」
どれもこれも、聞くに堪えない世迷いごとばかりをぶつけてしまった。
それをお義父様は、優しく、そして強く、窘めてくれた。
オレはもう、恥も外聞もないほど情けない事を言ってしまって、逆に開き直れたようだった。
「……おとう様は優しすぎます」
抱きしめられたまま、頭をその首に埋めるように甘えて言った。
「え、うそだ! 厳冬将軍の名の、噂通りだった!」
隣で聞いていたアメリアが、突然会話に飛び込んできたが話のネタになるだけだった。
「嘘なんですか?」
「いいや?」
お義父様が笑んでいるのが分かった。
確かにオレには、とても優しい人だ。
「それで、アメリアは誰の侍女なんですか?」
「基本的には、お前の侍女だ」
基本的には。という言い方は、ズルい人だなと思った。
「そうですか……。アメリア? おとう様に何か指示を受けましたか?」
ちょうど見える所に居たので、横目で視線を送りながら聞いた。
「は、はい! 受けました」
恐れながら返事をされると、少しいじめたくなる気持ちが湧くのが分かった。
自分にこんな一面があったのかと驚いた。
ただ、指示があるという事は、きっとオレが躊躇う事柄の尻ぬぐいを言い渡されたのだろう。
「なるほど……では、覚悟はしておかないといけないですね。でも……守りたい気持ちにウソはつけませんから。アメリアを守っても、怒らないでくださいね?」
「苦労するのはお前だぞ。……心配が尽きん娘になってしまったものだ」
そう言うとお義父様は、ぎゅう、と強く抱きしめてきた。
この細い身には少々強く、逃げられないという恐怖感が少しだけ顔を出した。
「お、おとう様痛いです!」
咄嗟に痛いと言って、その手を緩めてもらった。
緩めてもらわなければ、この体では何も抵抗出来ない事を、まさかのお義父様から知らしめられるとは。
武術訓練の締めや極めでは、騎士達は遠慮して力を振るう事はなかった。
型通りに動き、緊張感を忘れずに反復するだけだったのだ。
だから、男の人に強く力を込められたのは、これが初めての事だった。
「す、すまん。お前が居なくなっては辛いと思ったら、つい」
申し訳なさそうにオレを離す姿を見ると、少しでも怖がってしまった事を、悪い事をしちゃったなと思った。
「あ、エラ様が泣き止んでる」
アメリアがようやく、ほっとしたように言った。
「フフ。怖がらせてごめんね?」
オレには、オレとして強くありたいという願いと、相反して女の子の華奢な体である事の、現実の大きすぎるギャップを消せないままで居るもどかしさがある。
あったが、今この本能的な恐怖感を味わってしまったせいで、諦めが付いてしまったような気がした。
信頼するお義父様でさえ、強くされると怖くなるなんて本物の女の子ではないか。
(辛うじて留めていたプライドが、折れたのが分かってしまった……)
不思議ともう、悲しくはなかった。
この二年で少しずつは、受け入れてきたのだろう。
なかなかしぶといプライドだったが、もう『お別れ』のようだ。
――ふと、本当に何気なく周りを見てみると、景色が違っていた。
(いや、風景は同じはずなのに色が鮮やかだ)
目に飛び込んで来るかのような草木の緑は、その濃淡と影を風に揺らし、赤やピンクの花々は緑の中で鮮明に輝いて見える。
フィナの見事な黒髪の艶も、その紫がかった綺麗な青い瞳も、アメリアの光に溶け込むような金髪も。
その陰のある碧の瞳も。
「こんなに、綺麗だったんだ……」
オレはまるで、今まで色が見えていなかったのではと思うほどに、世界に色が宿った。
こんなにくっきりと色が見えた事は無かった。
「どうした? 何か気になるのか?」
キョロキョロと辺りを見回すオレを、お義父様は少し心配そうに見ている。
その視線に触れるように、そっと目を合わせた。
リリアナと同じ碧眼だが、歴戦の中で二つ名が付けられた男特有なのだろう、眼光には殺気がしみついている。
(……厳冬将軍)
「おとう様は、よく見ると眉間にシワが刻まれたままなんですね」
「なんだと? 少し気にしている事を……」
お義父様は筋骨隆々の大男で、その精悍で整った顔つきは三十代半ばにしか見えない。
綺麗な金髪の横後ろを短く刈り上げていて、クセッ毛のオールバックが炎のようにうねっている。
それらが見た目以上に威圧感を作っているのに、オレには微塵も感じさせない。
鮮やかに見えるようになった目で改めてじっくりと見たその姿は、愛おしい娘を見守る優しい父親だった。
「いいえ、自慢に思って欲しいのです。それだけ心を痛めながら、色々なものを守ってこられた証なのですから」
「娘に分かってもらえる事ほど、嬉しいものはないな」
お義父様はもう一度、ふわりとオレを抱きしめ直した。
オレは、自分の心が軽くなったような気がしている。
ただ単にそうなのではなく、一部に覚悟という楔が打たれたような気がする。
それがバランスを取るための重りとなって、安定した形で浮いているような。
(覚悟なんて、何も出来ていなかったんだな、オレは)
オレという呼称も、現状を中途半端に受け止めて、それで十分だろうという甘えの表れなのかもしれない。そう思った。
(私……か。私、わたし、私……どう呼ぼうか)
よく、固いとリリアナやシロエに言われていた。
(わたし……にしておくか、とりあえず)
わたしとして、この華奢な体をもっと大切に扱わなければと思った。
今回の暗殺事件も、対峙した相手がアメリアでなければ、殺されていたかもしれない。
もしも暗殺者が甲冑を着けた男で、初めから本気で襲ってきていたら……なす術が無かったかもしれない。
非力だというのは、それだけで戦闘で不利だ。圧倒的に。
子犬がヒグマに勝てる見込みなどゼロパーセントなのと同じだ。
それなのにオレ……わたしは、武術の経験があったからとしがみついて、この体を理解しようともしていなかった。
『オレ』に合わせようとして、無理ばかりしていた。
古代種と呼ばれる少女の能力を、もっと探すべきだったのだ。
(周りの反応が自然だからはっきりと気付けなかったが、やはり勘違いではないだろう。今の状況しかり――)
「――おとう様、いつまでこうしていたらいいですか?」
考えに耽っているいる間中、お義父様はお人形よろしく『わたし』を抱きしめていた。
「む、すまんな。あまりこういう機会もないから、存分に抱きしめておこうと思ってな」
今なら分かる。
この体、この容姿。単純に整っているというだけではない。
(人を魅了するような、魔法みたいな特性を持っている……はずだ)
でなければ、いくらこの星の人達が優しいと言っても、これだけの厚遇を受け続ける事が出来ただろうか。
(普通に考えて、街道に落ちていた少女を貴族にしてしまうだろうか。たとえ古代種が特別な存在だとしても、オレが貴族なら配下にはしても家族にはしない)
接する人達の態度も、注意深く観察していればおかしな点に気付けたのかもしれない。
「……そろそろお茶会の時間なのですが」
もっと他の人達と接して、色々と試していくべきだろう。
扱い方次第で逆に生きにくくなっては困るし、想像通りならば自制しなければ恐ろしい事になりかねない。
(わたしを奪い合う事で戦争……とか)
まさか、とは思うものの、まさかの笑い話で済むように自分を知っていかなくては。
「茶会だったか。そうだったな」
少しとぼけたような口ぶりだったが、ようやくお義父様の腕の中から解放された。
「お嬢様、ご令嬢の方々が到着なさいました」
侍女の一人が、出迎えに来ないわたしを呼びに来てくれた。
「ありがとう。すぐに行きますね。おとう様……よろしければ最初だけ、一緒に居てくれませんか?」
挨拶を手伝ってもらおうという算段だ。
「そうだな、この最初だけだぞ」
「ありがとうございます」
――泣き腫らした顔だろうけど、気持ち新たにお茶会に臨もう。
この度もお読み頂きありがとうございます。
エラがようやく、本当の覚悟を持つ事が出来たようです。今までは、いわば新しい環境で生きるだけで必死だったせいで、元の自分としてどう生きるかしか考えられなかったんですね。
そしてここが、古代種という特性を自覚していくスタートとなります。
区切り方としては二章の途中なのですが、この長い序章にお付き合いくださり、心から感謝します。この序章なくして、この物語は始まらないものなので読んで頂けている事を本当に喜んでいます。
拙い文章ですが、これからも頑張って書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
*次回更新は数日後になります。
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